/> 縄文と古代文明を探求しよう!
 
 

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2008年05月14日

古代エジプト人にとって、死は新たな人生へのはじまりだった

[Ⅵエジプト・インダス文明]

こんばんは!!
○さんが、ピラミッド、そして前回、カッピカピさんが古代エジプトの死生観について、書いてくれましたが、ピラミッド、そして死生観ときたら?

そう!ミイラですね!!
エジプトと言ったらミイラ

ということで、今回はミイラについてちょいと調べてみました。

興味のある方は(ない方も(笑)) :m118: ポチッと押して、進んでください!!

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posted by jomon10 : | |

2008年04月03日

ピラミッドはなぜ造られた?

[Ⅵエジプト・インダス文明]

こんにちわ。○です。

ちわわさんのエントリーから「ピラミッド建設の謎」の部分に関して調べてみました。

古代エジプトについて興味のある方から、「ピラミッドが三度の飯より好き」という方まで、ぜひぜひ読んで見てくださいな :m027:

もちろん :m118: をポチッとしてからね :nihi:

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posted by maru : | |

2008年04月02日

古代エジプトのノモスは村落共同体?

[Ⅵエジプト・インダス文明]

こんばんは~ :m017:
古代エジプト、がんばって明らかにしていきたいです! :m044:
さて、そもそもエジプト文明の舞台、ナイル流域 :m064: はどんな様子だったのでしょうか?

ナイル川流域では「都市なき文明」といわれるように,文字,金属器,壮大な建築物など文明の多くの要素は出現し,国は成立しますが,特殊な状況下を除くと都市と呼べるようなものはありません。ピラミッドや葬祭殿あるいは神殿など壮大な建築物はありますが,日常生活に関連する居住地のような遺跡ははっきりとしていません。初期王朝,古王国,中央国,新王国という古代エジプトの3千年にわたる歴史を通してこのような状況は続きます。そもそも都市的な性格のものがなかったのか,これまで調査された地点とは違った場所にあり見つかっていないのか,よくわかりません。どうも西アジアとは違った形で国が成立しているようです『都市の広がり』さんより

ふむふむ :roll:
昨日の記事でちわわさんの言うように、古代メソポタミア文明と比較できそうですね!
でもぉ、ノモス=都市国家と表現されているものもあったりして。。。 :m111:
うーん、古代エジプトに都市国家はあったのでしょうか :o ? 

うーん、気になる :D !って方、応援よろしくお願いします :m072:
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ありがとうございます :m022:

posted by mituko : | |

2008年04月01日

古代エジプトの謎に迫る。

[Ⅵエジプト・インダス文明]

こんにちわちわわです。

古代エジプト文明とは、エジプトで前3100年頃ナルムルによる統一王朝が起こってから、紀元前305年ローマ帝国に侵略されクレオパトラ7世の死により王朝が崩壊するまでまでをいいます。

これは、日本の縄文時代の頃の出来事で、前525年ペルシャの支配によりエジプト人の王朝が終焉し、外国人の支配下になる頃、日本でも、弥生時代に文化が移行しているのは全くの偶然でしょうか。
egypt.gif
古代エジプト文明は、日本に通じる部分が少なからずあるように思います。

:lol: ナイル川の氾濫による肥沃な土がもたらす農業社会。
:shock: 母系集団による共同体社会。
:roll: 自然崇拝から派生した宗教による国家統合。
:-( 侵略を受けにくい地形による,安定した国家運営のしやすさ。
:shock: 国家事業としてのピラミッド建設の謎。

最終的にはユダヤ人モーセの「出エジプト記」では奴隷制を非難され、エジプト軍は悪役にしたてあげられますが、奴隷社会の実態とはどんなものだったのか?

今、尚、謎に包まれた古代エジプト文明ですが、シュメールの掠奪文明メソポタミアとの比較も交えながら、古代エジプトの実態に迫ってみようと思います。

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posted by tiwawa : | |

2008年03月13日

古代エジプト文明の本源性の礎を築いた先王朝時代

[Ⅵエジプト・インダス文明]

こんにちわちわわです。

カッピカピさんに引き続いてエジプト文明の基礎を作った先王朝時代(石器時代)に目を向けてみます。
994giza06.jpg

古代エジプトはメソポタミアと違って本源性が残されていると思われます。

ころころと国家が入れ替わるメソポタミアに対して古代エジプトか前3000年からローマ帝国に支配されるまで、3000年間も王朝時代を維持し続けたのも、自然を崇拝し輪廻転生の宗教観も安定した民族の証だと考えられます。

恐らく父系転換した遊牧部族が移住して作り出したメソポタミアと違って、狩猟採集民が肥沃なナイル河畔に定住して農耕転換したエジプト人は共同体的体質を残存させた事に起因していると思われます。

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posted by tiwawa : | |

2007年05月21日

世界文明 vs 縄文・・・・そして反転がはじまる!?

[Ⅰ文明前夜・石器時代・巨石文明][Ⅱ縄文時代][Ⅳ中国文明][Ⅴメソポタミア文明][Ⅵエジプト・インダス文明][Ⅶギリシャ・ローマ文明][Ⅷマヤ・アステカ・インカ文明][Ⅸエトセトラ(その他諸々)]

この↓図版をみて、驚いた。1万年が一目瞭然!注目です。
 
%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%88%A5%E6%96%87%E6%98%8E.jpg
 ※この図は佐原真氏の作成らしい、秀逸です。図は「国民の歴史」より
  スキャンしたので、傾いて粗っぽい画像ですみません。                                                                          

↓1万年の解明、応援よろしくお願いしま~す
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posted by ihiro : | |

2006年11月06日

エジプト文明はどうやってレバノン杉を手に入れた!?

[Ⅵエジプト・インダス文明]

古代エジプト文明はピラミッド内部の王室や柩を作る際に良質な「レバノン杉」を利用していたという。
では、一体その杉をどこからどのようにして手に入れていたのだろうか??? :roll:
定説ではレバノンまで木こりを派遣して伐採をし、輸入していた。とあるがここでは違った考えをしてみたい 8) :m258:


☆ギルガメシュ叙事詩から考察してみよう :m071:

かの有名なギルガメシュ叙事詩によるとギルガメシュ王は実在していたのはウルク第一王朝時代である :m281:
:m116: 叙事詩が書かれたのはウル第三王朝時代(今から約2000年前には書き始められていた。)

:m049: ここで注目すべきは叙事詩の「第三節~第四節」である :m106:
:m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118:
ギルガメシュ王がエンキドゥと【レバノンの森】へフンババ(獣)退治に行くのが記されている :m071:
これは驚くべき発見ではなかろうか :m052: :m052: :m052: :love:
そう・・・・・・・・・・・・すなわちウル王朝のレバノン侵攻では :m050: :m050: :m050:

:m244: 当時のレバノンは【山地】で【緑豊かな国】であった。 :tikara:
ということはメソポタミア(ウル王朝)に住む人から見ればレバノン人は山に住む獣同然だったと伺える :blush:
メソポタミア地方はもちろん河川流域なため材木には乏しい=材木が欲しい :twisted: (良質な :m021:

フンババ(獣)退治とは勝者の歴史上言えるのであって、ただの侵攻では・・・?? :cry:
:m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118: :m118:
こうして良質なレバノン杉を手に入れることができるようになった。。。 :m067:
:m118: :m118: :m118: が・・・しかしその後・・・ 8)
メソポタミア(ウルク含め)地方の国々はエジプトの支配下に・・・ :m252:
⇒こうして古代エジプトはメソポタミアを介して良質なレバノン杉を手に入れたのでは :m050: :m050: :lol:


こう考えれば使う海路は地中海のみなので古代エジプト文明の造船技術の低さも納得がいく :m096:
恐るべし古代エジプト :m051: おいしいとこだけ頂いちゃうんやね :blush: :m240:

posted by postgre : | |

2006年10月23日

インダスの人は装飾好き!?

[Ⅵエジプト・インダス文明]

インダス文明時代、インダスには紅玉髄という石や瑠璃の加工して作るビーズ工房がたくさんあったようです :m034:

またインダスから出土されている土偶は、これでもかと思うくらいの装飾品をつけているそうです :m034: :m034:

http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page004.html

さてさてここで少し疑問が :confused:
なんでそんなにインダスの人は装飾品をみにつけたのでしょうか :m052: :m052:
るいネットでもインダス文明についていろいろ議論されていて、こんな投稿を見つけました。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=120651

確かに現代人の感覚だと装飾品=性市場というのは考えやすいですが、当時の装飾が持つ意味合いは“魔よけ”の意味合いが強いと言われています。そう考えるとやっぱり“魔よけ”ためにたくさんの装飾品をつけていたと考えるほうが、妥当な気がします。

それじゃあなんでそんなに“魔よけ”に力を注いでたんだろう :roll:
またまた疑問が湧いてきました :m107:

どなたかこの謎が解明できた方いらっしゃれば、ぜひぜひ教えてくださ~いo(^0^)o

posted by nkktchnm : | |

インダスの海上交易の不思議

[Ⅵエジプト・インダス文明]

>古代の交易が支配者の威信を維持するための財貨の入手にあるとき、メソポタミアとは違って、インダスには専制的で好戦的な王はおらず、ほとんどの奢侈品は自給されていた。事実、インダスにはメソポタミア産の遺物は、ほとんど出土していない。インダスが、確かにマガンの銅やメソポタミアの一部産品を輸入していたとしても、その輸入量はわずかであったであろう。

>インダスやペルシア湾の商人たちの、きわめて少数の船が少量の貨物を積み、年1回、せいぜい隔年くらいで、それぞれの交易地に訪れる程度であったとみられる。ただ、ペルシア湾内においては、安定的とはいえないとしても、連続的な海上交易が行われていたであろう。

 とあるが、これほどぜい弱な交易であっても、紀元前2500年~1800年までの約700年間は存続していたとされている。何故これほど長い間続いたのか、何が目的で行われていたのか、具体的に何が取り引きされていたのか非常に気になるところだ。

 その具体的なものとして提示されているのが、真珠や象牙、マガンの銅、メソポタミアの一部の産品である。つまりインダスの人々はマガンの銅が目当てで交易を行っていたのでは、と考えられる。もしくは、他の国々が真珠や象牙を目当てにしていたか…どちらにせよ銅の代わりに鉄が使われるようになってからはインダスの人々にとって交易があまり意味のあるものでなくなったのではないかと思う。

posted by postgre : | |

2006年10月21日

インダス文明の謎?~インダス文明の担い手は-ドラヴィダ人って?

[Ⅵエジプト・インダス文明]

今晩は :m027:  さーねです :nihi:

インダス文明を調べよう…色々探ってみましたが、謎だらけすぎます!! :shock: :m050: なので、一つ一つ解明していかないと無理そうです :cry:

まず、インダス文明は誰が創ったの?=今最も有力とされているドラヴィダ人に焦点を当てたいと思います。 :o

今日引用したサイトは、●松本正剛の千夜千冊http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1005.html『インド古代史上下)』中村元著の解説より

ドラヴィダ人は、どうやら母系社会であった様。母系社会であるということは何を意味するのか :m050:

[採集生産の集団は、なぜ母系なのか?]
>①一般の哺乳類は、若♂放逐が本能原理=自然の摂理。
>②♀は生まれた集団に残る方が安定度が高い=女共認が形成しやすい。
>♀は元々集団収束力が弱い(=首雄に収束する性的存在・充足存在)。
>・集団は、生殖と生産(闘争)課題を包摂している。
>・本能次元では、♀は生殖(と充足)存在、♂は闘争存在。
>・外敵からの防衛を♂が担い、その安全域で出産・子育て・採集生産。
>・それを実現しやすい集団の在り様とは何か? という集団統合課題。
>;その素直な実現態が「母系集団」である。
(るいネット「遊牧の起源と特異性」父系集団の発生とそれによって刻印された問題http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=132199より)

ドラヴィダ人の集団は、女性が安心して暮らせる集団であったということ。この時期イラン高原では、遊牧部族によって玉突き的に掠奪闘争が勃発!多くの部族が掠奪集団化⇒父系制であったのに対して、インダス文明は、母系制=共同体的集団から始まっている!

byさーね

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