/> 縄文と古代文明を探求しよう!
 
 

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2008年12月11日

アフガニスタンで何が起こっているか?

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは~ :m017:
さっそく【チーム・宗教】開始です :m027:

>●問題意識●
現在イスラム圏でテロ や戦争 が絶えないのはなんでだろう ?
それにはそこに住む民族の経てきた歴史的背景と深いかかわりがあるはず。

1.アフガニスタンが、特に注目される(?)
  まずはそこをとっかかりに現代的問題を押さえてみる。

%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3.bmp←アフガニスタンはここです。

アフガニスタンでは何が起こっているのでしょうか?
ニュースでもアフガニスタンってよく聞きます(難民のことや民間人が攻撃を受けて犠牲になった :m111: ・・・とか)。でも実際何がどうなっているのかをはっきり知りませんでした :m109: そこでまずはそこを調べてみました :m061:

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2008年11月28日

【チーム・ユダヤ】の課題☆

[Ⅴメソポタミア文明]

【チーム・宗教】に引き続き、【チーム・ユダヤ】では、ユダヤ人(=現代の金貸し :m273: )の変遷を追求していきます :tikara:

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●問題意識●
現在世界を牛耳っている金貸し=ユダヤ人の起源は、メソポタミアにあり。そこで、メソポタミアで歴史舞台に現れたユダヤ人の歴史を紐解いていきたいと思います。

:m147: 追求テーマ
1.なんでユダヤ人を追求するのか?

2.ユダヤ教が誕生するまで
  ・ユダヤ人はどこから来たのか?
  ・古代イスラエル王国の発祥

3.ユダヤ教ってどんな宗教なの?
  ・ユダヤ教って、「ユダヤ人意外は敵 :m240: 」っていう自己中宗教らしい
  ・ゾロアスター教との関係って?

4.大航海時代
  ・オランダからイギリスへ→イングランド銀行設立
  ・金貸しのフレームがこの時代で固まる

5.現代のユダヤ人(=金貸し)って?
  ・現在のイスラエルってどうなってるの?
  ・パレスチナ問題って?

この追及過程で、貫かれているユダヤ人(=金貸し)の心理や、これから何をしようとしているのか?を明らかにして行こうと思っています。

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では、皆様ご期待ください :m027: :m028:

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posted by pingu : | |

2008年11月27日

【チーム・宗教】の課題☆

[Ⅴメソポタミア文明]

みなさん、こんばんは~ :m017:

私たちチームは、気候、戦争、宗教、婚姻、交易、文字etcのテーマにわたってメソポタミア文明を追求してきました。 :m071:

このあたりで、ちょっと立ち止まってみたいと思います。 :m113:

どのように歴史を追求したらいいだろう?なんで歴史を解明するの?⇒今まさに求められているから!
以前、さーねさんが記してくださっていました :m023:

歴史認識があれば、現代社会に渦巻く様々な問題や可能性に気付ける

点の歴史観から、線の歴史観へ

>社会(意識)や、その積み重ねである歴史も、一つに繋がった「線」の状態こそが本来だと思います。実現論も『縄張り闘争、性闘争』→『私権闘争』という一つの一貫した線で繋がっていて、更にその原基構造として、個体の、集団の、あるいは種としての『可能性収束』→『統合』 という根底的で、一貫した「動的」な線のイメージがあります。一貫したものだからこそ過去と現在が繋がり、「昔と今は状況が違うから」のような安易な批判等ではびくともしない。都合の悪い部分を取り除く様な事をせずに現実を現実として直視するからこそ、現実の問題にも役立つ。

各々の時代を超えて、一貫した構造がある。これだけでも僕は面白いと感じました。単に、支配者が移り変わる表面的な歴史ではなく、その背後にある構造そのものが見え、それが現代の問題にも繋がったりする。だから、現実の問題にも役に立つ

私権制度がほとんど出揃ったメソポタミアを一定扱った今、現代的な「なんでだろう?」から、再度アプローチしてみたいと思います :m040:

大きく、【チーム・宗教】と【チーム・ユダヤ】に分かれていきます :m057:
今日は、【チーム・宗教】の大きな課題設定を紹介します。

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●問題意識●
現在イスラム圏でテロ :m273: や戦争 :m240: が絶えないのはなんでだろう :m252: ?
それにはそこに住む民族の経てきた歴史的背景と深いかかわりがあるはず。

1.アフガニスタンが、特に注目される(?)
  まずはそこをとっかかりに現代的問題を押さえてみる。
  イスラム教内の争いの構造が見えてくるか?

2.イスラム教はどのように、浸透(拡大)したのか?
  ・戒律が厳しいのはなんで?
  ・中東諸国はイスラム化することで国家として安定してきたって本当?
  ・イスラム教徒は税金免除? 政治的手法で信者を増やした?

3.国家統合と宗教の関わりを明らかにする!!
 (~現在の世界情勢も見えてくるかも?!~)

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2008年11月14日

ユダヤのその後

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちわちわわです。

かなり前になりますが べジーが ユダヤがイスラエルを建国した歴史 を紹介してくれました。
http://blog.kodai-bunmei.net/cgi/mt-tb.cgi/187
jews.gif
その後どうなったのでしょうか?
ユダヤ人ってどんな民族なのでしょうか?

現在の金融を支配するユダヤについえちょろっと迫ってみたいと思います。

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2008年11月13日

私的生産、商人の台頭⇒個人神の登場:::⇒一神教?

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは~ :m017: みつこ :D です。

シュメール人の社会は現在の私権社会の原型となる制度、要素がほとんど揃っていた、といわれています。るいネット『シュメール人の歴史2 私権社会の原型がほとんど揃っていた』

今日は、メソポタミアにおいて「個人神」がどのように台頭してきたのか?をまたまた福岡教育大学城山西洋史 1998年卒業論文 小林のぞみさん「古代メソポタミアの社会」を引用、要約して見ていきたいと思います。

最近この縄文ブログ、コメントが多くてとても嬉しいです :love:
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2008年11月01日

古代人の森林破壊~ギルガメシュ叙事詩より~

[Ⅴメソポタミア文明]

お久しぶりです。ぴんぐ~です:m027:
突然ですが皆様、『ギルガメシュ叙事詩』ってご存知ですか?
『ギルガメシュ叙事詩』とは、世界最古の文字、楔形文字で書かれた古代メソポタミアの文学作品です。

なんとこの物語、森の神殺し :shock: から始まるのです。

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 (ギルガメシュ叙事詩の粘土板)     (レバノン杉)

ユーフラテス川の下流域にウルクという都市国家があり、そこの王様 :m261: ギルガメシュは自分の町を立派にするためには :m207: 木 :m207: が必要!ということで、レバノン杉の森に出かけていきます。
みんなは、「レバノン杉の森にはフンババという森の神がいて、行ったら殺されるからやめとけ :x 」と言うのですが、ギルガメシュは半身半獣の神様エンキムドゥの助けを借りて、森の神フンババと戦い 、殺して、とうとうレバノン杉の森を手に入れるのです :tikara:

でも、なんで森の神を殺すことが、物語になる程ギルガメシュ王の武勲とされたのでしょう?
不思議ですよね :confused: ?

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posted by pingu : | |

2008年10月30日

ハンムラビ王の中央集権国家について

[Ⅴメソポタミア文明]

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画像は南風博物館からお借りしました。

 こんばんは、カッピカピです。今日はみつこさんの記事を引き継ぐ形で、ウル第三王朝時代の中央集権国家とハンムラビ王の中央集権国家の違いについて、同じく福岡教育大学城山西洋史 1998年卒業論文 小林のぞみさん「古代メソポタミアの社会」を引用、要約しながら書いてみたいと思います。

 まず、ウル第三王朝が長続きしなかった理由については、

①膨大な官僚、職人、労働者を抱え、絶えず厳しい監督を必要とする王室大経済は、領域国家の内部にあっては、もっと狭い領土に限られていたシュメール都市国家の枠内におけるほど、能率のよいものではなかったこと

②発展しつつある私的所有は廃止も決定的抑制もされなかったこと

③地域による貧富の差が明白になってきたこと


が挙げられています。このことから、厳しい監理を行うことで王室側が、どんどん疲弊していくのとは反比例に、貧富の差が拡大することで、冨が集中し、各地域の支配者の政治権力が王室のそれに拮抗し、ついには逆転して、崩壊してしまったと分析できます。

 では、ハンムラビ王の中集権国家の仕組みはどのようなものだったのでしょうか。ウル第三王朝時代の欠点は克服されていたのでしょうか。

 つづきは、応援の後にお読み下さい。

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2008年10月17日

シュメール以降のメソポタミア宗教

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちわちわわです。

シュメール人の宗教がどう変遷していったか南風博物館http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_rel.html#assyria_assurさんよりまとめてみました。

叙事詩「エヌマ・エリシュ」 バビロニア人による、マルドゥークの創世神話である。

 かつて宇宙が生まれる前は、この世は混沌とした液体で満たされており、果てしなく続く「根源の海」が広がっているだけだった。ここに、醜悪な姿をした怪獣ティアマトが住んでいたのである。最初の女性であるとされている。

 ティアマトが産んだ子供たちの中に、神聖な光を宿す存在があった。それがマルドゥークである。彼は成長するにしたがい、混沌としたこの世を正し、秩序を作りあげるために、母であるティアマトに戦いを挑む決心をするのである。しかし、従う者はなかった。彼は独力で、強大な力を有する母に立ち向かっていった。

 そして困難な闘いのすえに、彼はついに勝利をおさめたのである。マルドゥークは神として認められ、天界での至上権を保証した「天命の書」を手にする。その力を得たマルドゥークは混沌の液体からティアマトの死骸を取り出し、海を宇宙に変えたのである。

 最初の人間は、ティアマトの血から生まれた。だが彼は人間たちの上に君臨することなく、それを守護する神々を作って彼らの自由にまかせた。そしてマルドゥークは最後の仕上げとして、月や星、太陽などの秩序ある動きを決め、天界にみずからの宮殿エ・シャラを建造した。地上にはエ・シャラにいたる門としてバビロンの神殿を作ったのである。

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2008年10月15日

メソポタミアはどのように統合されていたの?~中央集権の始まり~

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは~ :m017:

メソポタミアの人々がどのように生活していたのか?
神の位置づけと統治の方法はどんな関係があるのかに続いて、王の統治の様子を見て :shock: いきたいと思います。

福岡教育大学城山西洋史 1998年卒業論文 小林のぞみさん「古代メソポタミアの社会」から、引用、要約させてもらいます :m101:


まずは、大きな時代の動きを押さえましょう :D

ウバイト期        灌漑という新しい生産技術の成功
(前5000~3500年) 

ウルク期        都市文明が開花
(前3500~3100年)    神殿を中核とする組織として都市国家が誕生
            王権の成立

 初期王朝時代    都市国家が覇権や領土問題で激しく争う
 (前2900~2371年) 

 前2371~2347年   ウンマ市国王ルーガルザッグゲジによりシュメール地方統一

 古アッカド時代   サルゴン王がアッカドとシュメールを統合
 (前2371~2230年)

 グティ時代     メソポタミア東北方から侵入したグディ人による支配
 (前2230~2120年)  前期は混乱→ウルクとラガシュに独立政権が誕生

ウル第三王朝     グディ人によるメソポタミア支配に留めを刺したウトゥ・ヘガル
(前2113~2007年)   の下で将軍であったウル・ナンムがウルに都をおいて創設

★アムル人が両河地方の南と北に二つの独立王国を建設
 北方のアッカドに、イシンを首都とするイシン王朝(前2017~1794年)
 南方には、ラルサを首都とするラルサ王朝(前2025~1763年)

★バビロンのハンムラピのもとで、改めて武力統一される


続きは、応援のあとで :m103:
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2008年10月01日

円筒印章から分かること

[Ⅴメソポタミア文明]

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 こんばんは、カッピカピです。

 前回の文字の誕生シリーズに引き付けて、今回は円筒印章について書いてみたいと思います。

 ウルク文化期後期に現れた円筒印章は、トークンを入れたブッラを封印するのに使われていまいした。つまり、この封印が壊されていなければ、中身が減っていないことを示すことができるというわけです。

 今も昔も、公正な取引をするためには工夫が必要だったようです。しかし、円筒印章から分かることは、これだけではありません。

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2008年09月19日

貨幣の誕生

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちわちわわです。

古代オリエントの交易シリーズ。交易といえばやはり、お金 です。

交易が本格化し始めた紀元前3000年すでに物々交換に変わって銀や銅が用いられるようになりました。
当時は塊を量って重量で換算しており、しっかりした貨幣が登場するのは紀元前700年くらい先の話になります。

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2008年09月18日

メソポタミアにおける悪霊と神の関係の変化

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは~ :m017:

>シュメール人の来世観は、憂愁と恐怖に満ちていました。彼らは、死者の迷える魂は、悪鬼となってしばしば地上に現れて、暗いところや廃墟などに住み、人に危害を加えると考えていました。そして、このような死者の霊のほかに、半人半獣の怪物や悪魔の類が大気を満たしているとも考えていました。
シュメール人の宗教って?~その1

今日は、メソポタミアの宗教についてもうちょっと分からないかな~と調べているときに見つけた、メソポタミアの悪霊に関する記事 :m061: のご紹介です :m103:

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この写真は、『魔の女神ラマシュトゥ(妊婦や赤ん坊を襲うの~ :m112: )に対するお守り』

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posted by mituko : | |

2008年09月17日

世界最古の戦争??

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちは :m042:

みなさんは「戦争っていつからあったんだろう?」なんて考えられたことありませんか?

今日は世界最古と思われる戦争の遺跡についてご紹介します :m034:

~引用~

人類最古の戦争、6000年前に=独考古学者がシリアで遺跡発見

(時事通信社 -2007年 01月04日 21:10)

 【ベルリン4日時事】ドイツ考古学者の調査で、これまで確認された中で人類最古となる「戦争」が約6000年前にシリアで行われたことを示すとみられる遺跡が発見された。米シカゴ大学東洋研究所のクレメンス・ライヒェル氏が率いる調査隊が発見したもので、4日付独週刊紙ツァイトが報じた。

 同氏によると、シリア北東部にある対イラク国境地帯の町ハモウカルで、紀元前4000年ごろによく乾燥させた粘土球が大量に見つかったという。同氏は、ウルクとみられる南メソポタミアの都市国家が北部にあるハモウカルを侵攻、粘土球を弾丸のような武器に用いて陥落させたと推測しており、「世界最古の侵略戦争の実例」と指摘している。

~引用終わり~

粘土球が武器? :lol: 本当かいな? :x  と思われた方も、面白そうと思われた方も・・・

続きはポチッとしてから

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posted by maru : | |

2008年09月03日

文字の誕生③~絵文字から楔形文字へ~最終章

[Ⅴメソポタミア文明]

 こんばんは、カッピカピです。

 ついに文字の誕生シリーズも最終回を迎えることになりました。

 テーマはズバリ、「絵文字から楔形文字へ」です。
 
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 ↑粘土板に描かれた楔形文字。
 
 ↓楔形文字だけを取り出すとこんな感じ。

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 この三角と棒のかたまりが、ちゃんと文字になっているなんて不思議ですよね。ちなみにこの楔形文字、見た目がくさびに似ていることから「楔形文字」と名がついたそうです。(くさびとは材木を縦に割る道具のことです。↓)

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 楔形文字に慣れ親しんだとこで、本編のスタートです。
  
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2008年08月21日

古代オリエントの交易 海上編

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちわちわわです。
古代オリエントの交易編!今回は海上交易に焦点をあててみます。

 アッカド王朝がメソポタミアを統一した前2300年頃から、「ディルムン」「マガン」「メルッハ」という国の名前がさまざまな文書に登場するようになります。

 たとえば、初代サルゴン王の碑文には「メルッハの船、マガンの船、ディルムンの船をアッカドの波止場に停泊させた」とあります。「ディルムンの舟をその土地まで動かした、マガンの舟に天高く荷を積んだ」「メルッハから金、銀、銅、紅玉髄、黒檀などがもたらされた」などと記した文献もあります。
indus.gif
 3つの国のうち、ディルムンは、「下の海」とよばれたペルシア湾に浮かぶバーレーン島。マガンはさらに東、現在のアラブ首長国連邦やオマーンにあった諸都市。ここでは銅を産出していました。メソポタミアからの距離は、ディルムンは700km、マガンまでは1300kmもあります。

 そしてメルッハ国は、ペルシア湾を出てさらに東、インダス川流域やアラビア海沿岸の都市だとみられています。メソポタミアからは実に3000kmも離れています。 

はたして、当時の船や航海術で、これほどの遠距離航行が行えたのでしょうか?

おもしろい実験をした人がいます。その前に↓↓ぽちっと!
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2008年08月20日

シュメール人の宗教って?~その2

[Ⅴメソポタミア文明]

 こんばんは!!

 前回からだいぶ日が経ってしまいましたが、シュメール人の宗教観について、その1で、彼らは自然の中に神々を観、その神々の意思を探り始めるまでを追ってきました。

 今回は次いで、彼らが自然の中に神々を見出して、たどり着いた先とは?
 について追っていきたいと思います。

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2008年08月19日

メソポタミアの婚姻制2~持参財って?~

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは~ :m017: みつこ :D です

今日は前回のメソポタミアの婚姻制の続きで、メソポタミアの婚姻をめぐる「持参金」「婦人の対価」「支度金」のうち、女側から男側へ差し出された「持参金(財)」について :m036:

それは、ひつじなどの家畜○頭 だったりしたそうですよ :m101: 。
yuboku.web

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2008年08月17日

文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちは、カッピカピです。
今日は、「文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~」をみなさんにお届けしたいと思います。

前回、前々回と見逃した方はまずはこちらからどうぞ。

文字の誕生① ~記録の必要性から文字が生まれた~

文字の誕生②~トークンから絵文字へ【前編】~

お盆休みも終盤にさしかかりました。ここいらで、しばし、古代文明の旅に出てみましょう!

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2008年08月07日

古代オリエントの交易

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちわちわわです。

メソポタミアの交易の続編です。今回は国家の関りから、商人の誕生まで!

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シュメール人は都市国家から成り、中央集権的な権力や巨大な軍事力ではなく、周辺地域や民族との交易によって繁栄を勝ち得ました。そこには、シュメールが栄えれば同時に周辺の国々も栄えるという相互依存関係がありました。

凶暴なアッシリアが帝国を築くまでは、交易によって安定を保っていたと思われます。
シュメールからの交易品は農民から租税により大量に集積された小麦です。当初は王権主導で交易がなされていましたが、前2000年頃(ウル第三~古バビロニア時代)には、私的な交易商人が登場し、現代の市場社会の礎を築くことになります。

以下るいネットの記事を掲載します。その前に↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa : | |

2008年08月06日

シュメールの余剰穀物、どこと交易してた?

[Ⅴメソポタミア文明]

ちわわさんの7月8日の記事で、シュメールが灌漑技術で手に入れた余剰穀物 :m146: によって発展した様子がわかりました :D

この地域は降水量 :m007: は少ないのですが、 :m005: 温暖 :m005: なため用水が確保されれば驚くほどの収量を上げることが出来たのです :m231: :m231: :m231:
このように、水をコントロールしたことで手に入れた大量の余剰穀物を手に、シュメール人は交易を始めます。

さて、その大量の余剰穀物、一体どこでどのようなものと交換されていたのでしょう :m052: :m052:

続きはいつものクリックの後で・・・・
   :m118:      :m118:

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posted by pingu : | |

2008年08月05日

文字の誕生②~トークンから絵文字へ【前編】~

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは、カッピカピです。

 みなさん、お待たせしました。文字の誕生シリーズの第2回目です。タイトルはズバリ、『文字の誕生②~トークンから絵文字へ~』です。

 第一回を見逃してしまった人は、ぜひ、『文字の誕生①~記録の必要性から文字が生まれた~』を読んでから、今回の記事を読んで下さいね。

 それでは、はじまりです。っとその前に、いつものポチッをお願いします。

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2008年07月23日

シュメール人の宗教って?~その1

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは!

古代メソポタミアにおいて、人類最古の文明を築いたとされるシュメール人

その彼らの、文明を築くほどの原動力とは何だったのでしょうか?

その原動力の一旦を垣間見るために、彼らの日常生活を調べていくうちに、宗教がかなりの影響を与えている可能性があり、そのため、彼らを取り巻く外圧と、それに対して彼らのとった行動を追いながら、“シュメール人の宗教”について調べてみることにしました。

続きは、下をポチッとして進んでください :m146:
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2008年07月22日

メソポタミアの婚姻制

[Ⅴメソポタミア文明]

みなさん、こんばんは~ :m017:

メソポタミアの追求、シュメールの交易文字の誕生①~記録の必要性から文字が生まれた~に続きます :m071:

略奪闘争 :m273: の火ぶたが切られたメソポタミアを知るにあたって、その婚姻制はどんなものだったのか?は大きな注目点 :shock: です。

っと、その前に :m042: 、婚姻制は集団や集団の置かれた外圧(気候風土)に大きく左右されます。メソポタミアはどうだったのでしょうか?

砂漠型(ツンドラ、ステップ、砂漠+オアシス、サバンナの4類型がある)と称される風土に進出した遊牧部族は、西アジアにコーカソイド、中央~東アジアにモンゴロイドがいます(林さんの挙げられていたアフリカは一旦おきユーラシア大陸を想定します)。遊牧は、遊牧している野生の有蹄類の群れにくっついて移動する生産様式ですが、梅棹忠夫氏によると、家畜の子どもを人質に取ることによって母親を逃げられないようにして、子どもに乳を飲ませる際に人間が搾りとるという技術と、大多数のオスを去勢することによって群れの中にとどめたまま、群れの統制を保つ技術の、二つの技術を前提として完成したとされています。農耕に匹敵する人工的な加工が施された家畜は、蓄財意識を芽生えさすに十分だったと思われます。  まして小集団(小氏族)で移動するという闘争集団ゆえに、男原理の父系集団に移行すると、嫁取りのための婚資(=相当数の家畜)を蓄財することを第一義とする私益集団と化していきます。私益集団から掠奪集団が生まれるのは時間の問題と考えられます。
上記は、るいネット『風土、生産様式、婚姻制』より頂きました。


どうも婚姻制と蓄財意識 :m262: とは関わりが深そうですね。
蓄財意識や私有意識は、日本での縄文から弥生への転換点など、他シリーズでも追求中な、歴史を追及する上で大事なポイント :m034: になっていますよね。

では、メソポタミアの婚姻制を少しずつ :m108: 解明してゆきたいと思います。
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2008年07月13日

文字の誕生① ~記録の必要性から文字が生まれた~

[Ⅴメソポタミア文明]

 こんばんは、カッピカピです。
 
 文字の起源については、このブログでも何回か取り上げておりましたが、今回改めて、文字の起源について、シリーズ形式にてまとめてみようと思います。

 それでは、第一回目『記録の必要性から文字が生まれた』をどうぞ~。

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2008年06月11日

シュメール人ってどんな人たち?

[Ⅴメソポタミア文明]

メソポタミアを調べていると、いつも出てくるシュメール人 :m003:

彼らが一体どういった人々なのか?
彼らについて、分かっている限りの情報を集めてみました :m026:

下記のボタンをポチッと押してから進んでください :m026:


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2008年06月10日

最古の戦争跡地!ガウラ遺跡

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは~ :m017:

最近の若者は、「戦争はダメ :m252: !」で思考停止 :m097: するのではなく、「戦争はやめることができると思う」、だから、「どうして戦争が始まったのか?そこが知りたい :m103: :m051: 」 そうストレートに発信してくれます。

いったいいつから、略奪闘争が始まったのでしょうか?
それは、どのようなきっかけからなんでしょうか?
どの民族(?)からなんでしょうか?

以前、hiroshiさんが、メソポタミアでの戦争の起源について書かれた記事がありましたね :wink:

・ガウラではXⅡ層(ウバイド終末期※約6200年ごろ)から、XIA層(ウルク前期併行※約5800年前)にかけて、ウバイド期の平和的あるいは平等的性格とまったく異なり、争いや対立という面が強くでてくる(Tober 1950)。 ガウラXIA層の集落北端の施設からは、大量の土製投弾が出土していることから、この施設は集落北端の入り口を防御するための見張り台とされる。さらに別の円形の施設からは、多くの石斧、棍棒頭や石鎚などが出土しており内城とされる。

この、テル・ガウラ遺跡について今日は紹介します。応援お願いします :m023:
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ありがとうございます :m022:

posted by mituko : | |

2008年04月16日

ユダヤ教に繋がるメソポタミアの宗教

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちわちわわです。

古代エジプトの宗教観を探る前にメソポタミアの宗教の変遷を概略押えておこうと思います。
mesopotamia1.gif
■シュメールの都市国家
  それぞれの都市の市神(土着の神)
          ↓
  末端の神々を統合する天空の神アン=宗教の誕生
          ↓
■アッカド王朝時代
  王そのものが神になる。
          ↓
■アッシリア王朝時代
  神の一本化(一神教への流れ)英雄神マルドゥーク。
          ↓
■古代ペルシャ帝国時代
  ゾロアスター教(善と悪の二元論・一神教)
          ↓
      ユダヤ教の誕生
         
多神教から、今日のユダヤ教、イスラム教、キリスト教へ繋がる一神教への流れがメソポタミアのっ宗教の流れです。
概略すぎますんでまず↓↓これ押してから・・・
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posted by tiwawa : | |

2008年02月25日

旧大陸における鉄器の発達の歴史

[Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

こんにちは。歴史書の中で最初に鉄器を武器として使用したのはヒッタイトですね。
その後メソポタミアから周辺地域に鉄器の使用が広がっていきますが、今日は旧大陸における鉄器の発達の歴史と、その背景について調べ調べてみました。

いつものように応援よろしくお願いします。 :nihi:
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posted by saah : | |

2008年02月19日

旧約聖書にみる、シュメール文化

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは~ :m017: みつこ :D です。

ちょいと突然ではありますが、今日はメソポタミア文明について :nihi:

みなさん、『旧約聖書』 :m061: って知ってますか?
どのように神が人間を作ったか?とか、出エジプト記だとかが書かれてあるものです。ユダヤ教の聖典でもありますよね。

神 :m081: を正当化するために作られた『お話』だろう~って風にしか思っていなかったのですが、実はメソポタミア文明の担い手であるシュメール人たちの文化の影響も結構あるようなのです :shock:

案外そこを抽出すれば、当時のメソポタミアの様子をもっと探れるかもしれません :wink:

一緒に探ろう!って思われた方、ぜひポチっとお願いします :m023:
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ありがとうございます :m022:

posted by mituko : | |

2007年12月24日

交易文明トランス・エラムの商人がインダス文明を形成

[Ⅴメソポタミア文明]

 古代メソポタミアで重宝された石にラピスラズリという石があります。瑠璃色のきれいな石ですが、この石を原産地のアフガニスタン北東部から、メソポタミアに運ぶ道が「ラピスラズリの道」と呼ばれています。その道は、ラピスラズリだけではなく、金・銀といった貴金属が運ばれたようです。

stn_lapis_hindukusha.jpg  stn_lapis_raw.jpg

ラピスラズリの道 ヘラート/アフガニスタン   ラピスラズリ(瑠璃)の原石
写真は(ラピスラズリ「天空の破片」より)

 この道は、トランス・エラム文明と呼ばれる商人都市の交易ネットワークであり、このネットワークに連なる形でインダス文明や、海上ルート上にペルシャ湾岸の古代交易都市が開発されていったようです。

posted by ihiro : | |

2007年12月03日

西アジアにおける戦争の起源と拡大 ~ 『都市誕生の考古学』より~

[Ⅴメソポタミア文明]

くまなさんが世界の戦争の起源を詳しく調べていましたが、
世界の戦争起源(戦争の考古学より)
その中でも、最も古そうで遺跡も多い西アジア地域について、さらに調べてみました。『都市誕生の考古学』では特に以下の考古学的証拠から、戦争の跡を探っています。

①-守りの村=防禦集落(高地集落、環濠集落、防壁、壕、防禦柵など)
②-武器

posted by ihiro : | |

2007年11月17日

教科書では教えてくれない(遊牧の起源) 西アジア~中央アジア~中国年表

[Ⅳ中国文明][Ⅴメソポタミア文明]

遊牧の起源を押える為に、るいNETWORK掲示版の「遊牧の起源と特異性」の有用な投稿を、頭を整理する為に以前に投稿した「教科書では教えてくれない中国年表」に追記して見ました。

この作業を通じて感じたことは、遊牧における各々の時代の投稿内容が、実に良く連関していることが分かりました。
更に驚いたことは、「遊牧の起源と特異性」の年表が、先に投稿した「黄河文明と長江文明」の年表に繋がったことです。又、この2つの年表を繋げたのは、BC11000年:ヤンガードリアスの寒冷化、BC6500年:ローレンスタイド氷床融解、BC4000年:北緯35度以南の乾燥・砂漠化、BC2000年:火山爆発で灰が空を覆う。といった大きな環境変化でした。この人類史を知りたい方は是非、見てください!!!遊牧の起源を追求したい人はポチッと押してね!

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「教科書では教えてくれない(遊牧の起源) 西アジア~中央アジア~中国年表」
ファイルをダウンロード

年表の構成は、時代毎に、「気候変動=環境外圧」⇒エポック⇒闘争区分(ここは中国のみの記載です)⇒交易・情報伝播⇒黄河文明⇒長江文明⇒中央アジア・モンゴル(遊牧の変遷)⇒西アジア(遊牧の変遷)を見ていくようにしています。追記した中央アジア・モンゴル、西アジアに青色で網掛けしています。又、追記した文字は濃い緑色で記載しています。最上段の気候変動、環境外圧の欄の青文字と関連しながら見ていくと、遊牧民族の発生から騎馬民族への変遷過程が見えてくると思います。
基本的に生物は外圧適応態と言われていますが、この年表を通じて人類も例外では無かったと理解出来ます。尚、年表に記載されている参考NO(例msg:○○○)の投稿を張り付けておきます。
(尚、【 】内は私の疑問で、投稿とは関係ありません。)
時間を要しますが一読しながら年表を見ると、教科書には書かれていない西アジア~中央アジア~中国の歴史が、そして遊牧民族の起源が見えてくると思います。
皆様の役にたてば嬉しいです。一緒に追求して行きましょう。

・投稿「131588」:環境史からみた西アジア(農耕~略奪の起源)
・投稿「85771」:ステップ地帯へ拡散して同類闘争を回避したレヴァント南部の採集部族→遊牧の起源?
・投稿84104:農耕・牧畜が始まった地域における自然圧力の変化(気候変動)
・投稿52477:ステップ遊牧民と砂漠・オアシス遊牧民の起源
・投稿94845:西アジアの気候変動①(8200~7800年前ミニ氷河時代、7800~5800年前気候最適期)
・投稿131577: 5800年~4200年前の西アジア(乾燥化による略奪闘争の開始)
・投稿52832:最初の遊牧民は徒歩移動
・投稿92143:遊牧民族の登場から私権国家の成立まで
・投稿152412:遊牧と騎乗
・投稿141984:遊牧は牧畜の遠征から始まった

posted by sakashun : | |

2007年09月02日

ユダヤ5000年の教え:“お金”のことわざより

[Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

こんばんは、Hiroshiです。

今日は、お金のことわざについて。それも、世界の富を動かすユダヤの人々のお金に関することわざについて調べてみました。彼らのお金への意識が見えてきます。

51G668MSFQL._AA240_.jpg

posted by ihiro : | |

2007年05月23日

遊牧民族の統合例

[Ⅳ中国文明][Ⅴメソポタミア文明]

こんにちは。○です。

以前の記事でも取り扱われていましたが、今回は遊牧民族についての記事を・・・。

遊牧部族はその機動性から、戦争において卓越した戦力を保有していました :tikara:
当然、歩兵中心の敵を蹴散らすのは造作も無い事です。
中国は宋の時代に、17名の騎馬兵に対し2000の歩兵で敗退する、というようなことまであったようですから、その戦力差はかなりのものだったようです。

そんな圧倒的な戦力をもった遊牧部族ですが実は大きな弱点があったのでした・・・ :m002:

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posted by maru : | |

2007年05月21日

世界文明 vs 縄文・・・・そして反転がはじまる!?

[Ⅰ文明前夜・石器時代・巨石文明][Ⅱ縄文時代][Ⅳ中国文明][Ⅴメソポタミア文明][Ⅵエジプト・インダス文明][Ⅶギリシャ・ローマ文明][Ⅷマヤ・アステカ・インカ文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

この↓図版をみて、驚いた。1万年が一目瞭然!注目です。
 
%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%88%A5%E6%96%87%E6%98%8E.jpg
 ※この図は佐原真氏の作成らしい、秀逸です。図は「国民の歴史」より
  スキャンしたので、傾いて粗っぽい画像ですみません。                                                                          

↓1万年の解明、応援よろしくお願いしま~す
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posted by ihiro : | |

2007年05月09日

パレスチナ問題の根本原因は旧約聖書の中にある!?

[Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

 こんばんは、カッピカピです。

 以前、べジーが古代イスラエル王国建国までの道のりと分裂までを書いてくれました。
 
 その後、約2千年の時を経て、ユダヤ人は中東のパレスチナにイスラエルを建国しました。

 このことで、たくさんの問題が発生していることは皆さんも少なからずニュースや新聞などで知っていると思います。詳しくは→ちわわさんの記事

 元々、パレスチナに住んでいたアラブ人を追い出す形でイスラエルを建国したユダヤ人に対して、アラブ人が反発するのは当たり前と言えば当たり前の話です。

 だたここで不思議なのが、「パレスチナの地に強引に割り込んできたユダヤ人・ユダヤ教を、他の宗教・各国が正面切って反対できなかったこと」なんです。

 調べてみると・・・・続きはポチッと押してからどうぞ!

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posted by hi-ro : | |

2007年05月08日

現在のイスラエル建国とパレスチナ問題

[Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

こんにちわちわわです。

現在のイスラエルがどうやってできたのか、古代文明とはかけ離れますが、とりあえず。
map.gif

①第一次世界大戦において、トルコの統治下にあったアラブ人たちに対してトルコへの武装蜂起を呼びかけ、その対価として、1915年この地域の独立を認めた。(マクマホン協定)

②他方、膨大な戦費を必要としていたイギリスは、ユダヤ人国家の建設を支持する書簡をだし、ロスチャイルド家からの資金援助を得ることに成功した。(バルフォア宣言)。

③しかしイギリスは同じ連合国であったフランス、ロシアとの間でも大戦後の中東地域の分割を協議しており、本来の狙いはこの地域の直接支配であった(サイクス=ピコ協定)。

これはイギリスの「三枚舌外交」
と言われています。。
アラブ人には独立を認め、ユダヤ人には建国を認め、連合国には領土分割を協議するとった八方美人の態度です。後にロシアのレーニンによって全て暴かれました。

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次はアメリカの企みが・・・

posted by tiwawa : | |

2007年05月03日

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教

[Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

前回、十字軍について書きましたが(こちら)、調べる中で実はもう一つ驚いたことがあるんです。

ひょっとして常識 :m196: :m186: かもしないけど、私はそーとー驚きました :m051:
ゼヒ、読んでください :m023: :m023:

応援もお願いします。
  :m118:    :m118:
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posted by pingu : | |

2007年04月23日

彩文土器の色々 ホント色々ですよ

[Ⅴメソポタミア文明]

:shock: 縄文土器の話ではなくメソポタミアの土器の話です。 :shock:

皆さんもご存知のように彩文土器ですが、有名なウバイド土器を始まりとして、世界各地に広がっています。広まった原因は侵略と交易によるものでしょうが、どこまで広がったと言うと
>地中海のミノス文化からミケーネ文明、エジプト、メソポタミア、インダス各文明、ルーマニアやハンガリーなどドナウ川流域、ドニエプル川やトルキスタンなどに分布。日本では弥生式土器のなかにこの形式が残っている。<と南風博物館にありました。
最後は日本の弥生式土器にも繫がっているとのこと。ちょっと驚き。 :roll:
そこで今日は写真で変遷を紹介したいと思います.
その前に
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posted by dokidoki : | |

2007年04月22日

農業と文明と環境の関係

[Ⅰ文明前夜・石器時代・巨石文明][Ⅱ縄文時代][Ⅳ中国文明][Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

農業は産業革命と並んで文明発展の転換点となったといわれていますが、「人類は何故農業を始めたのか」、またその「農業が生んだ古代文明はその農業の失敗によって滅んだ」という視点から「ユーラシア1万年の農業史から人類の未来を考える 」取り組みをしている人を紹介しよう。


%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%B4%8B%E4%B8%80%E9%83%8E.jpg佐藤洋一郎

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posted by ryujin : | |

2007年04月20日

文字の不思議

[Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

文字の起源っていつごろか知ってますか? :-)
世界最古の文字は、古代メソポタミアのシュメールの絵文字と言われているそうです。
メソポタミアの楔形文字も最初は象形文字(絵文字)が出発点だったと言うのが、現在では定説らしいです。 :roll:

古代の文字が実際にどんな文字だったのか覗いてみませんか? :D
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By ヒロシ

posted by hiroshi : | |

2007年04月19日

法典石碑を建てたハンムラビ王の状況に同化してみる。

[Ⅴメソポタミア文明]

メソポタミヤ社会を知る上で欠かせないのが「ハンムラビ法典」です。 (今回も南風博物館さんから引用させていただきます。) ハンムラビ法典は、野蛮な復讐の法として有名ですが、実際はそうではなく当時の社会を秩序化するために考え出された新しい政策だったようです。
ちょっと、ハンムラビ王の状況に同化してみてみましょう!!
%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%93%E6%B3%95%E5%85%B8.jpg >
注:写真が法典の原文とされている石碑です。高さは2.2m(実際見た人は「思ったより大きかった!」という人が多い)で頂部にレリーフ、下部は楔形文字がびっしりと彫られています。レリーフは当然、ハムラビ王(左側の立っている人)で、神様(右側の座っている人)から杖と輪を授かっています。

この先は↓↓を押してよんでくださいね。
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posted by nandeya : | |

2007年04月18日

古代イスラエル王国建国まで

[Ⅴメソポタミア文明]

こんちゃ!ベジーです :m026:
ユダヤ民族を追いながら、古代のイスラエルが出来るまでを調べてみました。

ユダヤ民族は、もともと遊牧部族セム族の一派で、彼らはレバント地域(今のパレスチナ・レバノン地域)で、安定的な縄張りを確保できなかった民族でした。

また、彼らは縄張り確保できなかった故に、民族内の殺し合いにまで至った民族でもあります。
しかし、いくら民族内の殺し合いをして人口を減らしても、縄張りが確保できるはずもなく、ユダヤ民族は、レバント地方からエジプトに移り住みます。


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posted by jomon10 : | |

2007年04月17日

イスラエルに起源を探る。

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちわちわわです。

今でも火種が絶えないパレスチナ問題。

主役はイスラエル=ユダヤ人です。

紀元前11世紀、古代イスラエル誕生から、第一次大戦後1948年に独立宣言するまで

アッシリア、新バビロニア、ペルシャ王国、マケドニア王国、プトレマイオス朝、セレウコス朝、ローマ帝国、東ローマ帝国、イスラム帝国、十字軍、マルムーク朝、オスマン帝国、英国に支配され続けてきました。
何故こんなに血みどろの戦いをしつづけ、現在もその火種がおさまらないのか?
イスラエルに迫ってみます。

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posted by tiwawa : | |

2007年04月05日

飢饉に見舞われた遊牧民の例

[Ⅴメソポタミア文明]

:D くまなです。

前回は、神だのみも、王への支援要請も叶わなかった遊牧民が決死航→死にもの狂いの戦い、あるいは都市定住、離散→夜盗化へと踏み出すことを紹介しました。今回は、そのような部族の実例を紹介します。

ところで、アラビア半島はそもそも乾燥している地域です。
旱魃っていったいどのぐらいの頻度で起こっていたのでしょうか?

参考になるデータがあります。

表 近世以降のアラビア半島の主な旱魃と飢饉
kanbatu.bmp
(出典:丸井英二編「飢餓」-堀内勝「牧畜民の飢餓観」より)


近世以降では、10~20年に一度は旱魃→飢饉に見舞われていたようです。
人生のうち何度も飢饉→餓死の恐怖に見舞われるわけですから、過酷な外圧状況だといっていいでしょう。

さらに、その状況では、一帯の部族が決死航を開始するわけですから、自然外圧だけでなく、部族同士の同類圧力も凄まじいはずです。まさに死にもの狂いの戦いです。

その具体事例を見てみましょう。

posted by kumana : | |

メソポタミアの美術から類推できること

[Ⅴメソポタミア文明]

美術の変遷はそのときの時代状況を類推する助けになります。今日は、メソポタミアの美術を手がかりに、時代状況を探ってみます。素材はまたまたお世話になっている「南風博物館」より引用させていただいています。続きをはこちら :D  Byヒロシ

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posted by hiroshi : | |

2007年04月04日

遊牧民は飢饉で決死航、一部は夜盗化あるいは都市定住

[Ⅴメソポタミア文明]

:D くまなです。

前回は、アラブの遊牧民が、旱魃→飢饉に際して、神だのみがダメな場合、王への支援要請をすることを紹介しました。

それもダメならどうしたのでしょうか。

舞台は、↓アラビア半島です。
saudi_arabia_map.gif


旱魃があまりに激しかったり、長期間に及ぶと、ただでさえ可住地ではない砂漠の遊牧民は、移動を開始する。この移動はいつもの定まった移動とは異なる。

なぜなら、自部族の領域には家畜はもちろんのこと、部族員を救える牧草、水場がなくなってしまったからであり、自部族領を超えて旱魃から免れた地域、大河の流域に移動せねばならないからである。

このことは遠方の部族を頼るにしても己の部族とは無縁であったり、敵対部族の領土に身を投ずることになるし、またその領土を通過することになる。

そのさいの危険性は襲撃の対象にもなり、死にものぐるいの戦さになることは避けられず死と隣り合わせになる。この危険性も敢えて犯さなければならないせっぱつまった状況なのである。

切羽詰っているとはいえ大きくて強い部族はいいが、弱小部族はどうする :m052:

posted by kumana : | |

2007年04月03日

遊牧民は飢饉に際して、その巧みな言葉で、王に支援を要請する

[Ⅴメソポタミア文明]

:D くまなです。

前回は、アラブの遊牧民が、旱魃→飢饉に際して供犠(生け贄)、みそぎ、断食などを行い、神だのみをすることを紹介しました。では、神だのみが一向に効果をあげず、さらに旱魃が飢饉を進行させると彼らはどうするのか?

旱魃というとこんなイメージでしょうか
chikyuno-keikoku10.jpg

さすがにプライドの高い遊牧民も、救援を仰ぐことになる。

血縁ある諸部族、妻・女性を通じての姻族、また友好部族。友好な手づるを利用して牧地の確保、畜牧の分散、水場や食料の分与の以来に奔走する。助け合いの精神が行き届いている砂漠の世界なので、依頼された部族も出来るだけのことはした。

しかし近隣部族だと状況は似ていることも多く、遠隔地にある部族や大河流域を自領に確保する部族のほうが頼り甲斐があった。さらに有効な救援は王都や主要な町に、窮状を訴える使節を派遣し、援助をあおぐことであった。

その言葉巧みなやりとりを紹介します。

(これは旱魃に襲われたキラーブ族のアブー・シャードというベドウィンが、ウマイヤ朝カリフ・ヒシャーム(在位724~743年)に代表を送って助けを求めたときの記録に残るやりとりです。)

posted by kumana : | |

2007年04月02日

アラブ遊牧民の生贄

[Ⅴメソポタミア文明]

:D くまなです。

前回の記事に対するコメント
>殷の殉葬や卑弥呼の事例は、両方ともその時代の支配者=神へ、人を生贄としたのでしょう。(さーねさん)

そこで、生贄について…

生贄は、供犠ともいい神に生きた動物や人間を捧げる行為で、歴史的にも諸民族に見られます。卑弥呼の墓に見られる奴婢の殉葬が生贄だとすると、遊牧系の殷(商)にも見られる習俗であることから遊牧系の宗教観→生贄に対する思想を紐解く必要がありそうです。

彼らの生贄は一般に人間ではなく、ヒツジです。
Zurbaran_-_Agneau.jpg
(写真はLa Tribune del Artより)
元々どうであったかは分かりません。人間の生贄ということでいうなら、マヤ文明やインカ文明(南方系→環太平洋系?)なども紐解く必要がありますが、卑弥呼以前や縄文には見られない習俗なので、北方系(中央・西アジア→モンゴル→朝鮮)伝来の習俗とします。

そこで、その源流であろうアラブの遊牧民の生贄に対する考え方について紹介します。以下は50年ほど前のアラブの遊牧民に関する記述です。

彼らは今日でも旱魃や伝染病などのような公害に際して同様な儀式を行い、人々を悩まし、脅かす悪霊から救うものだと説明している。例えば部族民がコレラの猛威に苦しんでいると、部族長がテントの中央に立ち、つぎのように叫ぶのである、

posted by kumana : | |

2007年03月24日

文字の発明から英雄伝説へ・・・・その目的は?

[Ⅴメソポタミア文明]

文字が発達し文書として残されるようになり、更に進化(?)して「物語」というものが作られるようになりますが、その中でも古代の物語で代表的なものが叙事詩と呼ばれるものですね。内容は英雄伝説的なものが多いようです。
メソポタミアでいうと、想像上のウルク王、ギルガメシュについて書かれた「ギルガメシュ叙事詩」が有名です。

今日はその内容を見ながら、この時代以降に多く出てくる叙事詩がどのような目的で書かれるようになったのかを考えてみたいと思います。

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posted by saah : | |

2007年03月23日

文字の起源 メソポタミア編

[Ⅴメソポタミア文明]

言語学者でない私でも、文字の起源には興味が沸きます。 :-)

文字自体がいくつかの意味を表すのが「表意文字」。文字自体には意味がなく、それらがいくつか組み合わさって意味を成すのを「表音文字」というんだそうです。 :-)

日本語は、表意文字の漢字と表音文字のカナを駆使して表現されています。一方英語は表音文字だけの組み合わせです。 :roll:

最近の絵文字などは、表意文字を超えて感情や空気感までもを伝えようとしているんでしょうかね? :roll:

遡ること数千年、紀元前のメソポタミアの文字の変遷について、お馴染み「南風博物館」に興味深い内容をを見つけたので紹介します。続きを読む前にクリックして!  byヒロシ
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posted by hiroshi : | |

2007年03月21日

文字の起源は市場にあった?

[Ⅴメソポタミア文明]

こんばんは~ :m017:  まだまだ寒いですね。みつこ :D です。

私たちは今文字を当たり前に使っていますが、その起源って意外と新しいんですよ。

言語(コミュニケーション語) :m185: :m186: の起源は、それこそ人類の観念機能獲得時にまで遡れるほど、古い(500万年以上も昔です)のですが、文字記号 :m057: :m062: となるとわずか5000年くらいしか遡らないのです。

というか、アイヌのように文字を持たない民もいるんです。
驚きです :shock:
すべて口承で済んで、文字は必要ではなかったということなんでしょうね。

なので、なぜ文字記号(文字の起源?)が登場したか :m050:  その必然性に、2回シリーズで迫ってみようと思います。

励みになります :m072:  応援ポチっとよろしくお願いします。
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posted by mituko : | |

2007年03月20日

馬の家畜化により製鉄技術向上と戦争が激化した

[Ⅳ中国文明][Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

 こんにちは、ベジ紀です。

 カッピカピさんやtanoさんが投稿されていますが、馬の家畜化は羊、牛、山羊に比べ、遅かったようですね。

 それには、馬はなかなかいうことを聞かず、しかも乗りづらく、乗ったら乗ったで、すぐに振り落とされる。しかも、うかつに馬の後ろに立てば、ものすごい力で蹴り上げられる。
 などなど、様々な理由がありそうですが、遊牧民が馬に着目したのは、その力にあったのではないでしょうか。
 そして彼らは、その馬の力を引き出すために、技術と道具を次々に生み出していった。


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posted by jomon10 : | |

2007年03月07日

騎乗技術が遊牧民族を巨大な軍事国家へと後押しした?

[Ⅳ中国文明][Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

こんにちは、カッピカピです。

 昨日のちわわさんの記事を受けて、遊牧民族と馬の関係について少し調べてみました。

 馬が家畜化されたのは、紀元前3000年~4000年頃と言われており、現存する家畜の中で、家畜化が最も遅かったそうです。

 馬の人類への貢献度としてもっとも大きな比重を占めるのは、この動物の労働としての有用性の高さだと言われています。

 すなわち・・・

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posted by hi-ro : | |

2007年03月06日

馬が強大な軍事国家を作り出した。

[Ⅳ中国文明][Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

こんにちわちわわです。

狩猟・採集で犬が活躍したように、家畜の歴史は人間と深い関わりを持ちます。では、馬は人間とどのように関わってきたのでしょうか。
images.jpg

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posted by tiwawa : | |

2007年02月21日

貨幣もバイリンガル?!

[Ⅳ中国文明][Ⅴメソポタミア文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

こんばんは :m017:  みつこ :D です。
さーねさんの記事『殷(商)王朝~貝貨という幻想』とても興味深かったです。
で、貨幣についてあれこれネットサーフィンしていたら、同じ参考HP :m108: で面白い記事を発見しました!

先日のなんでや劇場で「王様交易(大遠征交易)」と名づけられた、古代交易の代表格シルクロードにまつわる貨幣です!

シルクロードのどのあたりかって言いますと、、、、
このあたり :m118: :m118: :m118:
E06map05.jpg

どんな貨幣~ :m050: って思った方はポチっと応援の後、読んでね。
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posted by mituko : | |

2007年02月08日

神の位置づけと統治の方法はどんな関係があるのか

[Ⅴメソポタミア文明]

周辺諸国を征服し従えていった王が、その行為の正当化の為に上手く神の存在を利用した様子が前回までのレポートで伺えましたが、今日は神格化した王と、統治の関係がその後どうなっていったのかを調べてみました。

王=神
にまでなり、絶対的権力を手にした王は、その後支配下の国の民をどのように統治していったのでしょう?
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posted by saah : | |

2007年02月02日

神様にも人気、不人気があった。

[Ⅴメソポタミア文明]

アッシリアの事ですから、釈迦や孔子が生まれる少し前の話。
前にも登場したナラム・シンがいたアッカドの時代からすると1500年も後の事です。

元々アッシリアはアッシュールの市神である「アッシュール」が最高神であったのですが、アッシリアがバビロンを制覇した後は、元々はバビロンの市神であった「マルドゥーク」にその位置がとって替えられたようです。なぜでしょう :m134:

征服された側が征服した側の神様を信仰する様に強いられるのは分かりやすけど、どうしてその逆が起こったのか?不思議な気がしませんか :m134: :m134:

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posted by dokidoki : | |

2007年01月29日

シュメール人の都市国家統合手法

[Ⅴメソポタミア文明]

メソポタミア地方の都市国家を統合したシュメール人は、どのような手法で統合したのであろうか?

古代シュメール人が、メソポタミア地方を統合する手法は、武力で強制的に服従させたイメージを持っていましたが、かなり高度な統治方法を持っていたようです。
この頃のメソポタミアでは各都市毎に守護神を持っており、その守護神信仰を上手に利用したものと理解できます。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_rel.htmlのメソポタミア宗教史によると

>2.シュメール人による神々
すべてのものに宿る神々は、それぞれの格を数字で表していた。最高は60で、格が下がるごとに数が減っていくのである。この世に共通するものに関する神はそれだけ格が上で、各都市の神とは主従の関係をなしていたと思われる。・・・・・・・・

によく表わされています。

大集団の統合手法は、力を背景として、各都市の守護神に序列を付けを行いそして民衆の統合軸であった守護神宗教を多いに利用したのでしょう。

その事は、宗教の語源が「参加すること、結合すること」にあったことを思うと理解できます。

>「宗教」の語源は、幕末期にReligionの訳語にあたる語が必要になるにあたり、宗教一般をさす語として採用された語である。一般には明治初期に広まった。この元になった単語 Religion は、ラテン語の単語 religare から生じた語である。religare はもともと「参加すること、結合すること」という単語であり、そこから人間と神をつなぐこと(縁)を意味すると理解されていた。
参考フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

posted by ryou : | |

2007年01月28日

まずは神々の役割に序列を与えた

[Ⅴメソポタミア文明]

古代メソポタミアにおいては、近隣の国々を次から次へとその支配下に置き、被支配部族を統治 :tikara: するのに信仰心を上手く利用したことが当時の神々の神話 :m260: からうかがえます。

今日はかつての神々の役割を見ながら、神々の役割づくりと、人々をどうやって序列統合していったのか、その辺の関係を見てみたいと思います。

続きを読みたい方はまず下 :m118: のボタンを押して下さいね。宜しく♪ :nihi:
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posted by saah : | |

2007年01月27日

メソポタミヤの守護神は男優位?

[Ⅴメソポタミア文明]

メソポタミアの守護神は支配者の正当化の為に作られたと同時に、その統治が男主導でなければならない事を観念的に固定しようとしているのではないか?

守護神は人格化されていて男神女神があるが、記録に残っている守護神を見ると・・・

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美の女神イナンナ(画像は南風博物館さんから引用)

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posted by nandeya : | |

2007年01月25日

宗教と観念支配

[Ⅴメソポタミア文明]

時代による都市や国家の支配形態を探るには、その時の宗教の変化が参考になります。宗教はそもそも、人々の行動に大きな影響を与える観念ですから、その観念を巧みに操れば、民衆を服従させることも可能になるわけです。このような観念操作はいつ頃から始まっていたのでしょう。 :roll:

posted by hiroshi : | |

2007年01月23日

人類の起源を語った神話

[Ⅴメソポタミア文明]

お久しぶりの ちわわ です。

今では食物連鎖の頂点に立ち、世界で65億人にまで膨れ上がった人類ですが、人類の起源は何なのか?
古代の人達は神話でさまざまな説を語っています。

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 世界各地に、人類の起源を語った神話がある。中国の神話では、女神が泥から人間をつくったとある。最初はひとりづつ丁寧に作っていたのだが、やがて面倒になったのか、泥の中に綱をひきずって、跳ね上げた土をそのまま人間にしたのだそうだ。きちんと作ったものは富貴な人となり、いいかげんに作ったものは卑賤な人間になったという。
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 また、キリスト教徒が「旧約聖書」とよぶユダヤ教の聖典では、神が土の塵からアダムという男がつくられ、アダムの肋骨からイブとよばれる女がつくられたとある。その他、北欧神話は木から、マヤの神話はトウモロコシから人間が生まれたと語っている。

http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history01.html

 残念ながら、そのような夢とロマン(?)にあふれた神話群は、現在ではあまり面白みのない「進化論」にとってかわられ、忘れられてしまっています。人類とは猿から枝分かれした種で、生物学上は霊長目のなかのヒト科ヒト属となり、ヒト科をほかのサルたちと区別するポイントは、「直立二足歩行をする」かどうかで、脳の大きさなどは分類には関係ないそうです。

実現論では人類の起源は「樹上から落ちたカタワの猿」と定義していますが、直立2足歩行は人類にとって何故必要だったのでしょうか。

posted by tiwawa : | |

2007年01月22日

古代市場1:貨幣(コイン)の始まり~国家(支配者)が発行した~

[Ⅴメソポタミア文明]

こんにちは、Hiroshiです。
最近縄文と文明も、縄文・メソポタミアから中国も含め範囲が広がってきましたね。
さらに深く追求するため、数回にわたって古代の市場を追求してみたいと思います。ここでは西アジアから地中海が舞台になると思います。

まずみなさんが普段使っている“お金”(貨幣、コイン)の起源から入りたいとおもいます。
お金っていつ頃なんのためにできてきたのでしょうか?

まずは、世界で最初のお金(コイン)はこれ!
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[■リディア王国 BC7世紀頃 1/3ステーターEL貨(4.7g , 11mm)
 表:咆哮するライオンの頭部 裏:不定形の刻印]

>ヘロドトスほか古来の伝承が伝えていることは、円型の金属片に刻印を打ったコインの発明はリュディアのギュゲス王の仕事であったということである。彼は紀元前670年に金73%、銀27%の合金であるエレクトロンのコインを作成したのである。(『文明の「血液」』)

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posted by ihiro : | |

2007年01月13日

王の神格化も段階がある?

[Ⅴメソポタミア文明]

王の神格化にも段階があるようです。

メソポタミアにおいてはナラム・シンのように神格化した王は、実は数が少ないそうです。
又ナラム・シンという名も「シン神の最愛の者」と言う意味で人間社会の運命を大神にとりなす神つまり個人神のような立場の神に神格化されたと考えられているようです。
つまりこの段階は大神(最高神)との同一化までいっていない :roll:
では何時、どこで :m134:

さて 続きの前に
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posted by dokidoki : | |

2007年01月12日

精霊信仰の変化:カーバ神殿の黒石

[Ⅴメソポタミア文明]

メソポタミヤの信仰ではシュメール以降の人格神の神話が有名ですが、そういう神話ができる前はどうだったのだろうか? 
ところがメソポタミヤ地域では「信仰」とよべるものはなかなか見あたらないので、範囲を広げて遊牧部族の信仰はどうだったか?をみた方が有効かもしれません。

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そこで、イスラムの聖地のさらに昔々を探ってみます。

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posted by nandeya : | |

2007年01月11日

守護神の格付けと都市間の序列は関係ある?

[Ⅴメソポタミア文明]

初投稿の、ぶんと申します。みつこさん同様、少しづつですが勉強していきたいと思います。よろしくお願いします :blush:

今回は、hiroshiさん (12月22日投稿)の投稿

>2.自然神信仰が人格神信仰に変わったのはなんで?

について。特に、

神たちは数字によって格が決められていたようです。あたかも人間社会を神の世界に投影したようです。その背景はなんでしょうか?

について、調べてみたと思います :o
ねらいとしては、メソポタミア神話の神様とその格付け、そして、その神を守護神としていた都市について調べることで、守護神の格付けが都市間の序列と関係があるのかどうか?が見えてくればと思うのですが・・・
今回はその一歩目ということで・・・都市がどのランクの神を守護神としているのか調べてみました。

一緒に探って見たいと思った方、ぽちっとお願いします。
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posted by bunbun : | |

2007年01月05日

神話の謎に迫る

[Ⅴメソポタミア文明]

>日本の神話はかなり政治色が強く、古事記や日本書紀が天皇制を神格化する為にでっちあげたという説が最近は有力です。<と、以前tanoさんがコメントされていますが、詳しく調べてみたいと思います。

神話は、何のために、どのように書き換えられたのか?が分かれば事実もおぼろげながら見えてくるのでは?、また守護神信仰の変遷(自然神→人格神→神官→神と王の一体化)と重ね合わせながら、その片鱗が見えてくればと思います。


●まずは、古事記って?
稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を、和銅五年(712年)太朝臣安萬侶(太安万侶。)によって編纂され献上された日本最古の歴史書。

●では、日本書紀って?
奈良時代に成立し日本における伝存最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、720年(養老4年)に完成した。

以上は一般に言われていることですが、さて中身は?

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posted by nishipa : | |

神々は、敬う存在から民を支配する為に利用される存在に変わった

[Ⅴメソポタミア文明]

前回はアッカド王朝時代のナラム・シンという王様のことを紹介しました。
王こそ神であると称したこの王様の意識は、まさしく神様とは自分達を守ってくれる存在というよりは、神=尊厳な存在であり、その神と自分は同一であるから自分は全ての民の上に立ち支配する必要がある、といっているわけですね。 :evil:

これに関しては古代の「神」に対する扱いの変遷がよくわかる投稿がありました。

続きを読む前にまずはボタンを押してください
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posted by saah : | |

2006年12月24日

神々はついに人間と同じになった!?

[Ⅴメソポタミア文明]

神々に対する信仰の変遷を見てゆく中で、私もメソポタミアの神話を調べています。もともと崇め敬う存在だった神様が、いつしか人間と同じように扱われていく様はたいへん興味があります。

今日はそんな中から、ついに神と同等の立場に立った人間の事例を紹介します。 :nihi:

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posted by saah : | |

2006年12月22日

神様が時代とともに姿を変えたのは何で?

[Ⅴメソポタミア文明]

「困ったときの神頼み」「ああ神様、仏様!!」・・・普段はあまり、神様とか宗教とか、身近に感じませんが、人間、本当にどうしようもなくなると、人知を超えたものにすがりたくなるようです。ということは、神様や宗教っていうのは、人間が自分達で解決できない難題に直面したとき、やむにやまれず生み出したものなのかもしれません。
 でも、神様と一口に言っても、その時代、時代によって、結構姿かたちを変えているのです。ということは、その時の時代がどんな状況だったかを考えると、神様の形も見えてくるのかもしれません。

 ここでは、古代メソポタミアの信仰や神の形の変化を3つの「なんで?」に分けて考えていきたいと思います。続きを読む・・・
 
 

posted by hiroshi : | |

2006年12月21日

信仰や宗教が生まれたのはなんで?(メソポタミヤ版)を追求してみませんか?

[Ⅴメソポタミア文明]

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12月17日のなんでや劇場では「武力支配国家」と「宗教」の成立が扱われました。

世界史のなかでもメソポタミヤ地域は、最も古くから掠奪闘争が繰り返された地域であり、その闘争の中でより強力な武力支配国家が次々と出現し淘汰されて武力支配国家の原型が出来上がっていった訳ですが、そこでは「守護神信仰」というものが武力支配国家の成立に大きな働きをした事が扱われました。
日本でも古代国家の成立期のシャーマンである卑弥呼や国造りの神話が現れたように、信仰や宗教は(現実的な武力による支配と共に)統合上必要だったのだと思われます。

まずは
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posted by nandeya : | |

2006年12月10日

武力統合のために「超越神」が必要だった

[Ⅴメソポタミア文明]

今回は宗教のお話しです。

古代宗教の起源はどこにあったのだろうと、少し調べてみました :roll:
「森と人の地球史」より引用すると、

>◎あらゆる自然を神と一体に見る「*マナイズム」
 ◎万物の精霊を神とし、自分たちを護ってくれる先祖の霊を信仰する「*アニミズム」
 ◎祖霊・万物の精霊が憑依し、現世の対話やお告げを行う「シャーマニズム」
 ◎種族を象徴する守護神、特定する主神を祭る「トーテミズム」
 ◎「言霊」によって悪霊を避け幸せを願う、あるいは敵対するものに災いをもたらす「呪術」

>*上田篤『神なき国ニッポン』は、マナイズムを「万物の中で超人間的、あるいは超自然的な力を持つものを畏れる「超人間教」「超自然教」、アニミズムは「精霊教」といってよく、万物にはどんなものにでも肉体の他に精霊がある」とみるものである」と定義している。

精霊信仰~守護神信仰~呪術信仰など、いろいろありますが、
さて、縄文時代はどうだったか?と云うと、

>マツリというハレの日には、男女とも精一杯のおめかしをしてご馳走を並べ、その喜びを祖霊に、森羅万象を形成する自然神に、森の中のありとあらゆる精霊に、種族を守護してくれる守護神に、心からの喜びの祈りや収穫の品を捧げて踊り、ニワトコやヤマブドウなど木の実の酒を飲んでトランス状態となり、神々や精霊と一体になって、笑い泣きまた陶酔の境地の中で歌い舞い明かしただろう。そうしたハレとケという習慣や心情は、かなりの部分いまのわれわれの心の中に継承されてきた。
>恐ろしい地震は「地母神」の怒りであり、火事は「火の神」、噴火は「山の神」、台風は「雨の神」と「風の神」、旱は「天の神」の洪水は「川の神」の、そして津波は「海の神」の怒りであった。縄文の民は過酷な自然現象に自らの罪意識を重ね合わせ、恐れおののいて許しを乞い、あるいは自然の恵みに素直に喜びを表現した。

確かに、地母神信仰などは感覚的に分かりますね。
日本人の心の中には色濃く残っていそうです :-)
ところが、どの文明を見ても、最初は精霊信仰や守護神信仰だったものが、古代国家へと統合されていく段階には超越神なるものが現れていますが、それは何でだろう?


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posted by postgre : | |

2006年11月09日

シュメールってどんなところ?

[Ⅴメソポタミア文明]

田村です。
シュメールについて調べていますが、そもそもシュメールが存在したメソポタミヤ南部とはどんな地域なんでしょうか?調べて見ました。

以下、南風博物館より引用
>メソポタミア文明の発祥の地、メソポタミア南部平原の遺跡を、時代ごとにまとめてみた。
 ティグリス・ユーフラテス川が複雑に入り組み、またその多くの支流が織りなして造りだした広大な平野は、ほとんどが湿地帯であった。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/maps/southernmesopotamia.html

posted by nandeya : | |

2006年10月22日

始原の都市=シュメールの都市

[Ⅴメソポタミア文明]

:m013: :m013: その昔々、はるかかなたの地、紀元前3500年頃になるとメソポタミア南部にシュメールの都市:m013: が現れ始める。

それは、神殿を中核とした城壁に囲まれた都市 だった。 神殿は神(主神)をまつるもので、時代を下るほど巨大になっていき前3100年頃には街を見下ろすほど巨大になっていく。面白いのは当初は、巨大な神殿はあるが、王の宮殿や王墓などはなく、かなり後になって前2700年頃に登場してくることだ。都市の中心は神殿であり、神官が力を持っていたらしい。この頃文字 :m133: も登場してくる。 

shumer_6.jpg

[ウルクの都市予想図、中央にジグラッドが見える]

by Hiroshi

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2006年10月07日

メソポタミア文明:女性の意識

[Ⅴメソポタミア文明]

メソポタミア文明の婚姻制は概ね一夫一婦制で、極端な父系社会であったようです。

メソポタミア文明は様々な王朝の興亡=戦争の歴史が示しているように、支配の歴史でもあります。
そのような、支配圧力の中で部族間圧力も強かったようで、男上位の社会になったものと思われます。

しかも、極端な男尊女卑だったようです。 :m051:
女性の意識に焦点を当てると、なぜそんな男尊女卑の世界になったか :m050: がわかると思います。

さーね

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メソポタミアの文書は初期何に使用されたか

[Ⅴメソポタミア文明]

メソポタミア文明では、現在のところ最古の文書として残るのは、農作物や家畜の数を記録した粘土板だそうです。メソポタミア人にとって所有するということを記憶したり、証明するために文書が必要とされたのではないでしょうか。

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2006年10月02日

オリエント―遠隔地交易人の登場

[Ⅴメソポタミア文明]

長い古代メソポタミアの歴史のなかで交易は発達したが、その中心は遠隔地交易にあった。この遠隔地交易は支配者の必要を満たすものとして、常にその独占と統制の下に置かれた。交易商人は、宮廷の官吏あるいは御用商人、一定の出自を持つ自国人商人、そして居留外国人商人という構成になっていた。

そうした中で、交易都市の形成、関税や通行税の徴収、度量衡の制定、そして法典の制定の必要性が生じてきた。

>この私権「文明」は、人類を含めて全ての生物がその中で育まれ、進化してきた本源集団を破壊した上に築かれている。しかも、

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メソポタミア文明におけるハンムラビ法典の概要。

[Ⅴメソポタミア文明]

紀元前3500年頃、メソポタミア(現在のイラク)に、最古の文明が花開きました。その担い手は、シュメール人といわれています。

彼らは、都市国家を作り、金属器を使い、世界最古の文字を発明しました。この文字は、粘土板にアシの茎を斜めに切ったもので刻まれ、その形状から楔形(くさびがた)文字と呼ばれています。

そして、前1800年頃、この文字を使って書かれた全237条の法典が登場します。これが、「ハンムラビ法典」です。ハンムラビとは、当時メソポタミアを支配していたバビロニア王国の国王の名だそうです。

現代でも言われる「目には目を」。あまりに強烈な印象を与えるこの言葉は、実は、ハンムラビ法典に由来しています。

しかし、その意図は現代の解釈とは異なっている。
現在一般に「やられたらやりかえせ」の意味で使われるが、元来はハンムラビ法典196条に由来している。この法令は、復讐を認めた法と曲解されることがあるが、倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐのがこの条文の本来の趣旨である。


その内容を見ていくと・・・「もしある市民が、他の市民の目をつぶすならば、彼の目をつぶさなければならない」←この部分が「目には目を!」ですね。

また、第200条には、こうあります。

「もしある市民が、彼に対等の市民の歯を打ち折るならば、彼の歯を打ち折らなければならない」

「歯には歯を」なのです。この、「同害復讐」の原則こそ、人類が初めて制定した法なのです。


もっとも、ハンムラビ法典は、カンペキな同害復讐法だったというわけではなく、身分によって刑罰が違っていたようです。たとえば、奴隷の目をつぶしても、自分の目をつぶされることはありません。傷つけた相手が奴隷だからです。その場合には、罰金だけで済みました。あくまでも、支配者階級の法律だったんですね。

また、ハンムラビ法典に基づく裁判は、かなりいいかげんな部分も多く、立証不可能な訴訟に関しては、容疑者を水に投げ込んでみるんだそうです。そして、おぼれて死んだら、彼は有罪、浮かんできた場合は無罪となり、逆に原告の方が虚偽の告発をしたかどで死刑となったんだそうです。(!?
「・・・!?」絶句の一言に尽きますね・・。
補足をしておくとこの場合の投げ込む「水」というのは「選ばれた川」のことである。
当時は川は神聖な場所とされており、川に投げ込むことで審判を神に委ねるといった解釈で行われており、最終審判として行っていたようです。


以下参照。
『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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