2008年05月06日
中国:祖霊崇拝の起源
※西洋の遊牧父系制が、守護神信仰(後に一神教へ)に収束していったのに対して、東洋の父系制は竜山文化に見られるように、祖霊崇拝によって自部族の結束を強め(後に→儒教へ)に収束していったという違いがあり、その起源に違いがありそうです。中国、母系→父系制への転換期①: BC3000年の竜山文化は既に父系制・身分制へ先日のこの記事。最近、日本の縄文と中国を調べていて、一つ共通点がある。多くが一神教であるのに対して、祖霊(祖先)崇拝(信仰)強いということだ。(日本の場合は、弥生以降ですが)
今日は、なぜ祖霊崇拝という信仰様式を獲得したか :m050:
そこを追求してみたいと思います :tikara:

殷王朝でも、祖霊崇拝へと変わっていった…
byさーね
posted by sawatan : 19:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年04月12日
龍の起源~精霊信仰より生まれた守護神
こんばんは、etoです!
“龍の起源を考えることは、文明の起源を考える事に他ならない”とは、かの安田喜憲氏の言ですが、あらためて龍について考えてみます。
saahさんの『神々の変遷~自然神・・・水の神”龍”』においては、龍について以下のように書かれています。
>古代中国において、初めは純粋に水を自由に操る神として崇拝されていたものが、やがていつの間にかその自然を自由に扱う神秘な力を持った存在が、民を自由に支配する皇帝の呼称になり、、、
確かに龍といえば、大河で生まれた水の神、あるいは蛇信仰が原点になっていると思いますね。
でもちょっと違うようです。

この写真は、約6000年前(新石器時代)紅山文化の牛河梁遺跡にて発見されたもので、玉猪龍と呼ばれている物です。イノシシ? そう、なぜに猪なのか、史実をもとに見ていきましょう。
posted by nishipa : 22:30 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年04月03日
中国文明のなんで? PART2
こんばんは、etoです。
いつも応援いただき、ありがとうございます!
さて、最近は主に中国文明を追求していますが、このところちょっと停滞気味(;^_^A
そこで、改めて追求テーマを設定してみました。
①中国第三の文明“遼河文明”(=興隆窪文化~紅山文化)って何?
長江、黄河以外に古くから文明が形成されていた遼河地域が注目されていますが、遼河文明の特徴として以下の点に着目してみたい。
・中国最古の玉文明~西アジアとの交流?を探る。
・中国最古の龍~守護神信仰の起源を探る。
・中国最古の祭祀~その意味を探る。
・三内丸山、アイヌとの関連を探る。
②父系に転換したのは、何で?
(服属しながら父系に転換したとは、どういうことか?)
母系から父系への転換は、すでにihiroさんより投稿されましたが、継続テーマとして追求していきます。
③市場の起源~地域間交流はあったのか?
黄河文明と長江文明の間で地域間交流があったとされていますが、それは交易(市場)なのか、贈与(友好)なのか、はたまた何なのか?
④道教の根っこはどこにある?
・母系共同体を源流とする道教の本源性を探る。
・東洋医学、気孔、漢方などの起源は?・・・道教に関係する?
以上のようなテーマに取り組んでいきます。
その前に、前回の追求テーマにどう取り組んできたか、見てみましょう。
posted by nishipa : 22:39 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年01月06日
中国文明:戦国時代への起点③=【番外編】敵をつくる観念
戦国時代の外圧を調べている中で、興味深いネタを見つけました :shock:
古代中国では、自国以外の周りの国あるいは部族を蔑称で呼んでいた… :m049:
こんな図解がありました :m118:

「夷」ウィキペディアより
確かに、この蔑称は中国の歴史書にも度々出てきます。
ちょっとした気付きでしたが、投稿してみたいと思います。
続きを読む "中国文明:戦国時代への起点③=【番外編】敵をつくる観念"
posted by sawatan : 14:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
中国文明:戦国時代への起点②=春秋:遊牧部族による侵略の圧力
前回、中国文明:戦国時代への起点=西周王朝の衰退過程にて、周王朝の衰退過程を国の内部から分析しました。では、この時代の外圧は :m050:
「周室東遷の背後の北方民族の圧迫」古代中国 貝塚茂樹・伊藤道治著 講談社学術文庫より
春秋時代に、遊牧部族の侵入 :twisted: が本格的に始まったようです :m051:
byさーね

歴代王が苦戦した屈強 :tikara: の匈奴 :twisted:
続きを読む "中国文明:戦国時代への起点②=春秋:遊牧部族による侵略の圧力"
posted by sawatan : 13:30 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年12月16日
中国文明:戦国時代への起点=西周王朝の衰退過程
以前、etoさんが投稿された「中国文明のなんで?」の疑問。
”戦国時代、一度に大量の学者(諸子百家)が発生したのはなんで?”
恐らく、戦国時代に突入したことが、彼らに活躍する場を与えたという直感があるのですが、
では、戦国時代に突入したのはなんで?
調べてみると、どうも西周王朝の衰退にその起点がありそうです。「古代中国 貝塚茂樹・伊藤道治著 講談社学術文庫」の中で、こう述べられています。
「この新しい動きは春秋時代にわたって徐々に進行し、時代を転換させるのであり…」
byさーね :o

西周王朝時代の中国地図…実は、これだけ国があるんですよね。
しかも、戦国時代には実は200も国があった :shock:
続きを読む "中国文明:戦国時代への起点=西周王朝の衰退過程"
posted by sawatan : 13:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年12月02日
中国:戦争の起源~環濠集落・囲壁集落の意味
先日のくまなさんの記事世界の戦争起源(戦争の考古学より)はなかなか興味深い記事だと思います。歴史上、戦争が起きることによって、社会構造は大きく変化を見せるからです。文字通り、中国は古くから戦いの歴史があり、その起源がどのようなものであったか?を探ることは、中国という国の本質に迫ることにもなると思います :wink:
今日は、中国の戦争の起源に関して、よく議論の対象となる、環濠集落と囲壁集落の意味に関する説を紹介したいと思います :o

:m118: 本当の戦争の起源は?皆で追求しませんか? :m118:
posted by sawatan : 14:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月19日
中国文明:秩序の原理~血の盟い~
先日、Hiroshiさんが書かれた記事中国の特有の人間関係 「幇」に中国という国の本質が隠されているようです。今日は、その源流を追ってみようと思い、「中国古代の文化 白川 静著 講談社学術文庫」を参考に調べてみました :m061:

白川先生は、漢字の本でも著名な先生ですね。文字から、中国古代の社会背景などを解き明かすあたりは、なかなか読み応えがあります :m051:
:m118: 今日も応援よろしくお願いします :m051: :m118:
![]()
posted by sawatan : 19:30 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年09月24日
中国文明:戦国時代のロックフェラー?~呂不韋
今晩は。さーねです :D
先日、みつこさんが書かれた中国における紙幣の発展なかなか面白い記事でした :m034:
さらに引続き戦国時代に焦点を当て、その当時の社会状況を掴んでいきたいと思います。
今日は、戦国時代に暗躍し、商人として千金の富を築き、始皇帝の宰相にまで登りつめた呂不韋(リョフイ)について紹介します :m051:

呂不韋…想像図… :nihi:
中国歴史奇貨居くべしを参考にさせて頂きました :wink:
:m118: :m118: :m118: 応援よろしくです :m118: :m118: :m118:
続きを読む "中国文明:戦国時代のロックフェラー?~呂不韋"
posted by sawatan : 14:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年07月29日
中国文明:周王朝~封建制度の発祥と実質価値である穀物を統合様式へ
今晩は :o さーねです :tikara:
最近、まずは中国文明を一通り読んでみようと思い、通史の本を購入しました。
→「古代中国 原始・殷周・春秋戦国」(講談社学術文庫)という本です。まだまだ僕は素人ですから :wink:
冒頭。僕自身の問題意識をちょっと… :P
どうも、殷→周→春秋戦国というように、殷王朝や周王朝がクローズアップされますが、本を読み進めていくと、かなり、戦国時代の様相を呈しています。殷はたびたび周辺諸国に征伐に出向き、一方、殷王朝時代に周は存在しています。現実に、周王朝時代の周辺にも他勢力がひしめき合っています。よって、まさに :twisted: 掠奪 :twisted: の玉突き :evil: 状態=様々な支配の構造がやはりそこにはあるんじゃないかなー? :roll:
こんな、状況認識を元に、今日は、周王朝の支配構造を調べてみました。

中国奇貨行くべしHPより
:m118: いつもありがとうございます :m051: :m118:
![]()
続きを読む "中国文明:周王朝~封建制度の発祥と実質価値である穀物を統合様式へ"
posted by sawatan : 14:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年07月28日
先史中国の掠奪闘争から王朝形成まで
中国関連、すごく投稿が増えてきてうれしい!ただ、少し全体像がわかりにくくなったので、ここで内容整理のため、中国の先史略奪闘争史をまとめてみました。
いままでの投稿を参考にまとめたものです。BC4000年頃に掠奪闘争が開始されたメソポタミア(今のイラク)方面の関連が分かるよう、初期のメソポタミアの動きも記載してみました。

メソポタミアと中国をむすぶ中央アジアの草原ルート
posted by ihiro : 23:30 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年07月17日
中国先史年表~母系から父系へ~
前回に引き続き、生産様式の変化が、母系→父系への変化を引き起こしたという説を補足する意味で、同じく「図説中国文明史1先史文明への胎動」でまとめてある先史年表を紹介します。
○生産様式の変化
BC10,000~6000:
華北、長江中流域、華南などで定住生活を始め、農耕、家畜の飼育、土器の製作が始まる。BC 6000~5000:
黄河、長江流域が二大農耕区となり、農耕は焼畑から鋤耕に移行。黄河中下流域では雑穀農耕が発達し、長江流域では稲作農耕が代表的。BC5000~3000:
長江流域では、稲作農耕が発達。石器、土器、骨器、木器の製作は高水準に達する。水田耕作に適した多様な農具が開発される。
ここでは、黄河流域と長江流域での生産様式の違いに注目。
道具が発達したのは、稲作中心の長江流域。日本の稲作文化との繋がりも気になります。
○集団の変遷
BC6000~4000:
・血縁紐帯による同一氏族が暮らす集落が出現し母系氏族共同体が形成される。
・氏族メンバーの地位は平等。
・原始宗教、アニミズムの始まり。龍への崇拝は、抽象的な神霊崇拝への移行を示し、専業的なシャーマンが出現する。BC4000~3000:
・母系氏族社会は後期に移行し、父系氏族社会への過渡期となる。
・黄河流域と長江流域で防御性の高い城壁が形成される。
・東北の紅山文化では宗教が発達し、女神廟、祭壇が出現し、玉器製作センターを形成。
・長江流域の良渚文化では農耕が発達し、南方の玉器製作センターを形成。祭壇と貴族墓地が出現し、神権と軍事統率権を集約した部族連盟の首長の出現か?
ここでは、生産性が上がるに伴い、城壁が高くなり、母系から父系へ移行していったという関連性に注目したい。生産性の高さが、周辺部族間の交流を促し、そこから争いへと移行したのだろうか?
BC3500~2000: ・私有制を伴う父系氏族社会が到来。民主制の平等社会はしだいに排除。 ・黄河流域と長江流域は、相次いで首長制の「古国」へと移行。城寨が林立し、略奪性の高い戦争が発生。伝説の五帝はこの時期の首長とみられる。BC2500~2000:
・黄河流域と長江流域では、父系氏族共同体が瓦解し、各古国は若干の政治集団を形成する。夏族、殷族、周族と夷、蛮などの文化が交錯し、軍事的な衝突も発生。
・BC2100に夏族の首長である禹は治水に成功し、夏族の勢力が強大化して黄河中流域の大部分を統治し、部族連盟の首長となる。BC2070に禹はその地位を子の啓に譲り、中国史上最初の王朝 :m261: である夏を建立し、先史社会は終了する。
さて、母系の始まりから、王朝の成立までを追いかけてみましたが、黄河流域、長江流域のどちらが母系か父系かと言う視点は、存在しない様です。いずれも、母系集団を母体に生産性の向上に伴い、集団が拡大していき、戦争の拡がりと歩調を合わせる様に、父系へと移行している様にも見えます。
まだまだ、掘り下げていきますよ~。
応援よろしくお願いします。
posted by maeyan : 22:26 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年07月14日
中国における母系→父系転換を追求するにあたり
こんばんは、etoです。
先に『中国文明のなんで?』において、古代の母系社会と、父系への転換について挙げました。
このテーマを追求するにあたり、人類の婚姻史を専門に追求する姉妹サイト:「知られざる人類婚姻史と共同体社会」より、中国関連の投稿を調べてみましたので、参考として紹介します。
■まずは、母系社会の様子について
>古来日本でも行われていた通 い婚を続け、子供たちは生まれた家に残り、女性は家を切り盛りし、男性は自分の姉妹の子供を「家の子」として育てます。中国政府の圧力にも屈せず続いてきた母系社会と通い婚。血の繋がった家族が互いに協力しあい、争いや嫉妬を生まない、静かで豊かな社会がそこにはあります。
・「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 1
・「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 2
・「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 3
・「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 4
・「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 5
>現在のハニ族は父系社会ですが、信仰での女性の役割の大きさは、かつての母系社会の痕跡でしょうか。いずれにしても、ハニ族は自然に対する同化・感謝の気持ちを強くもっているは確かなようです。
>モンゴルでも国家成立以前は、『遊牧ながらも母系の色彩が強かった』
>しかし、その婚姻様式も強制的な漢化の圧力が高くなるに従って、その様相の変化や若者の戸惑いが表面化していく事に・・・。それは意外にも「自殺」という選択をしている事に私は驚いてしまいました。
モソ族、ナシ族、ハニ族などの投稿から、母系社会の様子が窺い知れます。
いち早く父系に転換したモンゴルにも母系が残っていたんですね。
さて、次はその父系転換です。
続きの前に、
多くの人に見てもらえるよう、クリック願います。
![]()
続きを読む "中国における母系→父系転換を追求するにあたり"
posted by nishipa : 22:05 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年07月01日
中国文明:森に囲まれた殷墟~霊的儀礼としての狩猟
今晩は、さーねです :D
殷については、このブログで色々調べられてきましたが、その支配の構造や祭祀の状況などがクローズアップされてきました。今日は、殷時代の生活をより鮮明にする上で、当時の気候・自然環境と狩猟について紹介したいと思います :m051:
参考にさせて頂いたサイトは、原宗子のホームページのちょっと覗こう!!古代中国の環境です :m051: :o 学生向けの講義用レポートのようで、量はありますが面白いです :-)

:m118: なんと、古代、殷墟の周りは森だった :m051: :shock: :m118:
今日、見渡す限りの麦畑やトウモロコシ畑が広がる殷墟周辺、つまり、自然の森林など稀有な場所に、100年の間、2,3日おきに狩猟ができ、収穫がある(卜辞には、鹿やイノシシ、水牛に近い動物などが、数十頭~数頭捕獲できたという記録が残る)ようなしんりんが広がっていたという状況である。
原宗子のホームページより
中国文明はまだまだ未解明 :m049: :m118:
一緒に追究しませんか :m051: :m118:
![]()
続きを読む "中国文明:森に囲まれた殷墟~霊的儀礼としての狩猟"
posted by sawatan : 13:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年06月30日
中国文明のなんで?
こんにちは、etoです。
カッピカピさんが『縄文時代のなんで?』をUPしていただきましたが、更に盛り上げるために『中国文明のなんで?』をあげてみました。継続テーマも含め、古代中国ファンのみなさん、頑張って追及していきましょう!
新テーマ①
・古代の母系社会は、どんな社会を形成していた?
その婚姻制はどうだったのか?
新テーマでもないですが、やはりここは外せないですね。
洞窟を出た古代中国人は、どのような生活をし、どのような婚姻制だったのでしょうか?
これまでの関連投稿は、
古代中国が一妻多夫制だったって本当?
中国の母系氏族社会
道教~母系氏族社会を源流とした共同体規範
古代中国:母系氏族共同体の特徴
継続テーマ①
・母系→父系へは、いつどのように転換した?
るいネットでは、父系の始まりは遊牧民族であり、掠奪の玉突きと共に各地へ拡がっていった、とされています。且つ、父系転換が人類史のターニングポイントだったと。これも外せないテーマですね。
『古代中国:父系氏族社会への移行』においては生産様式が採取から農耕へと変化するのに伴い父系に転換したとありますが、どうだったのでしょう。
そこで、次のテーマに繋がります。
これまでの関連投稿は、
中国文明の王位継承=世襲制とは?
中国文明:姜寨遺跡の婚姻制~男達の性への欠乏△・掠奪前夜
古代中国における父系制への転換と宗教
古代中国:父系氏族社会への移行
新テーマ②
・北方遊牧民族はどのように中国文明に影響を及ぼしたのか?
父系の始まりが遊牧民族であるとすれば、彼らはいつ南方へ下りてきた(攻めてきた)のでしょうね。そして、どのような関わりがあり、何が変わっていったのでしょうか?
これまでの関連投稿は、
波状的に遊牧民がやってきた古代中国~殷(商)・周~
馬が強大な軍事国家を作り出した。
騎乗技術が遊牧民族を巨大な軍事国家へと後押しした?
馬の家畜化により製鉄技術向上と戦争が激化した
新テーマ③
・なぜ中国人は自己中=個人主義が強いのか?
ちょうどるいネットでも紹介されていますが、中国人は血縁の結束力は強いが、他に対しては出し抜くことばかり考えているという。その源流はどこにあるのでしょうか? 今や中国はアメリカ以上のビジネスパートナーですが、彼らを良く知らなければうまく付き合っていくこともできませんね。
掠奪闘争の長い歴史、社会規範の変遷、思想的背景などいろいろありますね。そこで、一部関連する疑問として↓④に続きます。
これまでの関連投稿は、
黄河文明は恐怖の人骨文明か !?、ゾゾー・・・
黄河文明 古代の戦争は呪力と呪力の闘い!?
新テーマ④
・中国にはなぜ多くの民族が存在し、今も現存するのか?
いったい、どんな民族があり、どんな生活をしているの?
母系氏族社会の共同体規範は消滅してしまったのだろうか?
③のテーマと関連するか分かりませんが、中国には生活様式がまるで違う少数民族が多数存在しますね、日本では考えられないことですが、今でも○○自治区なんていうのがあって、未だに国家として統合されていないんじゃないかという疑問もあります。いったいどうなっているんだろう?
新テーマ⑤
・戦国時代、一度に大量の学者が発生したのはなんで?
これも③に関係するか分かりませんが、戦国時代には諸子百家なるものが登場しては活躍していますね。いったいなぜ同時期に多数の学者・学派が登場したのでしょう? そしてどのように思想的に統合されていったのでしょうか?
新テーマ⑥
・中国文明から縄文に、何が伝わったのか?
縄文との関連テーマですね。
これまでの関連投稿は、
長江文明の担い手『苗族』が日本に渡来し、稲作文化を伝えた
あれこれと疑問発であげてみましたが、他にもあれば是非お寄せください。
また、関連投稿を載せてみましたが、これまでもるいネットでは多数の追求投稿があり、むしろそちらをまとめてみる方が、どこまで追求されていて何が残っているのかが整理されるので、必要かもしれません。これは、各テーマに挑む有志にてチャレンジして欲しいと思います(笑;)
posted by nishipa : 22:46 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年05月20日
中国文明【殷】:十干(⇒十二支)は王の称号だった!?
今晩は、さーねです :P
やはり中国古代王朝の成立に迫るには、殷の甲骨文字に迫る必要があるのではないか :m052: 最近調べる中で、皆さんもよくご存知の十二支の元である十干が、甲骨文字発祥であることを知りました :m027:
なんで十干をつくり出したのか :m050: 一般に、十干は以下のように説明されます。
十干(じっかん)は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10の要素の順列。天干(てんかん)とも言う。…古代中国で考えられ、日本に伝えられた。十二支と合わせて干支(「かんし」または「えと」)といい、暦の表示などに用いられる。 ウィキペディア

説明の通り、暦にも使われる干支という意味で、僕らにもなじみの深いものです。その起源である十干=甲骨文字にこめられた秘密に迫りたいと思います :m051: :D
今日はこんなサイトを参考にさせて頂きました。改めて歴史の奥深さを感じます :m051:
「十干・十二支」の成り立ちと 3300年前の甲骨文を読んでみましょう
:m118: :m118: 十干⇒十二支の意味するところは :m050: ぜひクリックしてから :m051: :m118: :m118:
続きを読む "中国文明【殷】:十干(⇒十二支)は王の称号だった!?"
posted by sawatan : 13:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年02月17日
中国文明:殷(商)王朝~貝貨という幻想
今晩は :m027: さーねです :wink:
前回のなんでや劇場~市場の起源~から、市場の前提である幻想共認を追ってみたいと思います :m029:
その中で注目したのが、中国文明最古の貨幣と言われる「貝貨」です :m042:
殷(商)王朝の支配構造から考えると、中国において、市場の元となる幻想の起源が、貴重品とされたこの「貝貨」であったのではないか :m050:
最古の貨幣は実は…幻想そのものだった :m051:
ぜひ、ポチっと![]()

殷(商)王朝の貝貨
(世界最古の貨幣~貝貨)
posted by sawatan : 23:01 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年02月04日
商王朝における信仰観念と支配構造
こんにちは、今回は中国の勉強です。
先の「中国の夏王朝はあったのか?」や「中国文明の王位継承=世襲制とは?」では、夏王朝から世襲制が始まった、とありますね。
続いて、商(殷)王朝は最初の古代国家と言われていますが、どのような信仰観念と支配構造だったのでしょうか?
集団間を支配、統合するためには、世襲制をはじめとする制度を実現するための、力と観念が必要ですね。
るいネットの「信仰・宗教観念の成立構造整理」では、精霊信仰~守護神信仰~古代宗教までの流れを以下のように整理されています。(分かりやすいですよ)
>■精霊信仰
自然への畏れ敬い
>■守護神信仰①(自然神の登場)
遊牧~父系制転換
⇒集団第一・私益第一意識・(集団)正当化観念
↓
「守護神=自然神信仰」
>■守護神信仰②(人格神の登場)
同類圧力(略奪闘争)=他部族との相対比較、差異意識
+
自集団の私益第一=自集団の正義正当化
↓
「守護神=人格神信仰」
>■守護神信仰③(信託者=王→最高神と王の同一化)
1.武力支配・異民族支配の成立=支配正当化
↓
守護神の信託者=王
2.支配体制の維持⇒王の絶対性を物語化(共認支配)
↓
神官・知識階級の専門職化
3.更に広範囲の武力支配・異民族支配=帝国の成立⇒絶対的な支配正当化
↓
最高神と王の同一化「王=神」
>■古代宗教
序列体制=生涯固定の身分制度の確立
posted by nishipa : 17:27 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年01月20日
中国の夏王朝はあったのか?
中国の夏王朝があったのかがまだ確定されていません。遺跡が見つかっていないという理由です。
人民中国特集記事「姿現した中国最古の王朝の都」
で中国河南省偃師の二里頭村の遺跡が夏王朝の遺跡ではないかと、特集記事を載せています。

放射性炭素の崩壊を利用した年代測定法が次第に精度を増し、二里頭遺跡の年代は紀元前1900年ごろから紀元前1500年ごろであることが分かってきた。二里頭遺跡が商によって滅ぼされた夏王朝である可能性が非常に大きくなった。
1990年までに行われた合計41回の発掘の結果、二カ所の宮殿址が全面的に姿を現した。このほか、廟建築址二カ所、中小の住居址五十余、青銅器の工房址、大量の青銅器、トルコ石の象嵌を施した青銅製の牌飾などが出土した。これによって夏王朝が二里頭に存在したことは、もはや疑う余地がなくなったのである。
夏王朝の特徴のひとつに世襲制のはじまりがあります。
『史記』などによると、夏王朝は、禹によって建てられた。その前の帝王である尭は舜に、舜は禹に位を禅譲した。禅譲とは、天子がその位を世襲せずに、有徳者に譲ることをいう。
禹は東方に巡狩して会稽で崩じたが、10年間、政治を任せていた「益」に位を授けた。しかし「益」は三年間の喪があけると位を禹の子の「啓」に譲った。諸侯は「益」を去り、「啓」のもとに集まり、「啓」は天子の位に就いた。天子の位の禅譲は、このときから世襲に変わる。「啓」は初代の世襲制の皇帝である。
中国の古代地理書である『水経注』には、夏の帝王「啓」が「地望」というところに住んだことが記載されています。専門家は新砦遺跡がこの「地望」に完全に符合すると判断しているそうです。
ozawa
posted by norio : 22:04 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年01月07日
波状的に遊牧民がやってきた古代中国 ~殷(商)・周~
殷は、存在がはっきりしている最初の中国古代国家と言われている。
その成り立ちは西方からの遊牧民による征服王朝のようだ。

[紀元前1500年前頃の部族分布](中国通史より拝借)※商は殷を示す
↓続きのまえに応援よろしく~
続きを読む "波状的に遊牧民がやってきた古代中国 ~殷(商)・周~"
posted by ihiro : 21:30 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年01月06日
中国文明最古王朝の「商」~市場の起源は支配者の正当化から始まった!
今晩は、さーねです。正月明け、最初の記事はやはり「起源」もので :wink:
中国文明最古の国家「商」の市場の起源を追ってみたいと思います。(ちなみに、夏王朝が伝説上の最古の王朝と言われておりますが、やはり伝説上ですから…^^;)
「商」王朝は、商業・商人の起源ともされていて、探ってみると面白いのでは?(ちなみに日本では、殷王朝と呼ばれています)
まずは、起源を解明するために。るいネットでの有力な仮説投稿を軸に考えてみたいと思います。
>たとえ武力支配国家といえども、共認なしには統合し得ない。したがって、シュメールの部族連合や都市国家においても、力による制圧の後、支配者の正当化としての観念、すなわち守護神信仰を創り出した。
守護神信仰も精霊信仰と比べれば本源価値を大部分失っており、万人にすんなりとは共認され難い。そこで、さらに正当化するために感覚にも訴える手法をとった。支配者の力を正当化する観念=守護神信仰を具現化するもの、それが神殿であった。したがって、国家事業は軍事、農業基盤整備、神殿造営が中心となった。
商王朝を調べてみると、なんとこの仮説にピッタリなことか!
まずは、信仰を軸とした政治=支配構造
>殷部族の長である王は、祭祀・農耕・政治・軍事など全般にわたって、占いに現れた神意に基づいて決定する祭政一致の政治を行った。殷は武力による征服と商業活動によって繁栄し、王は豪壮な宮殿や大規模な王墓を造った。
(理解する世界史より)
生贄には、時には人も…それくらい信仰による支配だったと言われています。

青銅器 殷(商)
(紀元前17世紀~同11世紀)
高さ133センチ、足の高さ46センチ、壁の厚さ6センチ、重さ875キロ
→祭祀に利用されたという青銅器 :shock: 生贄用 :m050: でかいっ :shock: :m051:
:m118: :m118: 続きは押してからどうぞ :m118: :m118:
続きを読む "中国文明最古王朝の「商」~市場の起源は支配者の正当化から始まった!"
posted by sawatan : 22:10 | コメント (5) | トラックバック (0)
2006年12月04日
黄河文明 古代の戦争は呪力と呪力の闘い!?
古代の統治は、祭祀によって行われていた。血縁関係のない多くの部族を結びつけるには、祭祀が必要だったようだ。
そしていざ戦争ともなると、強力な呪力を持った巫女の勢力による呪詛が敵に向かって放たれ・・・
:twisted:
(写真は殷時代の紋章と言われているもの)
posted by ihiro : 10:01 | コメント (5) | トラックバック (0)
2006年12月02日
黄河文明は恐怖の人骨文明か !?、ゾゾー・・・
殷の初期王朝とも言われるBC1900頃二里頭文化の発掘結果からは、背筋がゾゾッとしてくるような結果が・・ :shock: ・。
続きを読む "黄河文明は恐怖の人骨文明か !?、ゾゾー・・・"
posted by ihiro : 10:35 | コメント (0) | トラックバック (0)