2008年07月31日
弥生・古墳時代頃までの朝鮮の概況
こんばんは。
最近、弥生・古墳時代についてのエントリーが増えてきていますが、朝鮮から日本に渡って来た人達を知る上で、同時代までの朝鮮の歴史について、少し調べて紹介しようと思います。
■考古学上の時代
●前期旧石器時代
出土品の年代測定から、最も古い旧石器時代の発見は、約30万年前の全谷里(チョンゴンニ)遺跡といわれています。しかし、さらに遡る55万年前の石器が万水里(マンスリ)遺跡から見つかっています。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071124/acd0711242200003-n1.htm

<発見された石器>
上記記事にも書かれていますが、推定年代が正しいとすると、北京原人と同時代ということになり、かなり古い時代から朝鮮半島に人類が進出していたことになります。この時代に日本が大陸と陸続きではなくなるのが、およそ50万年前だから、食料となる大型動物等を追いかけて、陸続きの日本列島にもやってきた可能性もありそうです。
●後期旧石器時代
3万5000千年前~1万年前までの期間。現代の人類に繋がる人類が登場してきた時代。この時代の遺跡は朝鮮半島でも多く存在するようです。
様々な石器が発見されているが、特に日本との関係で言うと、日本では主に北で見られる湧別技法と同じ技法で作られた細石刀が、約1万4000年前頃、朝鮮半島でも発見されています。
湧別技法で作られた替え刃式の石器とは
北海道が完全な島となる以前,14000年ほど前になると,細石刃とよばれる,新しい石
器が,作られるようになります。
細石刃とは,長さ3~4cm,幅5mmほどの,剃刀のような鋭い刃の小石器で,木の棒や
動物の骨で作った軸に1列に埋め込み,ひとつの大きな刃とするもです。
細石刃が作られるようになると,同じ大きさの原石から沢山の細石刃を作ることができ,と
ても効率がよくなりました。
それに,それまでの石器は,刃こぼれすると,使えなくなるが,細石刃だと,刃こぼれした
部分だけ新しいのと取りかえれるから,また使える。
細石刃の製作は,西日本でもはじまったが,中心は北海道だった。北海道には,石器の原材
料となる黒曜石が豊富にあったからだと考えられます。
特に湧別川流域では,高度な細石刃製作の技術が発達し,これを湧別技法という。
湧別技法とは,まず長さ10cmの黒曜石を,木の葉や鰹節のような形にととのえる。それ
を縦の方向に2つに割り,船底型の石核を作る。それを薄く打ち割って,いくつもの細石刃を
作りだすというものです。
http://x.iwa.hokkyodai.ac.jp/~kamisibu/katudo/kyousitu/6/gaku/akih/ainu_j.html#05
さらには、朝鮮半島の南内陸部の谷沿いにある古礼里遺跡からは、剥片尖頭器が発見されている。同じものは日本の九州で集中して発見されていることから、朝鮮半島から渡った石器であると推定されています。
噴火後の九州では,新たな石器として剥片尖頭器という槍状の石器が登場します。南九州でも近年数多くの遺跡からこの剥片尖頭器が出土しており,前山遺跡からも相当数出土しています。そしてこの石器は,朝鮮半島にそのルーツが求められるともいわれ「海を渡った剥片尖頭器」とも呼ばれています。
シラスの上層から出土する剥片尖頭器は,海水面が低くなり幅が狭くなったとはいえ海流が激しく荒ぶる朝鮮海峡を,旧石器人達が勇敢に丸木舟を操って行き来したあかしなのでしょうか。
http://www.jomon-no-mori.jp/no25.htm

<前山遺跡の剥片尖頭器>
約2万5000年前、朝鮮半島から剥片尖頭器の制作技術を持った人々が、九州や本州西端にやってきて伝えたもものと考えられています。
次は、古朝鮮についてです。
続きは、クリックの後で!!
posted by yuyu : 23:12 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年07月20日
ヨーロッパ製世界史 “大航海時代”の大嘘
“大航海時代”という呼び方は、正確ではないと思う。実際彼らの目的や行ってきたことから考えれば、ヨーロッパによる“大掠奪時代”とか、“大侵略時代”と呼んだほうがいい。
(ただイマイチ、ネーミングのセンスがないので、どなたか適切な名称があれば、コメントなどで提案していただければ・・・・)
posted by ihiro : 22:20 | コメント (12) | トラックバック (1)
2008年07月05日
世の中で一番悪いことをするのは“正義の味方”
最近巷では、地球温暖化問題が欧州やマスコミを中心に喧伝されている。CO2削減しなければ地球が危ない、それを推し進めることは良い事だという世界世論作りが進められていている。
そして日本の政治家、福田首相をはじめ、石原某とか、なんとかそれにあやかろうとしている輩も出始めているし、役所や企業も右倣えして、CO2削減を制度化してたりして、なんとか遅れまいとしている。彼らは、冷静に考えれば、CO2が温暖化の原因じゃないのではないか?矛盾する事実が沢山あるのではないか?・・・・・という反論にはまったく耳をかさず考えようともしない。それはすでにもう彼らは“正義の味方”になっている証拠だ。
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posted by ihiro : 22:55 | コメント (6) | トラックバック (0)
2008年06月23日
ヨーロッパ製世界史とは、欧米による植民地支配のための情報・思想操作
こんばんは、Hiroshiです。今日は、古代史から近代史まで貫いて、歴史を見る場合に注意する点を一つ上げたいと思います。それは"歴史”や"史観”とは一種の支配観念(支配のための観念・思想)であるということです。
るいネットにも
> なんで日本の歴史教科書は内省的な内容になるのか?
という投稿がありましたが、これは日本の教育が、欧米白人支配派による植民地教育のための道具として十分に機能しているということを示しています。
ヨーロッパ製の世界史は、西洋の世界進出とともに始まり、植民地支配を正当化するための歴史が捏造されてきた事実があります。特に得意なのはイギリスでした。今日はその歴史経過と事実を辿ってみたいと思います。
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posted by ihiro : 18:33 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月25日
旧大陸における鉄器の発達の歴史
こんにちは。歴史書の中で最初に鉄器を武器として使用したのはヒッタイトですね。
その後メソポタミアから周辺地域に鉄器の使用が広がっていきますが、今日は旧大陸における鉄器の発達の歴史と、その背景について調べ調べてみました。
posted by saah : 10:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月16日
中国は周辺遊牧民が集積し単に膨れあがっただけの大国
先日のtanoさんのコメント :m196:
まずは中国がおかれてきた外圧状況を分析して、古代中国はなぜ大国となったのか?現代の中国はなぜその体質を変えることができないのか?環境の変化に適応できなかった恐竜のように超大国中国もまた激変する社会に適応できない事態を迎えているのかもしれません。
古代中国からここまでなぜ大国となったのか :m052: 少し、いろんな切り口でみていきたいと思います :m193:
今日は「民族」を視点にしてみたいと思います。現代中国は、漢民族+少数の55の民族から形成されています。これほど民族が多い国もかなり珍しいのではないでしょうか :m050: :m197:

byさーね
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posted by sawatan : 23:08 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月14日
縄文時代よりも古代~近世の方が飢えの圧力は大きかったのではないか
:D くまなです
:m118: おもしろいデータを見つけました。

図は倭人の形成の日本人の時代変化からお借りしました。
このデータからわかることは、弥生時代に渡来した人々は、縄文人より高身長で全く異質であったことです。また、縄文人が現代人よりもちっちゃかったことがわかります。
それよりも :shock: 驚きなのは、江戸時代や明治時代の人々は縄文人よりもずっとちっちゃかったということです。男子で約155cm、女子で約145cmしかない。いまの小6から中1ぐらいの身長です。
なんでだろう?
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posted by kumana : 18:00 | コメント (6) | トラックバック (0)
2008年02月02日
中国文明:中国考古学の実情
以前、tanoさんが投稿されていました良渚遺跡跡発掘で中国の王朝史は遡るのか? :wink:
答えにはならないのですが、まずは、中国の考古学事情についての記事をアップしたいと思います。というのも、いろんな情報を集めてみると、どうもこの現実をおさえておかねばならないと感じました :confused:

道端に放置される土器片(All aboutより)
byさーね :m043:
本当の中国の姿は :m050:
応援よろしくお願い致します。 :m118:
posted by sawatan : 20:57 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年01月11日
縄文~弥生~現代の骨格変化:肉体破壊への道
考古の世界では、よく人骨が出土しますね。僕自身の実感ですが、この人骨を初めとする出土品というものから、どのようなことが得られるのか :m052: 考古素人の自分にとっては、なかなかその辺が構造化できていません :m196:
そんな迷いの中で、たまたま人骨に関する面白い説があったので、今日はそれを紹介してみたいと思います。
現代にも警笛を鳴らす、面白い説であると思います :m049:

日本人の骨格は、2回劇的に変化している :m049:
:m118: 応援よろしくお願いします :m051: :m118:
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posted by sawatan : 20:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年01月04日
世界の農耕のはじまり。
三内円山遺跡で栗の栽培の跡とか見つかっていますが、世界の農業がどこでどんなぬうに始まったのでしょうか。農業は重労働を強いられる割に安定収穫は補償されておらず、カロリーも飛躍的に高いわけでもありません。
アフリカ南部に住むサン(ブッシュマン)という狩猟採集民は、栄養価のひじょうに高い(コメの5倍のカロリーの)モンゴンゴの木の実が主食であり、その他数十種の植物を食べる。食料を手に入れるための労働は短時間ですむ。女性の採集は毎日1~3時間、男性は1週間狩りをすれば2~3週間はなにもしない。集団内の4割の人は食料調達の仕事をしていないが、食料は全員に分けられる。それでも必要な栄養量はゆうに上回り、栄養不足はみられない。
働いていない時間は余暇であり、娯楽を楽しみながら暮らしている。あるサンは、「ふんだんにモンゴンゴの実があるのに、何でわざわざ作物を植えたりしなければいかんのかね」と語ったという。

1万年ほど前、氷期が終わり気候が温暖になると、人口が急増して400万人に達したといわれています。現在からすれば圧倒的に少ないですが、狩猟・採集で支えられる人口の上限だったのかもしれません。
posted by tiwawa : 21:31 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年12月09日
アーサー・フェリルの『戦争の起源』
戦争の話題が続いていますね、私もちょっと調べてみました。
最古の集団的暴力の痕跡は、 1万4000年~1万6000年前のアフリカ・ヌビア地方、ナイル川上流のジェベル・サバハ墓地で見つかった58体中24体の人骨の殺傷痕および凶器としての石器に認められ、これが戦争の起源の一つの定説となっているようです。このジェベル・サバハ墓地の遺跡が戦争起源の定説となったのは、アーサー・フェリルの『戦争の起源』によるようです。
以下、『戦争の起源』より引用して、その根拠について要点を紹介します。
●戦争の定義「組織化された戦争」の最良の定義は、一語で足りる。すなわち陣形がそれである。
兵士たちは陣形を組んで戦場に送り出されるとき、そして指揮官のいない勇士たちの一団としてではなく、司令官ないし指揮官のもとに一体となって行動するとき、「原始的な」戦争から「本当の」、すなわち「組織化された」戦争への境界線を、すでに超えているのである。
原始的な戦争は、待ち伏せ攻撃、宿怨に根ざす争い、偶発的な小戦闘からなる。
●武器技術の発達
武器と戦争には明らかに密接な相互関係がある。
前一万二〇〇〇年から八〇〇〇年にかけての亜旧石器時代および前期新石器時代には、武器技術に革命が起こった。圧倒的に強力な四つの新しい武器が出現したのである。これらの武器は(旧石器時代の槍とならんで)、紀元一〇〇〇年以降に至るまで、最も有力な武器として戦争の帰趨を左右した。すなわち、弓、投石器、短刀および鎚矛がそれである。こうした革命的な新しい武器技術の発達にともなって軍事上の戦術が考え出されるにおよんで、歴史的な尺度から見て初めて本当の意味での戦争が発生したのである。
●戦略と戦術
戦争の歴史のうえではるかに重要なのは、新石器時代のはじめまでに、戦略と戦術が応用されるようになり、計画に従って軍隊が編成されていた証拠があることだ。
新石器時代の遺跡から証明できる限りで最も確実に言えるのは、縦隊、横隊の展開がすでに行なわれていたことである。
以下の絵を、この根拠として説明しています。

なるほど、縦隊や横隊などの陣形を組んだ組織的戦闘であること、高度な武器技術があること、が条件のようですが、
★アフリカの戦争の起源を証明するのに、スペインの絵を持ち出すのはなんで?
★スペインの絵はいつの時代のものかハッキリ書かれていないが、なんで?
★スペインの絵のひとつ(上)は狩に行くときの絵のように思えるが、これが兵士である根拠は?
★もうひとつの絵(下)も著者自身が書いているように、側面攻撃の陣形というより、自然の成りゆきでそうなったようにしか見えない。
あれこれと疑問が沸いてきますが、続いて本題のジェベル・サバハ墓地の遺跡の記述を見てみましょう。
posted by nishipa : 11:58 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年11月28日
世界の戦争起源(戦争の考古学より)
:D くまなです
日本における戦争の起源~戦争の考古学的証拠~で、日本における戦争の起源をやりましたが、世界についての起源に触れていなかったので、佐原真の「戦争の考古学」から、世界の戦争起源について紹介します。
日本の起源のところでも扱いましたが、考古学は、どのような考古学的事実をもって、戦争のあった社会、あるいは戦争を知っていた社会を認識するか。以下の中からひとつでも有力な証拠があれば、たがいに補いあって証拠となる、としています。(本格的な城、城塞は除く)
①-守りの村=防禦集落(高地集落、環濠集落、防壁、壕、防禦柵など)
②-武器
③-殺傷(されたあとを留める)人骨
④-武器の副葬=遺体に副えて武器を葬る
⑤-武器形祭器=武器の形を模した祭り・儀式の道具
⑥-戦士・戦争場面の造型
「戦争の考古学」では、世界各地で戦争の起源を考古学はどうとらえているかを紹介している。これを、概ね5000年前のものまでを、時系列で表にまとめました。
posted by kumana : 17:00 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年11月20日
「黄金の国」ジパングと「黄金時代」のオランダ
以前、東インド会社についてのエントリーhttp://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000306.htmlがありましたが、今回は東インド会社に縁の深い(?)ある国と、日本の関係について、ちょっと調べてみました。
・・・勿体つけてもタイトルに書いてあるんですが(笑)
その国とは「オランダ」!!
ヨーロッパの雄といえば、皆さんイギリスやフランス、中世であればポルトガルを思い出すでしょうが、意外や意外(?)実はオランダもすごかったんです。決してチューリップと風車だけが有名なわけじゃないんです!
今日はちょっと中世オランダのお勉強・・・その前に :m027: いつもの :m027:
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posted by maru : 21:26 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月12日
タバコの伝播は大航海時代から
またまた大航海時代のお話です :m041:
大航海時代では世界中で農作物や人、物などが今までになく行き交うようになりました。そこで初めて南米から世界へとタバコが広まっていくのです。
コロンブスの探検隊は、新大陸に到達し、友好のしるしとして、先住民にガラス玉と鏡を贈ると、彼らは返礼に珍しい果物などとともに「香り高い乾燥した葉」を差し出しました。
これが、ヨーロッパの人が手にした初めての :m275: タバコ :m275: です。
posted by pingu : 23:50 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年11月10日
「日本考古学の発祥」に感じたこと
縄文ファンのみなさま今晩は。
今日は、考古学の基礎情報をお届けします。
下の写真の「考古学発祥の地」って、どこだかご存知ですか?
何を今さら!常識じゃん!っていう方は少しご辛抱を :wink:

答えは、東京は大田区の大森駅にこの碑があります。
そう、大森貝塚の地ですね。
この貝塚を最初に発見したのは、アメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モース。
腕足類という生物の研究のため1877年(明治10)来日し、初めて上京した6月19日、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝塚を発見したそうです。詳しくはコチラ
大森停車場を過ぎた線路脇、鉄道建設のため削られた斜面に貝が大量に露出しているのを見たモースは、それが貝塚であることを直感し見逃さなかったようです。
明治5年に開通して以来多くの日本人が同じ風景を見ていましたが、誰も古代人が捨てた貝の堆積した物だとは気付かなかったわけですね。もし、モースが海側の座席に座っていたら貝塚の発見はもっと遅れており、日本の考古学の始まりも数十年は遅れていたのかもしれませんね。これってスゴイ!


貝殻が堆積している様子 発掘の様子
モースの大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことでした。このことから大森貝塚が「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。
ちなみに、大森貝塚からは縄文式後期の土器や土偶、石斧、石鏃、骨角器など、動物の骨はサル、シカ、犬、鯨を含む大量の貝殻などが発掘されています。モースは発見された土器に“cord mark pottery”と名づけ、その和訳から“縄文(土器)”という言葉が生まれたそーです。
大森貝塚といえば学校でも習ったし、なにより大森の隣の駅に会社があってすぐ近くなのですが、外国人が、しかも電車の中から発見したというのは全く知りませんでしたし、驚きでした。
なにも遺跡の発見など大それたことではなく、普段私たちが何気なく暮らしながらも見過ごしてしまっている大事なことって、実はいっぱいあるんじゃないかな~って思いました。
「なんか気になるなー」、「それって本当かな~?」、「何でそうなんだろう?」、「なんか違うような気がするな~」などなど、ついつい曖昧にしてしまい時間が経つと忘れてしまいます(そんなことありませんか?)。 そう感じたら、潜在思念の囁きにフタをせず、耳を傾け、とことん探ってみることが大事だなー、などと感じる今日この頃、、、etoでした。
注)実際に貝塚があった場所は大森駅から徒歩5分ほどの距離にあり、モース達が大森駅で降りて発掘に向かったことから"Shell Mounds of Omori"と報告し、大森貝塚となっているわけですが、住所は品川区大井でして、例によって大田区と品川区との間で“ご当地争い”があったとかなかったとか、、、そんなのどーでもいいです。
最後まで読んでいただいてありがとう♪ 応援お願いいたします。
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posted by nishipa : 19:10 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年11月09日
『日本人』と『大麻』の関係3

みなさんこんばんわ! :m042:
前回の
に引き続き今回も
から引用させていただきます。
posted by mrran : 19:31 | コメント (0) | トラックバック (1)
2007年11月07日
大航海時代にヨーロッパ人がもたらしたもの=病原菌
こんにちわちわわです。
今回も大航海時代にからんだ話題から。
大航海時代、ポルトガル、スペインの中南米への進出により、インカ帝国やアステカ帝国はあっという間に滅ぼされます。その理由の一つが銃火による圧倒的な戦力であることは言うまでもありませんが、もっと恐ろしいのはヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌です。コルテスによる征服の直前、メキシコ中央部の人口は2500万でしたが、50年後には265万人に激減しています。
また、ペルーでも、80~90%の人口が失われたと言われています。
これは、現地人が奴隷化され、金銀採掘やサトウキビ栽培で酷使されたことも一因で、確かに多数の死者がでているようですが、ヨーロッパ人がもたらした天然痘、はしか、マラリアなどによってアメリカ大陸の住民が受けた影響のほうが、はるかに甚大でした。
⇒
古くから牧畜を行い、他国との交流も盛んだったヨーロッパ人はある程度病原菌に対する免疫力を高めていたのに対し、中南米大陸の人達はこれまで他の大陸の人と接することが無かったために、免疫力が無かったのです
アフリカ大陸の黒人を奴隷として大量につれてきたのも、現地人の人口減少により、労働力が圧倒的に不足したためで、同じく植民地化されたアジアの国々は免疫力を持っていたため現地人で労働力を確保でき、奴隷貿易の対象にならなかったのが大きく異なるところです。
他国と接触の無かった日本でも古くから疫病は恐ろしいものとされてきましたが、大量死にいたる本因は飢饉による飢餓によるもので、本格的に疫病が蔓延するのは中国大陸に戦争に赴くようになる明治後期から大正時代あたりです。
幸いな事にこのころには既に西洋医学がもたらされ抗体物質の投与も可能で、アメリカ大陸のような悲劇は回避できたものと思われます。
もう一つ、日本人の他国と異なるところは、非常に清潔だったところです。清掃の習慣の無い中国などとは決定的に異なります。
posted by tiwawa : 00:02 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月02日
『日本人』と『大麻』の関係2
みなさんこんばんは
以前(2007年10月12日)に“『日本人』と『大麻』の関係” を紹介し、
>縄文時代、何故土器に大麻の縄の模様をつけたかについては又の機会に考察していきます!
>縄文時代も大麻のもつ神秘的な力について、認識していた可能性が高いですね。これについても又の機会に考察していきます!と書きました。

写真はネパールに自生するヘンプ(大麻)を、手紡ぎで2本取りにして撚り上げた糸です
今回は上記についてまさに考察されているサイトを見つけたのでまずは紹介します。
麻生結のひとりごと ←これね!
また、当ブログでは上記サイトを数回に亘って紹介しようと思いますが、全編を読みたい人や次投稿まで待ちきれない人は是非上記サイトまで訪れてください。
posted by mrran : 19:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年10月25日
太古から希少価値の金
世界で始めて貴金属として扱われ、装飾品に使われてきた金。最古の歴史にあるものでは、古代シュメール人が紀元前6000年頃、すでに金装飾を用いていました。歴史上最も有名だと思われるものは、ツタンカーメンの墓 でしょうが、これは紀元前1300年代に作られたものとされています。
古代エジプトでは昔 から「金は高価で尊いものである」として珍重し、金は神が王に遣わしたものだとして、一般市民が金のかけらを持つことさえ禁じました。国民はたとえわずかでも、全てファラオに差し出すものと決められていたのです。
インカ帝国を支えていたのが、金の採掘ですが、スペインに滅ぼされてしまいました。 スペインは金を奪いつくして去っていき、その莫大過ぎる量(一説に5トンとも)が一気にヨーロッパに流通したおかげで、インフレを引き起こし、スペインの国力を弱めることになってしまいました。
基本的に、金というのはいつでも不足していて、希少性の高い金属です。なにしろ、金の埋蔵量は極端に少なく、1トンの金鉱石から3グラムも取れれば上出来という世界です。そこで、中世ヨーロッパでは他の金属から金を生み出す研究が盛んに行われました。これが有名な錬金術というものです。
残念ながら、金を作り出す事はできませんでしたが、錬金術から生まれたさまざまな技術が、現在の科学の始まりとなっています。
posted by tiwawa : 23:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年10月09日
胡椒が高価だったのは。。。
こんばんは~ :m017: 、みつこ :D です。
突然ですが、今日は大航海時代の胡椒について。
当時のヨーロッパでは、
「胡椒一粒 :m095: は黄金一粒 :m261: 」と言われたくらい、胡椒はとーっても高価だったんです。
なんと :shock: !!喜望峰を見つけたバスコ・ダ・ガマが持ち帰った胡椒は、仕入れ値の60倍で売れたそうです。
すっごーい :love:
一般的には肉 :m177: の保存、ニオイ消しに使うため必要だった、、、って説明を聞くのですが、でもでも、果たしてそれだけなのでしょうか?
だって、保存するためなら、古くからヨーロッパで栽培されている『にんにく』 :m146: でいいじゃん!!わざわざ高価な胡椒でなくったっていいじゃん!!
うーん、なんでだろう?
なので、ちょいと調べてみました。 :m174:
そうやなー。そのために、命かけてまで大海原 :m180: :m008: に出かけてゆくかー :m096: :m050:
そう思ってくれた方、応援してから続きを読んでくださーい :m072: お願いします♪
ありがとうございます :m022:
posted by mituko : 22:52 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年10月06日
長江文明が日本に伝えたもの
こんばんは、中国文明からetoです。
以前の投稿で、 「長江文明の担い手『苗族』が日本に渡来し、稲作文化を伝えた」と紹介しましたが、
稲作以外にも長江文明に起源をもつものが多くあるようです。
いったい何が伝わったのか、どのような共通点があるのか、紹介します。
● 『ブナ林と古代史』では、稲作と鳥と太陽信仰と山岳信仰が長江からやってきたと述べています。
・太陽信仰と鳥信仰は日本の神話でも見られる。
皇室の祖神である天照大神は日の神、即ち太陽神そのものであった。
神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る路を先導したのが天から下された「八咫(やたがらす)」という大烏であった。更に伊勢神宮、熱田神宮など多くの神社では、「神鶏」は日の出を告げる神の使いとして大切にされている。
・苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されていた。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主な蛋白源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行なわれている。
●次に、 (リンク)では、神社信仰の起源を中心に、日本文化の基層はアジア南方の照葉樹林文化にあると述べています。
・神社に特有とされる高床式建物、千木・鰹木は、広くアジアに目を向けると揚子江流域の江南地方およびタイ、ミャンマーなどの東南アジア山岳部に住む少数民族社会にその原型と考えられるものが現存する。
雲南省は苗族村の高床式建物です。
・鳥居と形態の似たものは雲南省や東南アジア北部の山岳地帯の少数民族の集落などに見られ、左右二本の柱の上に木を横に渡し注連縄が飾られるという。ただ、これらの地域では鳥居は「社(やしろ)の門」ではなく「共同体の門(ロコーン)」である点が日本の鳥居と異なる。
・いれずみと断髪、歌垣、アニミズム、山岳信仰、赤米と穀霊信仰、そして農具や木・竹・わらの道具、下駄、草履などの日本人になじみのあるものも共通して見られる。
・ワラビ、クズの根、カシ、トチなどの堅果を水に晒してあく抜きする技法、養蚕から絹を加工する技法、ウルシの樹液から漆器をつくる技法、柑橘類の栽培と利用、麹を用いた酒の醸造などが挙げられる。
・納豆の製造もこの地域が起源であって、粘つく納豆は日本独特だが、京都に伝承される大徳寺納豆、愛知県豊橋市に伝承される浜納豆などの乾燥納豆は雲南地方にも見られる。
・焼畑の開始期に行われる儀礼的狩猟や、その収獲期に行われる八月十五夜の祭り、そして鵜飼いの風習など文化人類学、民俗学的観点から興味深い習俗、儀礼もこの地帯に広くみられる。
・以上述べたことをまとめると、少なくとも神社信仰の基層は中国江南地方を中心にアジア南方に広がる照葉樹林文化の一要素であって、古い時代に稲作などとともに複合文化として日本列島に渡来したと考えるのが自然であることがわかるだろう。
※こうして見ると、随分と色んなものが伝わっていることが分かります。
調べると、もっとありそうですね。鵜飼いや納豆もとは、、、!
アジア南方の照葉樹林文化が長江文明を担った民によって伝来されたのでしょう。
このように風習や習俗が伝承されたとなると、気になるのは、その思想的背景も一緒に伝わったのではないか、という点。つまり同じ長江流域の母系共同社会で生まれた道教(民俗信仰)ですね。
この点はまた次の機会に追求していきたいと思います。
posted by nishipa : 22:46 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年09月27日
エジプト発~貴重品として世界に広まった“ネコ”
こんばんは :-)
さーねさんの鹿に続いて、ネコの話題です :m172:
現在の家畜(~ペット)といえば、なんといっても犬や猫ですが、古代はどうだったのでしょう?
羊や犬に牛や豚などはすぐに思い浮かびますが、では猫は???
なんか大して役に立ちそうにないし、食べてもまずそうだし、、、
でも、縄文にはネコの土偶?があるらしい。

山梨県御坂町上黒駒出土 縄文時代(中期)
うーん、これってネコに見えますか??
縄文時代から猫っていたのかな~?
ということで、ネコのルーツを探ってみました :-)
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2007年09月23日
西欧の対外侵略の原型 「北の十字軍」 ~掠奪殺人正当化の論理がキリスト教によって与えられた~
近代における西欧の膨張と世界の植民地化。その先触れとなったのが、十字軍だ。十字軍は、キリスト教の聖地奪還のというお題目の背後で、殺戮・略奪が横行した。
十字軍はある意味、キリスト教徒による失地回復という論理(大儀名文)があった。東方エルサレムの奪還や西方のスペインの領土回復。
しかし、「北の十字軍」ではさらに都合よく論理を飛躍させて、侵略を開始していった。
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2007年09月20日
小学社会に「縄文」
標題の記事は9月12日の産経新聞のコラムにかかれてありました。
何の事かわからない人の為にまずは、記憶に新しい年初の縄文ー古代ブログのカッピカピさんの記事を紹介します。
さて、去る2006年12月22日の読売新聞に 『小6教科書 縄文以前記述なし』 という見出しの記事が掲載されていたのを皆さん御存知だったでしょうか? (中略) 現行の学習指導要領によると、日本の歴史は、小学6年生の社会科で初めて教えることになっていますが、現在の教科書には旧石器時代や縄文時代についての記述がほとんどないそうです。 教科書から縄文時代以前の記述が消えたのは、1989年の学習指導要領改訂がキッカケでした。俗にいう、ゆとりカリキュラムと呼ばれる学習指導要領です。この改正で、小6の歴史学習の最初の部分が、 「農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土統一の様子が分かること。」 と規定されました。このことから、小6の歴史では、農耕の始まりを指す「弥生時代」から教えればよいことになり、それに先立つ縄文時代以前の出来事は教えなくてもよいことになってしまったのです!
それがなんと・・・・ゆとり教育の見直しがなされる中で縄文時代の記述が復活したのです。 :shock:
さてその内容は・・・ 8) 知りたい人はポチッと押して進んでください。
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posted by tano : 01:41 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年09月18日
縄文ー古代通信NO6(19年9月号―1周年記念号)
みなさん、当ブログは1周年を迎えました~☆ パチ パチ パチ パチ
当ブログが現在のようなかたちになったのが18年の9月です。
第一声は9月7日付けのtanoさんの投稿「略称「縄文・古代ブログ」の当面の課題について」と「縄文ブログがリニューアルしました!」です。
1周年ということもあり、当初の課題設定に対して、この1年の追求はどうだったか見てみる必要があると思います。そこで、この9月号を1周年記念号として、そのあたりにも触れながらまとめたいと思います。
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posted by kumana : 23:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年09月16日
縄文時間ってなに?
simasanさんの投稿 環太平洋圏の海流・気流は縄文人をどこに導いたか? に「九州と東北はおそらくは1年以内、縄文時間ならば事実上のゼロ時間で接続されるわけです」とありました。この縄文時間って何でしょう? 時間がゆっくり動いていることだと思うのだけれど・・・
そこで調べてみました。
(ブログランキングに協力願います。)
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posted by mukai : 18:00 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年09月10日
イギリス東インド会社②:儲けを求めて、貿易→徴税権(征服)→アヘンの三角貿易へ
イギリス東インド会社は、産業革命と前後してインド征服と中国へのアヘン売り込みとやりたい放題始めます。東インド会社の成功を見たイギリスの他の商業資本も、東インド会社の独占貿易を崩して進出しはじめます。
東インド会社:インドや中国という古代的国家を収奪・解体した怪物会社 の続きです。

ロンドンにあった東インド会社
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posted by ihiro : 19:15 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年09月02日
ユダヤ5000年の教え:“お金”のことわざより
こんばんは、Hiroshiです。
今日は、お金のことわざについて。それも、世界の富を動かすユダヤの人々のお金に関することわざについて調べてみました。彼らのお金への意識が見えてきます。

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posted by ihiro : 19:04 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年08月26日
東インド会社:インドや中国という古代的国家を収奪・解体した怪物会社
やや近代に深入りしていきます。インドや中国という古代文明的な国家が、欧米の商人勢力に安々と侵食され、植民地化されていった事実を探ってみたいと思います。
大英帝国の基礎を築いた海賊の続きです。
大英帝国は、イギリス女王お墨付きの海賊が、スペインの無敵艦隊などを追い払い、世界の海の制海権を握っていきます。
その後インドやアジア方面で、実際に交易を行っていったのは東インド会社などの商業会社でした。その今で言えば商社が、アジア方面の植民地化の端緒を開いていきます。

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posted by ihiro : 12:10 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年08月24日
琉球の交流の歴史~概要編
少し前、etoさんも取り上げられていましたが、本土とは違った歴史を歩んできた琉球について、なか