2008年11月29日
【古アメリカ文明の基層】北方モンゴロイドって何? ~日本人にもある「蒙古襞」~
【原アメリカ人の基層を探る】シリーズです。
原アメリカ人が12000年前ベーリング海峡を渡った人々の子孫であるならば、北米のインディアン、中米のマヤ・アステカや、南米のインカを築いた人々はすべて「北方モンゴロイド」という事になります。
彼らは、マスコミの宣伝によって、未開で残酷なインディアン、生贄の帝国アステカ、謎のマヤ、黄金のインカ帝国といった特異なイメージが刷り込まれていますが、これは侵略者である現アメリカ人から見た見方であって、北方モンゴロイドの(半分?)子孫である日本人からとても身近な人々です。
北方モンゴロイドって何?
歴史を超えて北方モンゴロイドに同化するために、ちょっと「目」を見つめてみましょう。
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2008年09月12日
西洋侵略以前のアメリカ文明は、私権闘争の結果築かれたものなのか?~インカ編
長らく、インカ文明分析のシリーズにお付き合いいただき、ありがとうございます。
このあたりで、これまでわかってきた事実と仮説をまとめようと思います。
主旨は、
歴史時代におけるユーラシア大陸の国家のほぼ全てが、私権(の共認)によって統合される私権国家であるのに対して、
インカは、武力を伴う序列体制の国家だが、私権国家(←私権闘争←私権意識)ではなかった。
という事は、
「私権統合=国家規模の統合」ではない。= 私権なくして大規模な統合は可能。
この事実は、
私権が衰弱し国家が迷走する先進国先端の日本において、これからの社会を考える材料になると思われます。

スペインのインカ侵攻の11年
後、日本にスペイン、ポルトガ
ル船が訪れるようになりました。
写真は「アルパカブログ」さんからお借りしました
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2008年08月22日
インカ帝国内における土地の所有形態から、蓄財意識は芽生えたのか?
今日はインカ帝国内における土地の所有形態と、そこから所有意識→占有意識、→蓄財は発生したのか?この点について再整理してみました。
ポイントは、土地の所有形態と、税の徴収の状況などから、支配層、庶民の蓄財や収奪の事実はどうだったのか、をみて行きたいと思います。
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2008年08月16日
インカの王位継承権争い=私権闘争?
ここ最近は、南米の古代文明の追求を続けてきています。
アメリカ古代文明を旧大陸の文明と比較して見ると、人類の文明の普遍的な部分とそうでないところが見えてきて大変おもしろい。
「国家による支配?」「交易か?贈与か?朝貢か?」「婚姻様式は?」という切り口で調べてきていますが、もう少ししたら踏み込んだ分析とまとめをしていく予定です。
今回は、インカの「王位継承権争い」について見ていきたいと思う。

最後のインカ王 13代インカ「アタワルパ」(ウィキペディアからお借りしました)
南米の広大な地域を支配していたインカ帝国は、1532年スペイン人ピサロがインカの王を騙して殺害してしまった事で、あえなく崩壊した。 圧倒的少数だったピサロ軍がインカ王を容易く捕らえる事ができた理由は、当時2代にわたるインカ王位継承権争いがあり、ピサロはこれを上手く利用したからだとされている。
当時のヨーロッパにおける王位継承権争いは、お家騒動のレベルから謀反やクーデター、内戦、戦争といった血生臭い歴史が数え切れない。私権闘争の頂上部分の闘争の凄まじさをものがたっている。
:m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252:
インカでも「王位継承権争い」という言葉で語られる歴史があるが、これはもちろん征服者であるスペイン人の末裔が、スペイン人から見た史実として記載した文書によるものでしかない。
はたしてスペイン人が記録したような王位継承権争いがあったのだろうか?少し調べてみると、実はこれが疑わしいのである。
posted by nandeya : 20:54 | コメント (3) | トラックバック (0)
2008年08月12日
インカ拡大路線のなんで?

All About より 現在のクスコの市外です
先回はインカの統治や租税について、話をしましたが、そもそも私有の意識は薄かったインカ。
しかしインカ自体は帝国と呼ばれるほどの広大な領地を持っていました。
ちょっと矛盾を感じませんか?
インカはなぜ領地拡大に走ったのか?
そもそもそのきっかけは? 戦争、争いはどうだったのでしょうか?
ここが見えてこないと、何かすっきりしませんね。
posted by dokidoki : 19:15 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年07月27日
インカの支配体制は?
ウィキペディアからお借りしました
婚姻制度の話から支配体制は :m134: :m134: と問いかけがありました。
あれだけの広大な地域を支配したインカ。一体どのように支配したのでしょうか?
探ってみました。
さてどんな体制であったのか :m134:
その前に
posted by dokidoki : 15:30 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年07月26日
インカの婚姻様式②~庶民の婚姻様式は?
こんばんは、saahです。前回のインカの国王の婚姻様式(リンク)に続き、今日は一般庶民の結婚についてみてみたいと思います。 :m058: :m059: :m061:
とはいってもインカ帝国自体はもともとのインカ族のほかに、後にインカによって征服された他部族も多くいる為、ここでは『正当インカ族』の庶民(市民)の婚姻に絞ってみたいと思います。
posted by saah : 12:00 | コメント (6) | トラックバック (0)
2008年07月11日
太陽に仕えた『選ばれし処女たち』:インカの婚姻様式は?そこには私権の芽はあったのか
こんにちは、saahです。
インカには『私権』があったのか。
今日はこの問題をインカの婚姻様式から探ってみたいと思います。
婚姻と言っても一般には王侯貴族たち支配層と、一般庶民とでは往々にしてその形態が異なる場合が多いですね。インカ帝国においてはどうだったのでしょうか。
また、インカには太陽に仕えた『選ばれし処女たち』と呼ばれた女性がいましたが、彼女たちはどのような存在だったのでしょうか。???
今回は2回に分けてそれぞれの婚姻形態と、婚姻そのものが持つ意味がどのように位置づけられていたのかをみてみたいと思います。
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posted by saah : 18:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年07月10日
マヤ文明と伊勢神宮に共通するものづくりと生命文明について
マヤ文明を知る為にネット探索をしていました。その時に、日本の弥生時代とマヤ文明はその繁栄した時代が一致し、且つ生活感他が近いとするお話がありましたので投稿します。以下の10項目にまとめられています。 :roll:
1.聖なる数
2.共通した時代背景
3.太陽への崇拝
4.山への崇拝
5.鳥への崇拝
6.聖樹
7.蛇への崇拝
8.水の循環
9.魚食の文化
10.ものづくりと生命文明
出典は安田喜憲(東京財団主任研究員/国際日本文化研究センター教授)シンポジウム(伊勢)での講演(抜粋)(2007年6月9日開催)からになります。
尚、このときのテーマは「マヤ文明と伊勢神宮に共通するものづくりと生命文明」です。
★参考に、「1.聖なる数」の項目を引用します。
マヤ文明には聖なる数というものがあります。マヤ文明の人々が最も大事にした数字は「20」です。言うまでもなく伊勢神宮の式年遷宮は20年ごとにお宮を遷しますね。なぜ20なのか。なぜマヤの人々は20を大事にしたか。それは20が人間やあらゆるものの原点だからです。みなさん自分の指を数えてください。足の指10本、手の指10本ありますね。この指の数、これが人間の原点です。20年というのが人生の節目ですね。そしてだいたい20年というのが物事の区切りです。
私は1980年に環境考古学という分野を自分で確立しました。1980年に環境考古学という分野を確立した当時は、他にこのようなことを研究している人はひとりもいませんでした。しかしそれから20年経った2000年ごろから、環境考古学という本がたくさん出始めた。20年前には誰もやってなかったことが、20年経つとだいたい世の中に広まってくるのです。
マヤの人々が最も大事にした数字は20、そして式年遷宮も20年に一度。つまり、そのマヤ文明と伊勢神宮の共通性のその1は、20という聖なる数を大事にしたということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用終わり
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posted by sakashun : 21:08 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月12日
仮説:マヤ社会の成立と滅亡
マヤ社会は私権闘争の結果築かれたものなのか?
現段階の仮答えは、否です。
マヤ文字をひもときながら最新の仮説を提起します。 by tamura

posted by nandeya : 21:28 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月03日
マヤ文明の婚姻制度
マヤ文明も、他の4大文明と同じく父系と嫁取り婚であった。
しかし、かなり緩い父系制度の様である。
マヤの場合、強力な支配者が現れてその全域を掌握し、単独支配するのでなく、紀元300年から900年の間各地にそれぞれの王を頂点とする「約40の王朝」が興り、それぞれは、互いに交易や戦争などの接触を保ちつつ推移した事が解っている。王朝間は同盟や敵対、服属などの複雑な関係によって結ばれていた。その中には、ティカルやカラクルムのように属国を従える大国があった。

『マヤの宮廷写真』ナショナルジオグラフィック様よりお借りしました。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0708/feature01/gallery/22.shtml
posted by ryou : 23:50 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月01日
マヤ文明「国内での“お家騒動”」はあったのかどうか。あったとしたらその結果どうなっていったのか。
お家騒動というと、江戸時代の大名家の家督争いのことですが、
マヤの都市国家においても、どうも似たような事が起こったようです。
コパンの石碑 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%91%E3%83%B3
マヤでは、優越国家、従属国家の存在が知られています。都市国家の数は最大80にもなったこともあります、確かに群雄割拠の言葉がぴったりですね。
さぞかし派手にやっていたのでしょうか?そしてその結果は?
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posted by dokidoki : 17:10 | コメント (3) | トラックバック (0)
2008年05月30日
マヤの国家間の闘争形態とは?
マヤ文明には、数多くの遺跡が残されていますが、その政体や規模や統治の仕組みについては、長年学者の間で議論されてきました。すなわち、広域的な都市国家連合のようなものが在ったのか、また、多数の小国が乱立していたのか・・・![]()
しかし、マヤ人自身が残した碑文の解読により、その政体が少しづつ解ってきました。例えば、古典期のマヤの王国は、複雑な階層序列や親族の絆を持ち、同盟との戦いを繰り返していたようです。
posted by hiroshi : 23:22 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年05月17日
マヤの統合軸は私権による統合だったのか、それとも・・・・?。
メソアメリカ文明は私権闘争 :m252: の結果築かれたものか否か。
これを見てゆく為に当時の社会構造はどうだったのか。国家間の闘争はどのようなものだったのか。国家内における闘争、たとえばお家騒動のようなものはあったのか、といった統合と闘争の中身からの分析と、社会の更に底辺の婚姻様式はどうだったのか、などを見てゆく必要があると思います。
(マヤ暦の概念図)
今回からしばらくメソアメリカのなかのマヤ文明に絞って上記を数回にわたって見て行こうと思います。まず今日は、マヤ文明の社会構造はどうだったのか?をみていきたいと思います。by saah :tikara:
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posted by saah : 18:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年05月03日
古代アメリカ文明
いま世界を見渡すと、戦争や紛争だらけです。科学技術も進歩し、豊かさを実現した現代にあっても、戦争=組織化され・正当化された人殺しはなくなる気配はありません。このことから、「戦争は人類の性である」といった諦めの声も聞こえてきます。しかし、人類500万年のうち、本格化した戦争の歴史は、多くの学者の研究や考古学的発見によって、過去5000~6000年程度のことであるということが、ほぼ共通した認識となっているようです。
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posted by hiroshi : 22:14 | コメント (1) | トラックバック (0)
アンデスの古代文明に見る闘争とは?
古代アメリカ文明というと、どうしてもインカ・マヤ・アステカになってしまい。旧大陸と比較すると、非常に新しい文明と捉えられてしまいます。
しかし、南アメリカの先端に人類が到達したのが1万1000年前、もちろんもっと古い可能性もありますが。そのころから住み続けて生きた人々の、塗り重ねの結果が、インカ・マヤ・アステカなのです。
先に紹介のあった>モンテ・アルバン<は場所的には、マヤ・アステカの中間に位置しますが、ではインカはいかに?
という事で、古代アンデスを探ります。
さて古代アンデスも私権闘争に明け暮れたのか? それとも違うのか?
/>
ペルー2006探索の旅カラル(Caral)を訪ねるより http://www.y-asakawa.com/peru%202006/peru%202006.htm
これも紹介がありましたが>カラル遺跡<まだまだ詳しい事は不明ですが、紀元前2800となると、旧大陸のメソポタミアやエジプトと大差ない時代です。
posted by dokidoki : 19:53 | コメント (3) | トラックバック (0)
2008年05月01日
古代アメリカ文明は私権闘争の結果築かれたものなのか?
ユーラシア大陸では、5~6000年前にメソポタミヤにおいて掠奪→本源集団が破壊され、私権闘争→(私有と身分をもとにした)私権社会が確立していきますが、これは人類にとって不可避な(必然的な)出来事だったのでしょうか?それとも別の道があったのでしょうか? この疑問は、山奥や海洋の一部の部族を除いて私権社会と化していったユーラシア大陸においては、「もしも」という仮定でしか考える事ができません。 ところがユーラシア大陸とは別に、つい500年前まで一定の進化を遂げた新大陸文明は別の道を辿って文明化した可能性があります。
古代アメリカ文明は(ユーラシア大陸同様に)私権社会だったのか?そうではなかったのか?この疑問こそ古代アメリカ文明を読み解く鍵になりそうです。
メソアメリカの本格的な城塞都市「モンテ・アルバン」から多量に発見されている「征服石板」の史実を見てみます。
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posted by nandeya : 22:09 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年03月07日
新大陸の文明は石器時代?金属の使用から文明を問い直す。
歴史学では、「石器時代」→「青銅器時代」→「鉄器の段階」という順で文明が発展したと捉えられています。
その視点でみるとインカ・マヤ・アステカといった新大陸の文明は(青銅の使用すらない)未発達な「石器時代のままの状態」で高度な文字や天文学、建造物をつくった不思議な文明という見方がされるわけです。
“鉄や銅を使う必要がなかった文明の不思議“ 2008/02/23参照
金属の剛性と靱性、そして加工の難度は、
銅<青銅<鉄
の順で、これは「武器」つまり、「殺傷能力」を向上させる必要性が、よりそれに適した金属の使用を生み出していった過程だといえます。
“旧大陸における鉄器の発達の歴史” 2008/02/25 参照

新大陸では、金属が、武器や道具に使われなかったのはなんで?を考えてみましょう。
続きを読む "新大陸の文明は石器時代?金属の使用から文明を問い直す。"
posted by nandeya : 21:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月23日
鉄や銅を使う必要が無かった文明の不思議
これまでインカ、マヤ、アステカと新大陸の文明を見てきましたが、旧大陸の文明と大きく違う点にスポットを当ててみたいと思いいます。
それはやはり、これらの文明が、石器を中心とした文明であることでしょう。旧大陸では石器から青銅器、鉄器と文明が推移して、現在に至っています。
ところが、新大陸では15世紀後半のコロンブス到来以前は石器中心でした。

金属が無かったわけではない。装飾品としては素敵なものが残っています。
やっぱり不思議です。
さあ、そのなぞに迫ります。お楽しみに?その前に
posted by dokidoki : 20:45 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年01月25日
アステカの統合は掠奪支配ではなく、部族の連合による秩序化だった。
14世紀にメキシコ盆地に文明を築き、1521年にスペインに滅ぼされたアステカ帝国は、血と生贄を好む好戦的なメシーカ族が圧倒的な軍事力で周辺諸国を支配した帝国だったように言われていますが、本当はどうだったでしょうか?

http://www.kufs.ac.jp/kufs_new/chalchuapa/terms.htm
京都外国語大学 エル・サルバドル総合学術調査プロジェクト 用語集より
PHOTO:「テレリアノ・レメンシス絵文書」にみる毛皮を着て弓矢をもつチチメカ人に攻撃される綿の服を着た文明人
アステカ帝国ができていったのは、メソポタミヤ文明の抗争のように、繰り返す掠奪闘争によってもともとの部族社会が完全に崩壊し、殺戮と支配が繰り返されるような状況だったのでしょうか?
続きを読む "アステカの統合は掠奪支配ではなく、部族の連合による秩序化だった。"
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2007年11月23日
アステカ てどんなとこ パート2
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/kuni/yomo23.html
現在のメキシコを中心にした文明はアステカ以前にいくつもあったことが分かっています。そこでちょっと歴史を復習してみたいと思います。
マヤは以前の紹介のように、かなり古くから連続的に繋がっていますが、 :アステカはどうでしょうか?
posted by dokidoki : 22:05 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年11月11日
アステカってどんなところ?
インカ文明、マヤ文明とくれば、次はアステカ文明ですかね。でも、アステカってどこ?
インカ帝国は、南米ペルーの山岳にマチュピチュを築きました。マヤ文明は中米のジャングルの真っ只中でした。今回はこれら2つの文明に引き続いて「アステカ文明」について調べてみます。
三つの文明の共通点や相違点がどのように生まれたのかを探求していくことで、国家統合や人間の原点に迫れたら面白いですね。
太陽の暦石
都があったテスココ湖
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2007年10月29日
マヤに統一国家が存在しなかった理由~逆の理由から検証してみる
前回(リンク)マヤにおいて2000年もの間統一国家が発生しなかった原因と思われる説を5つあげました。 :m042:
今日はその続きです。
前回の原因の中でも特に、地理説、私権性が弱い、外圧が弱かった等の理由の重なったものあたりが有力な気がします。 :tikara:
そこで、今日は一転統一国家が出来上がる要因は何か、逆の過程を考えながら、統一国家が出来たメソポタミアと、中南米では何が違ったのかを比較検証してみたいと思います。 :m002:
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2007年10月28日
マヤ・メキシコの「生贄」は、なんで?パート1

(チチェン・イツァー 出典:ラテンアメリカ博物館)
こんにちは :nihi:
生贄にはまりつつあるbunbunです :m252:
いままで、マヤの生贄について見てきました。生贄文化未経験の私としましては、なんで生贄? :shock: ・・・という疑問が常にあるのですが・・・改めて生贄が行われたのはなんで?を追いつつ更にはまって生きたいと思います。
はまりつつある方は(そうでない方も)是非、ポチットお願いします :m149: :m146: :m146: :m146:
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2007年10月15日
マヤはインカやアステカとは違って、なぜ2000年もの長きにわたって、統一王朝が出現しなかったのか?その2
こんにちわ :D
今回は
マヤはインカやアステカとは違って、なぜ2000年もの長きにわたって、統一王朝が出現しなかったのか?」シリーズ第2段を投稿したいと思います :nihi:

(出典:ブログ el viaje del mundo)
しかし、さすがに「謎の文明」と言われるだけあって、統一王朝が出現しなかった理由も正直定かではありません :m002: 。
今回は、定かではないなりにも、今まで言われてきた説をまとめつつ考えられる説をあげていきたいと思います :shock:
今回もポチットお願いします :m149: :m149: :m149: :m146:
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2007年09月30日
マヤはインカやアステカとは違って、なぜ2000年もの長きにわたって、統一王朝が出現しなかったのか

マヤ低地とテオティワカンの交流:
ティカル-2 からお借りしました
http://www.tuins.ac.jp/~satoh/n_w_a2002/n_w_a2002_5-2.htm
:roll: :roll: マヤはインカやアステカとは違って、なぜ2000年もの長きにわたって、統一王朝が出現しなかったのか? :roll: :roll:
通常どこの地域でも、戦乱に明け暮れた後、統一王朝が成立し、その王朝が倒れると、又戦乱に明け暮れるといった事が繰り返される。ではマヤではどうだったのか?この不思議については多くのマヤ研究者も正確には答えを見つけ出してはいません。
続きを読む "マヤはインカやアステカとは違って、なぜ2000年もの長きにわたって、統一王朝が出現しなかったのか"
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2007年09月29日
生贄文化から見える世界観
こんにちは! :P
saahさんの生贄シリーズ、第一弾「マヤの生贄~何のために行われたのか?」に続く第二弾・・・
をお送りしたいと思います。 :m270:
チャックモール写真解説 「神が舞い降りるマヤの都チチェン・イッツァ」http://allabout.co.jp/contents/secondlife_tag_c/worldheritage/CU20061206A/index4/より
(エル・カスティーヨ内部にあるチャック・モール像と、奥がジャガーの玉座。戦士の神殿にもチャック・モール像があり、像のお腹部分にある鉢に生け贄の心臓が奉げられた)
皆さんは、「生贄」というとどの文明を創造しますか? :roll:
マヤ、アステカ、インカ文明・・・このあたりが思い描かれたのではないでしょうか :-)
確かに、いずれもが「生贄の文化」をもった社会としてクローズアップされており、「なんか、中南米って野蛮な文化があったんだねー」などと考えがち?ですが、ちょっと待ってください!
世界の歴史を紐解くと、いろんな場所で生贄の文化は息づいていたのです。勿論日本でも・・・。
今回は「世界の生贄文化」に目を向けて、その意味に迫ってみたいと思います。
応援お願いします :m149: :m149: :m146:
posted by bunbun : 21:00 | コメント (10) | トラックバック (0)
2007年09月26日
アステカ、インカの悲劇は数千年も前から決まっていた?
こんばんは。ベジです。
カッピカピさんが火器についての記事を書いてくださってますが、この火器に関連してアステカ、インカの滅亡について興味深いことがわかりました。
それは・・・
っとその前に、ポチッと押してからどーぞ
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2007年09月14日
マヤの生贄~何のために行われたのか?
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「戦士の神殿。」ここで敵の捕虜の胸を裂き、心臓を太陽の神に捧げた。
(「神が舞い降りるマヤの都チチェン・イッツァ」よりお借りしました)
文明では「生贄(の儀式)」が「政」の中で非常に重要な位置を占めていたと言われています。インカでも、山の神に捧げられた少女のミイラなどが発見されていますが、マヤでは奴隷を生贄にしたという事例も多くインカとは少し違うような感じます。
現代人の感覚で生贄を理解するのは難しいかもしれません。残酷といってしまえばそれまでですが、そこは一歩踏みとどまって、マヤ人に少しでも同化し「生贄」という行為からマヤ文明の一端を読み解けたらと思います。
今回は、マヤ文明の生贄とはどういうものだったのかを探ります。 :tikara:
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2007年08月17日
インカの国家統合(武力・信仰・性)
これまでの記事で、インカのミイラと精神世界、国家統合がおぼろげにわかってきました。
インカ部族が諸部族を統合する際に、武力による統合ばかりでなく信仰を統合したという事ですが、実はもう一点気になりはじめた事があります。
インカは諸部族集団の統合の要である性関係にまで立ち入っていた点です。
posted by nandeya : 21:09 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年08月14日
インカにおけるミイラの役割-ミイラシリーズのまとめ-
こんにちわ :D
今回はインカのミイラシリーズについて、そのまとめをしてみたいと思います :nihi:
インカのミイラシリーズ1.2.3と探索してきましたが、これらは一つの精神世界として繋がるようです :roll:
今回も、ポチットお願いします :m146: :m146: :m148:
続きを読む "インカにおけるミイラの役割-ミイラシリーズのまとめ-"
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2007年08月11日
インカのミイラNo3 ミイラになった生贄
1995年、アンデス山脈にあるアンパト山は標高6310mの山です。その氷が溶け、氷の中から一人の少女のミイラが姿を現しました。それがこのフワニータ。 インカ帝国にはカパコチャという、子供をいけにえにする習慣があり、彼女は山の神に捧げられたのです。

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2007年07月21日
インカにおいてミイラの意味・役割を探る-2(王様のミイラ)
今回はインカにおいてミイラの意味・役割を探る-2として「王様のミイラ」について追求してみたいと思います。 :D
そもそもインカ帝国におけるミイラは、庶民の場合も同様ですが、その人の生前と同じ扱いをミイラも受けるというのが一般的なようです。
生前と同じ衣服も身にまとい、食事をさせられ、性生活までさせられた!ようです。 :shock:
そのあたりを少し詳しく見ながら、何のためにそうしたのか、そしてそれが王のミイラにとってどんな意味があったのかを考えてみたいと思います。
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2007年07月20日
インカにおいてミイラの意味・役割を探る -1(庶民のミイラ)
:m235:
600年前のミイラ
有名なエジプトのミイラは一部の王様たちのミイラですが、インカのミイラの特徴は、それがもっと幅広く多様に行われていた事です。普通に埋葬してもミイラになる乾燥した風土のようで、様々な発掘例がありました。
歴史的にもインカ以前からミイラが重要だったようです。
まずはその特徴を事例から探ります。
その前に
続きを読む "インカにおいてミイラの意味・役割を探る -1(庶民のミイラ)"
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2007年07月19日
死者を身近に祀るのは古来の慣わしか? -インカのミイラ-
こんにちは。 :D
7月1日から数回のシリーズで放映されているNHKスペシャル「失われた文明インカ・マヤ」の第1回でインカのミイラが紹介されていました。みなさんご覧になりましたか?

(インカ滅亡後にインカの末裔が伝承により描いた図 出典:NHKスペシャル)
私達の生活習慣では、まったく縁遠いミイラ :m252: ですが、インカではかなり生活に密着していたようです :shock: :m002:
そして、多数のミイラがあるばかりでなく、王様のミイラは特別な役割を課せられて崇拝されていたようです。 :shock: :shock: :shock:
これを見ていた友人から
「インカのミイラって、仏像とかキリスト像みたいなものだったのでは?」
という話がありました。つまり具体的な拝む対象だったということです。
そこで気が付いたのですが、これは逆ではないか?と。
今回もぽちっとお願いします :m149: :m149: :m146:
ありがとです :nihi:
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posted by bunbun : 21:07 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年06月23日
中南米の歴史 古代人の移動の謎
インカ帝国を始めとする中南米の歴史はまだまだ解らないことだらけです。 :roll:
しかし、考古学的な検証によれば、約12000年前には、現在のペルー、エクアドルの海岸線地帯に古代文化が栄えたことが分かっています。狩猟、採集、漁猟などを中心とした文明は、やがて農業中心の生活に移り変わり、8000年以上繁栄したとされています。
しかし、1世紀ごろまでに、かつて栄えた文明の種族の多くが、アンデスの高山地方に移り住むようになります。これはなんででしょうか?
posted by hiroshi : 10:47 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年06月21日
古代アンデス文明のなぞ

黄緑に見える部分がインカ文明の版図
■古代アンデス文明のなぞ
古代アンデス文明は今から約12,000年前、現在のペルー、エクアドルの海岸地帯に古代文化が栄えそしてスペイン人に滅ぼされたインカ文明まで続いた。
因みにインカ文明は15世紀中~16世紀中で南北が約4000km 面積が114万km2(日本の約3倍)人口が1000万人(東京都の人口に匹敵する)そして一人の国王によって統合されていた。
posted by ryou : 20:42 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年05月26日
海を渡った縄文人:ワラ算とキープの関連から
以前、このサイトの“みつこ”さんの投稿で「文字がない社会って?!」 でインカ帝国のキープが紹介されました。
私が今興味を持っている琉球や沖縄で「ワラ算」という結縄文字にも触れられていました。
写真をよく見ていただくと分りますが、非常に似ています。


ワラ算(日本) キープ(インカ)
調べていくとこの時代、単に紙とペンがなかっただけで、器用な日本人の祖先にとっては、ワラや縄はもっとも身近な記録媒体だったのかもしれない。
「ワラ算」も、太平洋をわたった縄文人により南米にもたらされ、それをもとに独自にキープとして発展を遂げたのではないか?
と言う疑問が沸いてきます。 このキープとワラ算の関連を調べてみました。
気になりますよね、、
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:m118: :m118: :m118:
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posted by mukai : 07:30 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年05月21日
世界文明 vs 縄文・・・・そして反転がはじまる!?
この↓図版をみて、驚いた。1万年が一目瞭然!注目です。

※この図は佐原真氏の作成らしい、秀逸です。図は「国民の歴史」より
スキャンしたので、傾いて粗っぽい画像ですみません。
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posted by ihiro : 18:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年05月06日
文字がない社会って?!
こんばんは~ :m017: 、みつこ :D です。
今日はゴールデンウィーク最後の日でしたが、あいにくの雨 :m007: でしたね。
みんさんはいかがお過ごしになられましたか?
さて、今日は、ずーっと私の宿題 :m108: だった(tanoさん、期待してくれてありがとうございます!)、無文字社会について。
>支配や徴税の為に文字が生まれたというのは本当でしょうか? by tanoさん
なかなかに深い問題です。
これについては、もっと正確に語る必要があるようで、
確かに文字がもつ不変性、個別参照性(記録を参照する者が個別であるということ。翻せば口承などでは個別参照性はないということ)、遠隔伝達性は、市場や国家の成立及び拡大に、大いに寄与したということは言えそうですが、レヴィ=ストロースが言ったように「文字の使用と大規模な政治組織の出現とは一致する」とまでは言い切れない、みたいなんです。
というのも、南米インカ帝国も、アフリカのガーナ帝国やマリ帝国も、いずれも無文字社会であったけど、広域支配を成していたし、2~300年続いた帝国だからです。
じゃぁ、無文字社会ってどういう風だったの?
気になりますよね 8)
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ありがとうございます :m001:
posted by mituko : 23:15 | コメント (2) | トラックバック (0)

