/> 縄文と古代文明を探求しよう!
 
 

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2008年09月08日

長江文明崩壊の時⇒日本へ渡来?!

[長江文明]

最近、るいネットでは「日本人の起源」についての追求が盛り上がってます :m051:その中で、こんな投稿がありました。

世界規模の気候変動が4200年前に起きている。~この時期の流民が縄文人を形成した!?

安田 喜憲氏の著書「環境考古学が示唆する気候変動と人類の歴史・文明の興亡」を参考に書かれた投稿ですが、加えてこんな可能性もるいネットでは示唆されています。

江南人と日本人:::倭人とは何者か?1

江南人といえば、長江下流域にいた人々のことを指します。

今日は、気候変動の文明史
(同じく安田先生の著書より)から、長江文明で何が起こったか?調べてみました。

byさーね

climate_2.jpg

:m118: 日本人の可能性を探求しましょう! :m118:
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posted by sawatan : | |

2008年08月14日

古代中国の歴史構造図解にチャレンジ

[Ⅳ中国文明][長江文明][黄河文明]

こんばんは、etoです!

北京オリンピックも始まって毎日熱戦が繰り広げられてますね。
俄然、中国に対する関心も高まっているようです。

そこで、まずは↓↓コチラ↓↓をご覧ください。

ファイルを確認する
 (サイズが大きいので縮小して見てください;)

これは、一昨年の【なんでや劇場:人類史シリーズ】において扱われた図解です。
本源集団から武力国家に至るまでの過程を、集団統合原理の観点から婚姻制と信仰観念の変遷として構造化したものです。

実によくまとまっていますね。
詳しくはコチラをどうぞ↓↓
 『実現論7(前半)武力国家の統合様式』
 『実現論7(後半)信仰・宗教観念の成立構造』


さて、中国文明研究チーム?においては、これまで古代中国の様々な疑問に対し挑んできましたが、ここらでひとつ古代中国史をまとめてみようということになり、先日から歴史図解の作成に取り組み始めました。そこで活用したのが、上の図解というわけです。

というわけで、武力国家に至る成立構造図解の古代中国版を作成していきます!!


簡単に図解化してみて分かったことは、これまで中国文明においては、私有婚や私有権について殆ど追及できていなかったこと、また守護神信仰の変遷における祖霊信仰との関係、などです。
時代毎に、黄河文明と長江文明でどのように関わりあいながら変遷していくのか、繫ぎ合わせる課題を追求しながら図解を完成していきたいと思います。


叩き台の図解をここで紹介できればよかったのですが、ちょっと間に合わなくて(汗)、、、
今後のお楽しみということで、乞うご期待!


posted by nishipa : | |

2008年04月03日

中国文明のなんで? PART2

[Ⅳ中国文明][長江文明][黄河文明]

こんばんは、etoです。
いつも応援いただき、ありがとうございます!

さて、最近は主に中国文明を追求していますが、このところちょっと停滞気味(;^_^A
そこで、改めて追求テーマを設定してみました。

①中国第三の文明“遼河文明”(=興隆窪文化~紅山文化)って何?
長江、黄河以外に古くから文明が形成されていた遼河地域が注目されていますが、遼河文明の特徴として以下の点に着目してみたい。
 ・中国最古の玉文明~西アジアとの交流?を探る。
 ・中国最古の龍~守護神信仰の起源を探る。
 ・中国最古の祭祀~その意味を探る。
 ・三内丸山、アイヌとの関連を探る。

②父系に転換したのは、何で?
 (服属しながら父系に転換したとは、どういうことか?)
母系から父系への転換は、すでにihiroさんより投稿されましたが、継続テーマとして追求していきます。 

③市場の起源~地域間交流はあったのか?
黄河文明と長江文明の間で地域間交流があったとされていますが、それは交易(市場)なのか、贈与(友好)なのか、はたまた何なのか?

④道教の根っこはどこにある?
 ・母系共同体を源流とする道教の本源性を探る。
 ・東洋医学、気孔、漢方などの起源は?・・・道教に関係する?


以上のようなテーマに取り組んでいきます。
その前に、前回の追求テーマにどう取り組んできたか、見てみましょう。


ポチっと押して次を見てね!
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posted by nishipa : | |

2008年01月15日

良渚遺跡跡発掘で中国の王朝史は遡るのか?

[長江文明]

こんばんわ。tanoです。 :-)
以下、2月号のニュートンに書かれていた記事の紹介です。中国ではかなりセンセーショナルな考古学ニュースのようで、中国探求グループが多いこのブログでもぜひ紹介しておきたいニュースです。下記の記事を読んで、当ブログの中国ファンの皆様ぜひ、この記事を元に良渚遺跡は果たして中国最古の王朝なのか意見を伺いたいと思います。
%E8%89%AF%E6%B8%9A%E9%81%BA%E8%B7%A1.jpg

>長江文明の良渚遺跡群で待望の城壁跡が発見された。

2007年12月3日、中国浙江省(チョーチアン省)杭州の良渚遺跡群で4300年以上前の巨大な城壁跡が発見されたと、中国共産党機関紙「人民日報」が伝えた。城壁内部の面積は約290㎡におよび、同国内で発見された最大級の新石器時代の集落跡と見られている。今回の発見により、同遺跡群は中国最古の国家である可能性が出てきた。

今年もよろしく!
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posted by tano : | |

2007年10月06日

長江文明が日本に伝えたもの

[Ⅸエトセトラ(その他諸々)][長江文明]

こんばんは、中国文明からetoです。

以前の投稿で、 「長江文明の担い手『苗族』が日本に渡来し、稲作文化を伝えた」と紹介しましたが、
稲作以外にも長江文明に起源をもつものが多くあるようです。
いったい何が伝わったのか、どのような共通点があるのか、紹介します。

『ブナ林と古代史』では、稲作と鳥と太陽信仰と山岳信仰が長江からやってきたと述べています。 

・太陽信仰と鳥信仰は日本の神話でも見られる。
皇室の祖神である天照大神は日の神、即ち太陽神そのものであった。
神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る路を先導したのが天から下された「八咫(やたがらす)」という大烏であった。更に伊勢神宮、熱田神宮など多くの神社では、「神鶏」は日の出を告げる神の使いとして大切にされている。

・苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されていた。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主な蛋白源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行なわれている。


●次に、 (リンク)では、神社信仰の起源を中心に、日本文化の基層はアジア南方の照葉樹林文化にあると述べています。

・神社に特有とされる高床式建物、千木・鰹木は、広くアジアに目を向けると揚子江流域の江南地方およびタイ、ミャンマーなどの東南アジア山岳部に住む少数民族社会にその原型と考えられるものが現存する。

     %E3%83%9F%E3%83%A3%E3%82%AA%E6%97%8F.jpg雲南省は苗族村の高床式建物です。

・鳥居と形態の似たものは雲南省や東南アジア北部の山岳地帯の少数民族の集落などに見られ、左右二本の柱の上に木を横に渡し注連縄が飾られるという。ただ、これらの地域では鳥居は「社(やしろ)の門」ではなく「共同体の門(ロコーン)」である点が日本の鳥居と異なる。

・いれずみと断髪、歌垣、アニミズム、山岳信仰、赤米と穀霊信仰、そして農具や木・竹・わらの道具、下駄、草履などの日本人になじみのあるものも共通して見られる。

・ワラビ、クズの根、カシ、トチなどの堅果を水に晒してあく抜きする技法、養蚕から絹を加工する技法、ウルシの樹液から漆器をつくる技法、柑橘類の栽培と利用、麹を用いた酒の醸造などが挙げられる。

・納豆の製造もこの地域が起源であって、粘つく納豆は日本独特だが、京都に伝承される大徳寺納豆、愛知県豊橋市に伝承される浜納豆などの乾燥納豆は雲南地方にも見られる。

・焼畑の開始期に行われる儀礼的狩猟や、その収獲期に行われる八月十五夜の祭り、そして鵜飼いの風習など文化人類学、民俗学的観点から興味深い習俗、儀礼もこの地帯に広くみられる。

・以上述べたことをまとめると、少なくとも神社信仰の基層は中国江南地方を中心にアジア南方に広がる照葉樹林文化の一要素であって、古い時代に稲作などとともに複合文化として日本列島に渡来したと考えるのが自然であることがわかるだろう。


※こうして見ると、随分と色んなものが伝わっていることが分かります。
 調べると、もっとありそうですね。鵜飼いや納豆もとは、、、!
 アジア南方の照葉樹林文化が長江文明を担った民によって伝来されたのでしょう。

 このように風習や習俗が伝承されたとなると、気になるのは、その思想的背景も一緒に伝わったのではないか、という点。つまり同じ長江流域の母系共同社会で生まれた道教(民俗信仰)ですね。
この点はまた次の機会に追求していきたいと思います。


ありがとうございました。応援、お願いします!
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posted by nishipa : | |

2007年07月28日

先史中国の掠奪闘争から王朝形成まで

[Ⅳ中国文明][長江文明][黄河文明]

中国関連、すごく投稿が増えてきてうれしい!ただ、少し全体像がわかりにくくなったので、ここで内容整理のため、中国の先史略奪闘争史をまとめてみました。
いままでの投稿を参考にまとめたものです。BC4000年頃に掠奪闘争が開始されたメソポタミア(今のイラク)方面の関連が分かるよう、初期のメソポタミアの動きも記載してみました。

map1s.gif
メソポタミアと中国をむすぶ中央アジアの草原ルート

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posted by ihiro : | |

2007年07月17日

中国先史年表~母系から父系へ~

[Ⅳ中国文明][長江文明][黄河文明]

前回に引き続き、生産様式の変化が、母系→父系への変化を引き起こしたという説を補足する意味で、同じく「図説中国文明史1先史文明への胎動」でまとめてある先史年表を紹介します。

○生産様式の変化


BC10,000~6000:
華北、長江中流域、華南などで定住生活を始め、農耕、家畜の飼育、土器の製作が始まる。

BC 6000~5000:
黄河、長江流域が二大農耕区となり、農耕は焼畑から鋤耕に移行。黄河中下流域では雑穀農耕が発達し、長江流域では稲作農耕が代表的。

BC5000~3000:
長江流域では、稲作農耕が発達。石器、土器、骨器、木器の製作は高水準に達する。水田耕作に適した多様な農具が開発される。

ここでは、黄河流域と長江流域での生産様式の違いに注目。
道具が発達したのは、稲作中心の長江流域。日本の稲作文化との繋がりも気になります。


○集団の変遷

BC6000~4000:
・血縁紐帯による同一氏族が暮らす集落が出現し母系氏族共同体が形成される。
・氏族メンバーの地位は平等。
・原始宗教、アニミズムの始まり。龍への崇拝は、抽象的な神霊崇拝への移行を示し、専業的なシャーマンが出現する。

BC4000~3000:
母系氏族社会は後期に移行し、父系氏族社会への過渡期となる。
・黄河流域と長江流域で防御性の高い城壁が形成される。
・東北の紅山文化では宗教が発達し、女神廟、祭壇が出現し、玉器製作センターを形成。
・長江流域の良渚文化では農耕が発達し、南方の玉器製作センターを形成。祭壇と貴族墓地が出現し、神権と軍事統率権を集約した部族連盟の首長の出現か?

ここでは、生産性が上がるに伴い、城壁が高くなり、母系から父系へ移行していったという関連性に注目したい。生産性の高さが、周辺部族間の交流を促し、そこから争いへと移行したのだろうか?

BC3500~2000: ・私有制を伴う父系氏族社会が到来。民主制の平等社会はしだいに排除。 ・黄河流域と長江流域は、相次いで首長制の「古国」へと移行。城寨が林立し、略奪性の高い戦争が発生。伝説の五帝はこの時期の首長とみられる。

BC2500~2000:
・黄河流域と長江流域では、父系氏族共同体が瓦解し、各古国は若干の政治集団を形成する。夏族、殷族、周族と夷、蛮などの文化が交錯し、軍事的な衝突も発生。
・BC2100に夏族の首長である禹は治水に成功し、夏族の勢力が強大化して黄河中流域の大部分を統治し、部族連盟の首長となる。BC2070に禹はその地位を子の啓に譲り、中国史上最初の王朝 :m261: である夏を建立し、先史社会は終了する。


さて、母系の始まりから、王朝の成立までを追いかけてみましたが、黄河流域、長江流域のどちらが母系か父系かと言う視点は、存在しない様です。いずれも、母系集団を母体に生産性の向上に伴い、集団が拡大していき、戦争の拡がりと歩調を合わせる様に、父系へと移行している様にも見えます。

まだまだ、掘り下げていきますよ~。
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posted by maeyan : | |

2007年07月14日

中国における母系→父系転換を追求するにあたり

[Ⅳ中国文明][長江文明][黄河文明]

こんばんは、etoです。

先に『中国文明のなんで?』において、古代の母系社会と、父系への転換について挙げました。
このテーマを追求するにあたり、人類の婚姻史を専門に追求する姉妹サイト:「知られざる人類婚姻史と共同体社会より、中国関連の投稿を調べてみましたので、参考として紹介します。

まずは、母系社会の様子について

自由恋愛の国アメリカと、母系社会のモソ人 

>古来日本でも行われていた通 い婚を続け、子供たちは生まれた家に残り、女性は家を切り盛りし、男性は自分の姉妹の子供を「家の子」として育てます。中国政府の圧力にも屈せず続いてきた母系社会と通い婚。血の繋がった家族が互いに協力しあい、争いや嫉妬を生まない、静かで豊かな社会がそこにはあります。


「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 1 
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 2
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 3 
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 4 
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 5 


・雲南省ハニ族の「稲魂信仰」

>現在のハニ族は父系社会ですが、信仰での女性の役割の大きさは、かつての母系社会の痕跡でしょうか。いずれにしても、ハニ族は自然に対する同化・感謝の気持ちを強くもっているは確かなようです。


・モンゴル遊牧民は母系を強く残した両系!?

>モンゴルでも国家成立以前は、『遊牧ながらも母系の色彩が強かった』


中国のナシ族はアチェ婚(妻問婚)を最近まで維持していた。

>しかし、その婚姻様式も強制的な漢化の圧力が高くなるに従って、その様相の変化や若者の戸惑いが表面化していく事に・・・。それは意外にも「自殺」という選択をしている事に私は驚いてしまいました。


モソ族、ナシ族、ハニ族などの投稿から、母系社会の様子が窺い知れます。
いち早く父系に転換したモンゴルにも母系が残っていたんですね。
さて、次はその父系転換です。


続きの前に、
多くの人に見てもらえるよう、クリック願います。
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posted by nishipa : | |

2007年06月30日

中国文明のなんで?

[Ⅳ中国文明][長江文明][黄河文明]

こんにちは、etoです。

カッピカピさんが『縄文時代のなんで?』をUPしていただきましたが、更に盛り上げるために『中国文明のなんで?』をあげてみました。継続テーマも含め、古代中国ファンのみなさん、頑張って追及していきましょう!

新テーマ①
・古代の母系社会は、どんな社会を形成していた?
 その婚姻制はどうだったのか?

 新テーマでもないですが、やはりここは外せないですね。
 洞窟を出た古代中国人は、どのような生活をし、どのような婚姻制だったのでしょうか?

 これまでの関連投稿は、
 古代中国が一妻多夫制だったって本当?
 中国の母系氏族社会
 道教~母系氏族社会を源流とした共同体規範
 古代中国:母系氏族共同体の特徴


継続テーマ①
・母系→父系へは、いつどのように転換した?

 るいネットでは、父系の始まりは遊牧民族であり、掠奪の玉突きと共に各地へ拡がっていった、とされています。且つ、父系転換が人類史のターニングポイントだったと。これも外せないテーマですね。
『古代中国:父系氏族社会への移行』においては生産様式が採取から農耕へと変化するのに伴い父系に転換したとありますが、どうだったのでしょう。

そこで、次のテーマに繋がります。

 これまでの関連投稿は、
 中国文明の王位継承=世襲制とは?
 中国文明:姜寨遺跡の婚姻制~男達の性への欠乏△・掠奪前夜
 古代中国における父系制への転換と宗教
 古代中国:父系氏族社会への移行


新テーマ②
・北方遊牧民族はどのように中国文明に影響を及ぼしたのか?

 父系の始まりが遊牧民族であるとすれば、彼らはいつ南方へ下りてきた(攻めてきた)のでしょうね。そして、どのような関わりがあり、何が変わっていったのでしょうか?

 これまでの関連投稿は、
 波状的に遊牧民がやってきた古代中国~殷(商)・周~
 馬が強大な軍事国家を作り出した。
 騎乗技術が遊牧民族を巨大な軍事国家へと後押しした?
 馬の家畜化により製鉄技術向上と戦争が激化した


新テーマ③
・なぜ中国人は自己中=個人主義が強いのか?

 ちょうどるいネットでも紹介されていますが、中国人は血縁の結束力は強いが、他に対しては出し抜くことばかり考えているという。その源流はどこにあるのでしょうか? 今や中国はアメリカ以上のビジネスパートナーですが、彼らを良く知らなければうまく付き合っていくこともできませんね。
掠奪闘争の長い歴史、社会規範の変遷、思想的背景などいろいろありますね。そこで、一部関連する疑問として↓④に続きます。

 これまでの関連投稿は、
 黄河文明は恐怖の人骨文明か !?、ゾゾー・・・
 黄河文明 古代の戦争は呪力と呪力の闘い!?


新テーマ④
・中国にはなぜ多くの民族が存在し、今も現存するのか?
 いったい、どんな民族があり、どんな生活をしているの?
 母系氏族社会の共同体規範は消滅してしまったのだろうか?

 ③のテーマと関連するか分かりませんが、中国には生活様式がまるで違う少数民族が多数存在しますね、日本では考えられないことですが、今でも○○自治区なんていうのがあって、未だに国家として統合されていないんじゃないかという疑問もあります。いったいどうなっているんだろう?


新テーマ⑤
・戦国時代、一度に大量の学者が発生したのはなんで?

 これも③に関係するか分かりませんが、戦国時代には諸子百家なるものが登場しては活躍していますね。いったいなぜ同時期に多数の学者・学派が登場したのでしょう? そしてどのように思想的に統合されていったのでしょうか?


新テーマ⑥
・中国文明から縄文に、何が伝わったのか?

 縄文との関連テーマですね。

 これまでの関連投稿は、
 長江文明の担い手『苗族』が日本に渡来し、稲作文化を伝えた

あれこれと疑問発であげてみましたが、他にもあれば是非お寄せください。
また、関連投稿を載せてみましたが、これまでもるいネットでは多数の追求投稿があり、むしろそちらをまとめてみる方が、どこまで追求されていて何が残っているのかが整理されるので、必要かもしれません。これは、各テーマに挑む有志にてチャレンジして欲しいと思います(笑;)


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posted by nishipa : | |

2007年05月19日

縄文時代、既に農業(稲作)はあったが、普及しなかった訳

[Ⅳ中国文明][弥生ー律令時代の農業][縄文人の生活技術][長江文明]

こんにちは、simasanです。

今日は、日本での農業(稲作)の起源の話です。

戦後まもない頃に発掘された静岡県登呂遺跡からは水田跡や炭化米、農具が発見され、これにより稲作は弥生時代になって初めて日本に伝えられたと考えられていました。しかし、弥生時代以前にもイネの栽培が行われていたという確かな裏づけが、昭和35年以降、九州地方の縄文遺跡から発見され始め、今から約3000年前の縄文時代後期にはすでに大陸から稲作が伝わっていたことが明らかになっています。

さらに、岡山の朝寝鼻貝塚の土の中からは、6000年前のもの最も古いプラントオパールが検出され、それよりも古い時代に原始的農耕が行われた可能性さえ出てきたのです。
plant1-1.jpg
注:プラントオパールとは、植物の細胞にたまる0.05・程のガラス状のケイ酸の塊が地中に残ったもののことで、このプラントオパールにより過去の植生や栽培植物の種を判別することができるそうです。

では、何故、縄文時代は稲作が普及しなかったのでしょうか?

知りたいっと思った方は、ポチっと お願いします!

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posted by simasan : | |

2006年12月16日

舟を通じた中国文明と古代日本の交易

[縄文人の外圧][縄文人の生活技術][長江文明]

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三星堆文明の縦目仮面

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青森県亀ヶ岡遺跡の土偶

中国文明と古代日本の関係を交易を通じて俯瞰してみます。

中国には黄河流域の「馬の分化」と長江流域の「舟の分化」の2つがあったようです。今回は「舟の分化」を紀元前までの期間で辿ってみます。

>環シナ海に広がる「百越の民」と倭人たちは、秦・漢以前からゴンドラ型の竜骨舟にのって往来していたのだろう。東シナ海の荒波にもまれてしばしば遭難したこともあったろうが、呉越の造船技術や操船技術の発達はかなりのもので、すでに春秋戦国期に外洋航海の記録がある。 船首と船尾の反り上がったゴンドラ型の船は、季節風と黒潮に乗って朝鮮や日本に到来したことは、朝鮮海峡や日本海岸に残されたこの竜骨舟の絵図からも知られている。

 この往来を通じて環シナ海の自然崇拝の観念が共有されるようになっても不自然ではない。長江中下流域の「良渚文化」から上流域の「三星堆文化」にいたるまで、越系の人々が河姆渡以来の太陽信仰・精霊信仰・鳥信仰・目玉信仰などの観念を共有していたことは、『ギャラリ-』の「長江文明のイメ-ジ」を参考にしてもらえれば、それが稲作と操船の民のどんな自然崇拝であったかを見ることができるが、朝鮮半島や日本に居住した倭人もまた太陽(女神)信仰・鳥信仰・蛇信仰などの観念を共有していたのである。 

 文明の周縁より

⇒三星堆遺跡から発掘された縦目仮面と青森県亀ヶ岡遺跡から出土された縄文時代の土偶の目がいずれも大きいのは、目玉信仰の系譜を踏んでいるように感じます。

*時代整理:
日本の縄文時代BC10000~BC500年。
中国の良渚文化と三星堆分化BC3300~BC1000年

疑問はBC8000~BC3300年の空白期間の交易はどのようなものだったのか?
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posted by postgre : | |

2006年11月18日

長江文明の担い手『苗族』が日本に渡来し、稲作文化を伝えた

[弥生ー律令時代の国造り][長江文明]

苗族(ミャオ族)って知ってますか?
ウルルン滞在記でも時々紹介されているらしい。

今も中国の貴州省や雲南省に住む少数民族http://www.china.org.cn/ri-shaoshu/miao.htmで、その祖先が長江文明の担い手だったと言われています。
彼らは長江流域で稲作を営み、太陽・鳥・蛇を信仰し、太陽族・鳥族・蛇族の三苗と呼ばれました。

その彼らが、4000年前頃の気候変動(寒冷化)に伴い、北方の牧畜民(漢民族の祖先)が南下し、牧畜民との戦いに敗れ?、あるいは移動せざるを得なくなり、長江文明も滅んだとされています。

そしてその際、苗族は長江奥地の雲南省などに移動したわけですが、一部は船に乗って九州へ渡り、稲作文化を伝えたとされています。

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posted by nishipa : | |

2006年11月07日

倭人のルーツ~地図より

[弥生ー律令時代の国造り][長江文明]

タノです。
弥生が熱いですね。 :o
面白いHPがありました。個人の方の資料なのですがよく調べてあり、縄文後期~弥生の倭人の動きと日本列島での移動状況がわかります。
弥生を概観する上で参考になります。以下の文章を読んだ後に地図を見てください。

地図ですリンク

>倭人のルーツを単独に特定することは非常に難しいが、一般的には大きく三つの地域の人種が融合した結果が、現在の日本人を形成していると考えられている。その三つの地域の人々とは、

posted by staff : | |

2006年10月10日

縄文人はどうやって渡来人を受け入れた?

[縄文人の外圧][長江文明]

縄文人は、突然やってきた渡来人を特に争いもなく受け入れ、一緒に集団を作っているのが不思議だなぁと思ったのですが・・・

私も不思議 :roll: と思われた方、ポチッとお願いします :m146: :m147:
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