2008年09月03日
文字の誕生③~絵文字から楔形文字へ~最終章
こんばんは、カッピカピです。
ついに文字の誕生シリーズも最終回を迎えることになりました。
テーマはズバリ、「絵文字から楔形文字へ」です。

↑粘土板に描かれた楔形文字。
↓楔形文字だけを取り出すとこんな感じ。

この三角と棒のかたまりが、ちゃんと文字になっているなんて不思議ですよね。ちなみにこの楔形文字、見た目がくさびに似ていることから「楔形文字」と名がついたそうです。(くさびとは材木を縦に割る道具のことです。↓)

楔形文字に慣れ親しんだとこで、本編のスタートです。
っと、その前にいつものポチッをお願いします。
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2008年08月21日
古代オリエントの交易 海上編
こんにちわちわわです。
古代オリエントの交易編!今回は海上交易に焦点をあててみます。
アッカド王朝がメソポタミアを統一した前2300年頃から、「ディルムン」「マガン」「メルッハ」という国の名前がさまざまな文書に登場するようになります。
たとえば、初代サルゴン王の碑文には「メルッハの船、マガンの船、ディルムンの船をアッカドの波止場に停泊させた」とあります。「ディルムンの舟をその土地まで動かした、マガンの舟に天高く荷を積んだ」「メルッハから金、銀、銅、紅玉髄、黒檀などがもたらされた」などと記した文献もあります。

3つの国のうち、ディルムンは、「下の海」とよばれたペルシア湾に浮かぶバーレーン島。マガンはさらに東、現在のアラブ首長国連邦やオマーンにあった諸都市。ここでは銅を産出していました。メソポタミアからの距離は、ディルムンは700km、マガンまでは1300kmもあります。
そしてメルッハ国は、ペルシア湾を出てさらに東、インダス川流域やアラビア海沿岸の都市だとみられています。メソポタミアからは実に3000kmも離れています。
はたして、当時の船や航海術で、これほどの遠距離航行が行えたのでしょうか?
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2008年08月20日
シュメール人の宗教って?~その2
こんばんは!!
前回からだいぶ日が経ってしまいましたが、シュメール人の宗教観について、その1で、彼らは自然の中に神々を観、その神々の意思を探り始めるまでを追ってきました。
今回は次いで、彼らが自然の中に神々を見出して、たどり着いた先とは?
について追っていきたいと思います。
続きは、下をポチッとしてからお願いします :m146:
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2008年08月19日
メソポタミアの婚姻制2~持参財って?~
こんばんは~ :m017: みつこ :D です
今日は前回のメソポタミアの婚姻制の続きで、メソポタミアの婚姻をめぐる「持参金」「婦人の対価」「支度金」のうち、女側から男側へ差し出された「持参金(財)」について :m036:
それは、ひつじなどの家畜○頭 だったりしたそうですよ :m101: 。
応援おねがいします :m106:
ありがとうございます :m022:
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2008年08月17日
文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~
こんにちは、カッピカピです。
今日は、「文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~」をみなさんにお届けしたいと思います。
前回、前々回と見逃した方はまずはこちらからどうぞ。
お盆休みも終盤にさしかかりました。ここいらで、しばし、古代文明の旅に出てみましょう!
っとその前にいつもの↓ポチッをお願いします
続きを読む "文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~"
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2008年08月07日
古代オリエントの交易
こんにちわちわわです。
メソポタミアの交易の続編です。今回は国家の関りから、商人の誕生まで!

シュメール人は都市国家から成り、中央集権的な権力や巨大な軍事力ではなく、周辺地域や民族との交易によって繁栄を勝ち得ました。そこには、シュメールが栄えれば同時に周辺の国々も栄えるという相互依存関係がありました。
凶暴なアッシリアが帝国を築くまでは、交易によって安定を保っていたと思われます。
シュメールからの交易品は農民から租税により大量に集積された小麦です。当初は王権主導で交易がなされていましたが、前2000年頃(ウル第三~古バビロニア時代)には、私的な交易商人が登場し、現代の市場社会の礎を築くことになります。
posted by tiwawa : 15:05 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年08月06日
シュメールの余剰穀物、どこと交易してた?
ちわわさんの7月8日の記事で、シュメールが灌漑技術で手に入れた余剰穀物 :m146: によって発展した様子がわかりました :D
この地域は降水量 :m007: は少ないのですが、 :m005: 温暖 :m005: なため用水が確保されれば驚くほどの収量を上げることが出来たのです :m231: :m231: :m231:
このように、水をコントロールしたことで手に入れた大量の余剰穀物を手に、シュメール人は交易を始めます。
さて、その大量の余剰穀物、一体どこでどのようなものと交換されていたのでしょう :m052: :m052:
続きはいつものクリックの後で・・・・
:m118: :m118:
posted by pingu : 23:50 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年08月05日
文字の誕生②~トークンから絵文字へ【前編】~
こんばんは、カッピカピです。
みなさん、お待たせしました。文字の誕生シリーズの第2回目です。タイトルはズバリ、『文字の誕生②~トークンから絵文字へ~』です。
第一回を見逃してしまった人は、ぜひ、『文字の誕生①~記録の必要性から文字が生まれた~』を読んでから、今回の記事を読んで下さいね。
それでは、はじまりです。っとその前に、いつものポチッをお願いします。
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posted by hi-ro : 20:42 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年07月23日
シュメール人の宗教って?~その1
こんばんは!
古代メソポタミアにおいて、人類最古の文明を築いたとされるシュメール人。
その彼らの、文明を築くほどの原動力とは何だったのでしょうか?
その原動力の一旦を垣間見るために、彼らの日常生活を調べていくうちに、宗教がかなりの影響を与えている可能性があり、そのため、彼らを取り巻く外圧と、それに対して彼らのとった行動を追いながら、“シュメール人の宗教”について調べてみることにしました。
posted by jomon10 : 22:01 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年07月22日
メソポタミアの婚姻制
みなさん、こんばんは~ :m017:
メソポタミアの追求、シュメールの交易、文字の誕生①~記録の必要性から文字が生まれた~に続きます :m071:
略奪闘争 :m273: の火ぶたが切られたメソポタミアを知るにあたって、その婚姻制はどんなものだったのか?は大きな注目点 :shock: です。
っと、その前に :m042: 、婚姻制は集団や集団の置かれた外圧(気候風土)に大きく左右されます。メソポタミアはどうだったのでしょうか?
砂漠型(ツンドラ、ステップ、砂漠+オアシス、サバンナの4類型がある)と称される風土に進出した遊牧部族は、西アジアにコーカソイド、中央~東アジアにモンゴロイドがいます(林さんの挙げられていたアフリカは一旦おきユーラシア大陸を想定します)。遊牧は、遊牧している野生の有蹄類の群れにくっついて移動する生産様式ですが、梅棹忠夫氏によると、家畜の子どもを人質に取ることによって母親を逃げられないようにして、子どもに乳を飲ませる際に人間が搾りとるという技術と、大多数のオスを去勢することによって群れの中にとどめたまま、群れの統制を保つ技術の、二つの技術を前提として完成したとされています。農耕に匹敵する人工的な加工が施された家畜は、蓄財意識を芽生えさすに十分だったと思われます。 まして小集団(小氏族)で移動するという闘争集団ゆえに、男原理の父系集団に移行すると、嫁取りのための婚資(=相当数の家畜)を蓄財することを第一義とする私益集団と化していきます。私益集団から掠奪集団が生まれるのは時間の問題と考えられます。上記は、るいネット『風土、生産様式、婚姻制』より頂きました。
どうも婚姻制と蓄財意識 :m262: とは関わりが深そうですね。
蓄財意識や私有意識は、日本での縄文から弥生への転換点など、他シリーズでも追求中な、歴史を追及する上で大事なポイント :m034: になっていますよね。
では、メソポタミアの婚姻制を少しずつ :m108: 解明してゆきたいと思います。
応援、よろしくお願いします。
ありがとうございます :m022:
posted by mituko : 20:08 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年07月13日
文字の誕生① ~記録の必要性から文字が生まれた~
こんばんは、カッピカピです。
文字の起源については、このブログでも何回か取り上げておりましたが、今回改めて、文字の起源について、シリーズ形式にてまとめてみようと思います。
それでは、第一回目『記録の必要性から文字が生まれた』をどうぞ~。
と、その前にいつもの↓ポチッをお願いします。
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2008年06月11日
シュメール人ってどんな人たち?
メソポタミアを調べていると、いつも出てくるシュメール人 :m003:
彼らが一体どういった人々なのか?
彼らについて、分かっている限りの情報を集めてみました :m026:
下記のボタンをポチッと押してから進んでください :m026:
posted by jomon10 : 16:18 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月10日
最古の戦争跡地!ガウラ遺跡
こんばんは~ :m017:
最近の若者は、「戦争はダメ :m252: !」で思考停止 :m097: するのではなく、「戦争はやめることができると思う」、だから、「どうして戦争が始まったのか?そこが知りたい :m103: :m051: 」 そうストレートに発信してくれます。
いったいいつから、略奪闘争が始まったのでしょうか?
それは、どのようなきっかけからなんでしょうか?
どの民族(?)からなんでしょうか?
以前、hiroshiさんが、メソポタミアでの戦争の起源について書かれた記事がありましたね :wink:
・ガウラではXⅡ層(ウバイド終末期※約6200年ごろ)から、XIA層(ウルク前期併行※約5800年前)にかけて、ウバイド期の平和的あるいは平等的性格とまったく異なり、争いや対立という面が強くでてくる(Tober 1950)。 ガウラXIA層の集落北端の施設からは、大量の土製投弾が出土していることから、この施設は集落北端の入り口を防御するための見張り台とされる。さらに別の円形の施設からは、多くの石斧、棍棒頭や石鎚などが出土しており内城とされる。
この、テル・ガウラ遺跡について今日は紹介します。応援お願いします :m023:
ありがとうございます :m022:
posted by mituko : 22:46 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年04月16日
ユダヤ教に繋がるメソポタミアの宗教
こんにちわちわわです。
古代エジプトの宗教観を探る前にメソポタミアの宗教の変遷を概略押えておこうと思います。

■シュメールの都市国家
それぞれの都市の市神(土着の神)
↓
末端の神々を統合する天空の神アン=宗教の誕生
↓
■アッカド王朝時代
王そのものが神になる。
↓
■アッシリア王朝時代
神の一本化(一神教への流れ)英雄神マルドゥーク。
↓
■古代ペルシャ帝国時代
ゾロアスター教(善と悪の二元論・一神教)
↓
ユダヤ教の誕生
多神教から、今日のユダヤ教、イスラム教、キリスト教へ繋がる一神教への流れがメソポタミアのっ宗教の流れです。
概略すぎますんでまず↓↓これ押してから・・・
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posted by tiwawa : 20:16 | コメント (5) | トラックバック (0)
2008年02月25日
旧大陸における鉄器の発達の歴史
こんにちは。歴史書の中で最初に鉄器を武器として使用したのはヒッタイトですね。
その後メソポタミアから周辺地域に鉄器の使用が広がっていきますが、今日は旧大陸における鉄器の発達の歴史と、その背景について調べ調べてみました。
posted by saah : 10:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月19日
旧約聖書にみる、シュメール文化
こんばんは~ :m017: みつこ :D です。
ちょいと突然ではありますが、今日はメソポタミア文明について :nihi:
みなさん、『旧約聖書』 :m061: って知ってますか?
どのように神が人間を作ったか?とか、出エジプト記だとかが書かれてあるものです。ユダヤ教の聖典でもありますよね。
神 :m081: を正当化するために作られた『お話』だろう~って風にしか思っていなかったのですが、実はメソポタミア文明の担い手であるシュメール人たちの文化の影響も結構あるようなのです :shock:
案外そこを抽出すれば、当時のメソポタミアの様子をもっと探れるかもしれません :wink:
一緒に探ろう!って思われた方、ぜひポチっとお願いします :m023:
ありがとうございます :m022:
posted by mituko : 23:35 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年12月24日
交易文明トランス・エラムの商人がインダス文明を形成
古代メソポタミアで重宝された石にラピスラズリという石があります。瑠璃色のきれいな石ですが、この石を原産地のアフガニスタン北東部から、メソポタミアに運ぶ道が「ラピスラズリの道」と呼ばれています。その道は、ラピスラズリだけではなく、金・銀といった貴金属が運ばれたようです。

ラピスラズリの道 ヘラート/アフガニスタン ラピスラズリ(瑠璃)の原石
写真は(ラピスラズリ「天空の破片」より)
この道は、トランス・エラム文明と呼ばれる商人都市の交易ネットワークであり、このネットワークに連なる形でインダス文明や、海上ルート上にペルシャ湾岸の古代交易都市が開発されていったようです。
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posted by ihiro : 23:29 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年12月03日
西アジアにおける戦争の起源と拡大 ~ 『都市誕生の考古学』より~
くまなさんが世界の戦争の起源を詳しく調べていましたが、
世界の戦争起源(戦争の考古学より)
その中でも、最も古そうで遺跡も多い西アジア地域について、さらに調べてみました。『都市誕生の考古学』では特に以下の考古学的証拠から、戦争の跡を探っています。
①-守りの村=防禦集落(高地集落、環濠集落、防壁、壕、防禦柵など)
②-武器
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posted by ihiro : 12:01 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月17日
教科書では教えてくれない(遊牧の起源) 西アジア~中央アジア~中国年表
遊牧の起源を押える為に、るいNETWORK掲示版の「遊牧の起源と特異性」の有用な投稿を、頭を整理する為に以前に投稿した「教科書では教えてくれない中国年表」に追記して見ました。
この作業を通じて感じたことは、遊牧における各々の時代の投稿内容が、実に良く連関していることが分かりました。
更に驚いたことは、「遊牧の起源と特異性」の年表が、先に投稿した「黄河文明と長江文明」の年表に繋がったことです。又、この2つの年表を繋げたのは、BC11000年:ヤンガードリアスの寒冷化、BC6500年:ローレンスタイド氷床融解、BC4000年:北緯35度以南の乾燥・砂漠化、BC2000年:火山爆発で灰が空を覆う。といった大きな環境変化でした。この人類史を知りたい方は是非、見てください!!!遊牧の起源を追求したい人はポチッと押してね!
「教科書では教えてくれない(遊牧の起源) 西アジア~中央アジア~中国年表」
ファイルをダウンロード
年表の構成は、時代毎に、「気候変動=環境外圧」⇒エポック⇒闘争区分(ここは中国のみの記載です)⇒交易・情報伝播⇒黄河文明⇒長江文明⇒中央アジア・モンゴル(遊牧の変遷)⇒西アジア(遊牧の変遷)を見ていくようにしています。追記した中央アジア・モンゴル、西アジアに青色で網掛けしています。又、追記した文字は濃い緑色で記載しています。最上段の気候変動、環境外圧の欄の青文字と関連しながら見ていくと、遊牧民族の発生から騎馬民族への変遷過程が見えてくると思います。
基本的に生物は外圧適応態と言われていますが、この年表を通じて人類も例外では無かったと理解出来ます。尚、年表に記載されている参考NO(例msg:○○○)の投稿を張り付けておきます。
(尚、【 】内は私の疑問で、投稿とは関係ありません。)
時間を要しますが一読しながら年表を見ると、教科書には書かれていない西アジア~中央アジア~中国の歴史が、そして遊牧民族の起源が見えてくると思います。
皆様の役にたてば嬉しいです。一緒に追求して行きましょう。
・投稿「131588」:環境史からみた西アジア(農耕~略奪の起源)
・投稿「85771」:ステップ地帯へ拡散して同類闘争を回避したレヴァント南部の採集部族→遊牧の起源?
・投稿84104:農耕・牧畜が始まった地域における自然圧力の変化(気候変動)
・投稿52477:ステップ遊牧民と砂漠・オアシス遊牧民の起源
・投稿94845:西アジアの気候変動①(8200~7800年前ミニ氷河時代、7800~5800年前気候最適期)
・投稿131577: 5800年~4200年前の西アジア(乾燥化による略奪闘争の開始)
・投稿52832:最初の遊牧民は徒歩移動
・投稿92143:遊牧民族の登場から私権国家の成立まで
・投稿152412:遊牧と騎乗
・投稿141984:遊牧は牧畜の遠征から始まった
posted by sakashun : 19:12 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年09月02日
ユダヤ5000年の教え:“お金”のことわざより
こんばんは、Hiroshiです。
今日は、お金のことわざについて。それも、世界の富を動かすユダヤの人々のお金に関することわざについて調べてみました。彼らのお金への意識が見えてきます。

続きを読む "ユダヤ5000年の教え:“お金”のことわざより"
posted by ihiro : 19:04 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年05月23日
遊牧民族の統合例
こんにちは。○です。
以前の記事でも取り扱われていましたが、今回は遊牧民族についての記事を・・・。
遊牧部族はその機動性から、戦争において卓越した戦力を保有していました :tikara:
当然、歩兵中心の敵を蹴散らすのは造作も無い事です。
中国は宋の時代に、17名の騎馬兵に対し2000の歩兵で敗退する、というようなことまであったようですから、その戦力差はかなりのものだったようです。
そんな圧倒的な戦力をもった遊牧部族ですが実は大きな弱点があったのでした・・・ :m002:
posted by maru : 21:38 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年05月21日
世界文明 vs 縄文・・・・そして反転がはじまる!?
この↓図版をみて、驚いた。1万年が一目瞭然!注目です。

※この図は佐原真氏の作成らしい、秀逸です。図は「国民の歴史」より
スキャンしたので、傾いて粗っぽい画像ですみません。
続きを読む "世界文明 vs 縄文・・・・そして反転がはじまる!?"
posted by ihiro : 18:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年05月09日
パレスチナ問題の根本原因は旧約聖書の中にある!?
こんばんは、カッピカピです。
以前、べジーが古代イスラエル王国建国までの道のりと分裂までを書いてくれました。
その後、約2千年の時を経て、ユダヤ人は中東のパレスチナにイスラエルを建国しました。
このことで、たくさんの問題が発生していることは皆さんも少なからずニュースや新聞などで知っていると思います。詳しくは→ちわわさんの記事
元々、パレスチナに住んでいたアラブ人を追い出す形でイスラエルを建国したユダヤ人に対して、アラブ人が反発するのは当たり前と言えば当たり前の話です。
だたここで不思議なのが、「パレスチナの地に強引に割り込んできたユダヤ人・ユダヤ教を、他の宗教・各国が正面切って反対できなかったこと」なんです。
調べてみると・・・・続きはポチッと押してからどうぞ!
続きを読む "パレスチナ問題の根本原因は旧約聖書の中にある!?"
posted by hi-ro : 14:47 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年05月08日
現在のイスラエル建国とパレスチナ問題
こんにちわちわわです。
現在のイスラエルがどうやってできたのか、古代文明とはかけ離れますが、とりあえず。

①第一次世界大戦において、トルコの統治下にあったアラブ人たちに対してトルコへの武装蜂起を呼びかけ、その対価として、1915年この地域の独立を認めた。(マクマホン協定)
②他方、膨大な戦費を必要としていたイギリスは、ユダヤ人国家の建設を支持する書簡をだし、ロスチャイルド家からの資金援助を得ることに成功した。(バルフォア宣言)。
③しかしイギリスは同じ連合国であったフランス、ロシアとの間でも大戦後の中東地域の分割を協議しており、本来の狙いはこの地域の直接支配であった(サイクス=ピコ協定)。
これはイギリスの「三枚舌外交」
と言われています。。
アラブ人には独立を認め、ユダヤ人には建国を認め、連合国には領土分割を協議するとった八方美人の態度です。後にロシアのレーニンによって全て暴かれました。
イギリスとんでもない!と思った方↓↓ぽちっと!
次はアメリカの企みが・・・
posted by tiwawa : 23:04 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年05月03日
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教
前回、十字軍について書きましたが(こちら)、調べる中で実はもう一つ驚いたことがあるんです。
ひょっとして常識 :m196: :m186: かもしないけど、私はそーとー驚きました :m051:
ゼヒ、読んでください :m023: :m023:
posted by pingu : 21:11 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年04月23日
彩文土器の色々 ホント色々ですよ
:shock: 縄文土器の話ではなくメソポタミアの土器の話です。 :shock:
皆さんもご存知のように彩文土器ですが、有名なウバイド土器を始まりとして、世界各地に広がっています。広まった原因は侵略と交易によるものでしょうが、どこまで広がったと言うと
>地中海のミノス文化からミケーネ文明、エジプト、メソポタミア、インダス各文明、ルーマニアやハンガリーなどドナウ川流域、ドニエプル川やトルキスタンなどに分布。日本では弥生式土器のなかにこの形式が残っている。<と南風博物館にありました。
最後は日本の弥生式土器にも繫がっているとのこと。ちょっと驚き。 :roll:
そこで今日は写真で変遷を紹介したいと思います.
その前に
posted by dokidoki : 10:54 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年04月22日
農業と文明と環境の関係
農業は産業革命と並んで文明発展の転換点となったといわれていますが、「人類は何故農業を始めたのか」、またその「農業が生んだ古代文明はその農業の失敗によって滅んだ」という視点から「ユーラシア1万年の農業史から人類の未来を考える 」取り組みをしている人を紹介しよう。
posted by ryujin : 21:54 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年04月20日
文字の不思議
文字の起源っていつごろか知ってますか? :-)
世界最古の文字は、古代メソポタミアのシュメールの絵文字と言われているそうです。
メソポタミアの楔形文字も最初は象形文字(絵文字)が出発点だったと言うのが、現在では定説らしいです。 :roll:
古代の文字が実際にどんな文字だったのか覗いてみませんか? :D
By ヒロシ
posted by hiroshi : 21:35 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年04月19日
法典石碑を建てたハンムラビ王の状況に同化してみる。
メソポタミヤ社会を知る上で欠かせないのが「ハンムラビ法典」です。 (今回も南風博物館さんから引用させていただきます。) ハンムラビ法典は、野蛮な復讐の法として有名ですが、実際はそうではなく当時の社会を秩序化するために考え出された新しい政策だったようです。
ちょっと、ハンムラビ王の状況に同化してみてみましょう!!
>
注:写真が法典の原文とされている石碑です。高さは2.2m(実際見た人は「思ったより大きかった!」という人が多い)で頂部にレリーフ、下部は楔形文字がびっしりと彫られています。レリーフは当然、ハムラビ王(左側の立っている人)で、神様(右側の座っている人)から杖と輪を授かっています。
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posted by nandeya : 22:03 | コメント (5) | トラックバック (0)
2007年04月18日
古代イスラエル王国建国まで
こんちゃ!ベジーです :m026:
ユダヤ民族を追いながら、古代のイスラエルが出来るまでを調べてみました。
ユダヤ民族は、もともと遊牧部族セム族の一派で、彼らはレバント地域(今のパレスチナ・レバノン地域)で、安定的な縄張りを確保できなかった民族でした。
また、彼らは縄張り確保できなかった故に、民族内の殺し合いにまで至った民族でもあります。
しかし、いくら民族内の殺し合いをして人口を減らしても、縄張りが確保できるはずもなく、ユダヤ民族は、レバント地方からエジプトに移り住みます。
続きはポチッと押してからヨロシク!↓
posted by jomon10 : 23:08 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年04月17日
イスラエルに起源を探る。
こんにちわちわわです。
今でも火種が絶えないパレスチナ問題。
主役はイスラエル=ユダヤ人です。
紀元前11世紀、古代イスラエル誕生から、第一次大戦後1948年に独立宣言するまで
アッシリア、新バビロニア、ペルシャ王国、マケドニア王国、プトレマイオス朝、セレウコス朝、ローマ帝国、東ローマ帝国、イスラム帝国、十字軍、マルムーク朝、オスマン帝国、英国に支配され続けてきました。
何故こんなに血みどろの戦いをしつづけ、現在もその火種がおさまらないのか?
イスラエルに迫ってみます。
posted by tiwawa : 22:53 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年04月05日
飢饉に見舞われた遊牧民の例
:D くまなです。
前回は、神だのみも、王への支援要請も叶わなかった遊牧民が決死航→死にもの狂いの戦い、あるいは都市定住、離散→夜盗化へと踏み出すことを紹介しました。今回は、そのような部族の実例を紹介します。
ところで、アラビア半島はそもそも乾燥している地域です。
旱魃っていったいどのぐらいの頻度で起こっていたのでしょうか?
参考になるデータがあります。
表 近世以降のアラビア半島の主な旱魃と飢饉

(出典:丸井英二編「飢餓」-堀内勝「牧畜民の飢餓観」より)
近世以降では、10~20年に一度は旱魃→飢饉に見舞われていたようです。
人生のうち何度も飢饉→餓死の恐怖に見舞われるわけですから、過酷な外圧状況だといっていいでしょう。
さらに、その状況では、一帯の部族が決死航を開始するわけですから、自然外圧だけでなく、部族同士の同類圧力も凄まじいはずです。まさに死にもの狂いの戦いです。
その具体事例を見てみましょう。
posted by kumana : 22:50 | コメント (0) | トラックバック (0)
メソポタミアの美術から類推できること
美術の変遷はそのときの時代状況を類推する助けになります。今日は、メソポタミアの美術を手がかりに、時代状況を探ってみます。素材はまたまたお世話になっている「南風博物館」より引用させていただいています。続きをはこちら :D Byヒロシ
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2007年04月04日
遊牧民は飢饉で決死航、一部は夜盗化あるいは都市定住
:D くまなです。
前回は、アラブの遊牧民が、旱魃→飢饉に際して、神だのみがダメな場合、王への支援要請をすることを紹介しました。
それもダメならどうしたのでしょうか。
舞台は、↓アラビア半島です。

旱魃があまりに激しかったり、長期間に及ぶと、ただでさえ可住地ではない砂漠の遊牧民は、移動を開始する。この移動はいつもの定まった移動とは異なる。なぜなら、自部族の領域には家畜はもちろんのこと、部族員を救える牧草、水場がなくなってしまったからであり、自部族領を超えて旱魃から免れた地域、大河の流域に移動せねばならないからである。
このことは遠方の部族を頼るにしても己の部族とは無縁であったり、敵対部族の領土に身を投ずることになるし、またその領土を通過することになる。
そのさいの危険性は襲撃の対象にもなり、死にものぐるいの戦さになることは避けられず死と隣り合わせになる。この危険性も敢えて犯さなければならないせっぱつまった状況なのである。
切羽詰っているとはいえ大きくて強い部族はいいが、弱小部族はどうする :m052:
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posted by kumana : 22:23 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年04月03日
遊牧民は飢饉に際して、その巧みな言葉で、王に支援を要請する
:D くまなです。
前回は、アラブの遊牧民が、旱魃→飢饉に際して供犠(生け贄)、みそぎ、断食などを行い、神だのみをすることを紹介しました。では、神だのみが一向に効果をあげず、さらに旱魃が飢饉を進行させると彼らはどうするのか?
旱魃というとこんなイメージでしょうか

さすがにプライドの高い遊牧民も、救援を仰ぐことになる。血縁ある諸部族、妻・女性を通じての姻族、また友好部族。友好な手づるを利用して牧地の確保、畜牧の分散、水場や食料の分与の以来に奔走する。助け合いの精神が行き届いている砂漠の世界なので、依頼された部族も出来
