2008年11月30日
DNAから、人類の拡散を探る~その5
従来の考古学的な研究からは、新大陸への移住のルートやその年代について様々な意見が出されているようです。
これに対し、アメリカ先住民のDNAのハプログループの分析によって、その祖先、移住のルート、その時期が分かってきました。
今日はいよいよその部分に言及してみたいと思います。
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2008年11月29日
DNAから、人類の拡散を探る その4

アプライドバイオシステムズ ジャパン株式会社
さて シリーズ4回目の今回は
⑦『拡散の跡を探る』
⑧『ハプログループからみた人類の分岐』
を扱いたいと思います。
アフリカを出発した人類は2つのルートを選択したようですね.。
(以前の投稿も参考にしてください)
DNAから、人類の拡散を探る~その3
その後はどうなったのでしょうか?・・・・アジアまでの足跡を探ります。
posted by dokidoki : 16:06 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年11月17日
DNAから、人類の拡散を探る~その3
⑥『出アフリカの二つのルート』
人類がアフリカから世界に拡散して行ったという説はよく耳にするところです。
さて三回目の今日は、そのアフリカからいよいよ旅立って行く人類がどのようなルートを辿って行ったのかを追いかけてみることにします。
過去のブログ記事もあわせてご覧ください。
DNAから、人類の拡散を探る その2
DNAから、人類の拡散を探る
ミトコンドリアDNAとは【基礎知識】
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2008年11月15日
DNAから、人類の拡散を探る その2
こんにちは 皆さん
saahさんの
テーマ設定にそって次は
④アフリカを出た人達の経路はどのようにして知ることが出来るか?
⑤人類の移動(拡散)の時期はどのようにして知ることが出来るのか?
ですね。
この2つの「どのようにして知ることが出来るか」を レポートします
人類の進化と拡散 からお借りしました
posted by dokidoki : 21:07 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年10月31日
DNAから、人類の拡散を探る
こんにちは、saahです。
今回は、人類の拡散過程について、DNAという視点から追求してみたいと思います。
まず、なぜDNAから人類の拡散過程を調べようとしているか?ですが、
従来は遺跡から発掘された人骨や歯などの形態的な特徴から、人類集団の系統や血縁関係などを類推してきました。
それに対し、昨今分子生物学の進歩により、生物としての歴史が書き込まれている遺伝子の本体であるDNAの解析の精度が格段に上がり、そこから私たち人類の歴史に関する様々なことが解明されてきています。
もともと4種類しかないDNAの様々な配列で人体が成り立っているのですが、このDNAは複製を繰り返す中で、突然変異といって、今までとは異なる配列を作ってしまうことが稀にあります。さらに生殖系の細胞に起こった突然変異は子孫へと受け継がれて行くので、その後他人とは異なった配列を持つタイプが出来ます。
こうしたタイプを調べてゆくことで、親子関係を特定したり、あるいは共通の祖先のタイプをさかのぼることが出来ます。(いわゆる「DNA鑑定」と言うのがこれですね)
最近はこのDNAの研究がさらに進んで、人類の祖先に関して「アフリカ起源説」や、あらたに「人種」とは異なる「ハプログループ」と言った概念が登場したりして、その方面のいろんな書物が書かれています。
今回はこのDNAの解明から、人類の拡散の過程がどうだったのかを、篠田謙一氏著作の「日本人になった祖先たち」を紹介しながら以下のような順番に人類の拡散を探ってみたいと思います。
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2008年10月21日
朝鮮半島に前方後円墳があるのなんで?

みなさんもよく知っている前方後円墳。私は日本固有の古墳だと思っていたのですが近年では朝鮮半島西南部でもその前方後円墳が10数カ所発見されているそうです。 :shock:
前方後円墳は日本では3世紀頃に登場して7世紀前半に消滅したと言われており日本全域で7000基以上発見されいます。一方、朝鮮半島では5世紀から6世紀まで登場して消えたと言われています。
歴史的にはやはり日本の方が古いんですね!
では、日本の文化であった前方後円墳が何故朝鮮半島にあるのか?気になりませんか?
今日はその辺りを扱っている興味深い記事を発見しましたので紹介したいと思います。 『大倭穴友会』 からお借りしました。ちょっと長いですがそのまま引用します。
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2008年10月20日
「領(し)る」を「知る」に変えた日本人
日本人は、大陸から文字が伝わり、どのようにそれを取り入れていったか?仮説的な論考があったので、アップしてみます。
縄文時代…「支配」という圧力とは無縁だった、彼らの意識構造を垣間見ることができそうです。
参考サイト
古橋信孝『「知る」ー和語の文化誌』を読んでから抜粋させて頂きました :m061:
byさーね :o
:m118: :m051: 応援よろしくです :m051: :m118:
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2008年10月06日
縄文:文字が必要なかったのはなんで?~文字伝来は支配のため
中国大陸,朝鮮半島と日本の関係を追っているうちに、面白い切り口を思いつきました。
「文字」です。日本語の起源に関する追求は、るいネットでも最近結構あります。
中国あるいは朝鮮半島から日本に文字がもたらされた様ですが、色々、調べていくうちに、僕自身は逆に考えた方が良いのではないか?
縄文に文字が必要なかったのはなんで?
そこを考えてみたいと思います。 :o

まだ読んでないのですが…^^;
文字と古代日本 :m061: の紹介を参考にさせていただきました。
:m118: :m118: 応援よろしくです! :m118: :m118:
![]()
byさーね :D
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2008年07月31日
弥生・古墳時代頃までの朝鮮の概況
こんばんは。
最近、弥生・古墳時代についてのエントリーが増えてきていますが、朝鮮から日本に渡って来た人達を知る上で、同時代までの朝鮮の歴史について、少し調べて紹介しようと思います。
■考古学上の時代
●前期旧石器時代
出土品の年代測定から、最も古い旧石器時代の発見は、約30万年前の全谷里(チョンゴンニ)遺跡といわれています。しかし、さらに遡る55万年前の石器が万水里(マンスリ)遺跡から見つかっています。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071124/acd0711242200003-n1.htm

<発見された石器>
上記記事にも書かれていますが、推定年代が正しいとすると、北京原人と同時代ということになり、かなり古い時代から朝鮮半島に人類が進出していたことになります。この時代に日本が大陸と陸続きではなくなるのが、およそ50万年前だから、食料となる大型動物等を追いかけて、陸続きの日本列島にもやってきた可能性もありそうです。
●後期旧石器時代
3万5000千年前~1万年前までの期間。現代の人類に繋がる人類が登場してきた時代。この時代の遺跡は朝鮮半島でも多く存在するようです。
様々な石器が発見されているが、特に日本との関係で言うと、日本では主に北で見られる湧別技法と同じ技法で作られた細石刀が、約1万4000年前頃、朝鮮半島でも発見されています。
湧別技法で作られた替え刃式の石器とは
北海道が完全な島となる以前,14000年ほど前になると,細石刃とよばれる,新しい石
器が,作られるようになります。
細石刃とは,長さ3~4cm,幅5mmほどの,剃刀のような鋭い刃の小石器で,木の棒や
動物の骨で作った軸に1列に埋め込み,ひとつの大きな刃とするもです。
細石刃が作られるようになると,同じ大きさの原石から沢山の細石刃を作ることができ,と
ても効率がよくなりました。
それに,それまでの石器は,刃こぼれすると,使えなくなるが,細石刃だと,刃こぼれした
部分だけ新しいのと取りかえれるから,また使える。
細石刃の製作は,西日本でもはじまったが,中心は北海道だった。北海道には,石器の原材
料となる黒曜石が豊富にあったからだと考えられます。
特に湧別川流域では,高度な細石刃製作の技術が発達し,これを湧別技法という。
湧別技法とは,まず長さ10cmの黒曜石を,木の葉や鰹節のような形にととのえる。それ
を縦の方向に2つに割り,船底型の石核を作る。それを薄く打ち割って,いくつもの細石刃を
作りだすというものです。
http://x.iwa.hokkyodai.ac.jp/~kamisibu/katudo/kyousitu/6/gaku/akih/ainu_j.html#05
さらには、朝鮮半島の南内陸部の谷沿いにある古礼里遺跡からは、剥片尖頭器が発見されている。同じものは日本の九州で集中して発見されていることから、朝鮮半島から渡った石器であると推定されています。
噴火後の九州では,新たな石器として剥片尖頭器という槍状の石器が登場します。南九州でも近年数多くの遺跡からこの剥片尖頭器が出土しており,前山遺跡からも相当数出土しています。そしてこの石器は,朝鮮半島にそのルーツが求められるともいわれ「海を渡った剥片尖頭器」とも呼ばれています。
シラスの上層から出土する剥片尖頭器は,海水面が低くなり幅が狭くなったとはいえ海流が激しく荒ぶる朝鮮海峡を,旧石器人達が勇敢に丸木舟を操って行き来したあかしなのでしょうか。
http://www.jomon-no-mori.jp/no25.htm

<前山遺跡の剥片尖頭器>
約2万5000年前、朝鮮半島から剥片尖頭器の制作技術を持った人々が、九州や本州西端にやってきて伝えたもものと考えられています。
次は、古朝鮮についてです。
続きは、クリックの後で!!
posted by yuyu : 23:12 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年07月20日
ヨーロッパ製世界史 “大航海時代”の大嘘
“大航海時代”という呼び方は、正確ではないと思う。実際彼らの目的や行ってきたことから考えれば、ヨーロッパによる“大掠奪時代”とか、“大侵略時代”と呼んだほうがいい。
(ただイマイチ、ネーミングのセンスがないので、どなたか適切な名称があれば、コメントなどで提案していただければ・・・・)
posted by ihiro : 22:20 | コメント (16) | トラックバック (0)
2008年07月05日
世の中で一番悪いことをするのは“正義の味方”
最近巷では、地球温暖化問題が欧州やマスコミを中心に喧伝されている。CO2削減しなければ地球が危ない、それを推し進めることは良い事だという世界世論作りが進められていている。
そして日本の政治家、福田首相をはじめ、石原某とか、なんとかそれにあやかろうとしている輩も出始めているし、役所や企業も右倣えして、CO2削減を制度化してたりして、なんとか遅れまいとしている。彼らは、冷静に考えれば、CO2が温暖化の原因じゃないのではないか?矛盾する事実が沢山あるのではないか?・・・・・という反論にはまったく耳をかさず考えようともしない。それはすでにもう彼らは“正義の味方”になっている証拠だ。
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posted by ihiro : 22:55 | コメント (6) | トラックバック (0)
2008年06月23日
ヨーロッパ製世界史とは、欧米による植民地支配のための情報・思想操作
こんばんは、Hiroshiです。今日は、古代史から近代史まで貫いて、歴史を見る場合に注意する点を一つ上げたいと思います。それは"歴史”や"史観”とは一種の支配観念(支配のための観念・思想)であるということです。
るいネットにも
> なんで日本の歴史教科書は内省的な内容になるのか?
という投稿がありましたが、これは日本の教育が、欧米白人支配派による植民地教育のための道具として十分に機能しているということを示しています。
ヨーロッパ製の世界史は、西洋の世界進出とともに始まり、植民地支配を正当化するための歴史が捏造されてきた事実があります。特に得意なのはイギリスでした。今日はその歴史経過と事実を辿ってみたいと思います。
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2008年02月25日
旧大陸における鉄器の発達の歴史
こんにちは。歴史書の中で最初に鉄器を武器として使用したのはヒッタイトですね。
その後メソポタミアから周辺地域に鉄器の使用が広がっていきますが、今日は旧大陸における鉄器の発達の歴史と、その背景について調べ調べてみました。
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2008年02月16日
中国は周辺遊牧民が集積し単に膨れあがっただけの大国
先日のtanoさんのコメント :m196:
まずは中国がおかれてきた外圧状況を分析して、古代中国はなぜ大国となったのか?現代の中国はなぜその体質を変えることができないのか?環境の変化に適応できなかった恐竜のように超大国中国もまた激変する社会に適応できない事態を迎えているのかもしれません。
古代中国からここまでなぜ大国となったのか :m052: 少し、いろんな切り口でみていきたいと思います :m193:
今日は「民族」を視点にしてみたいと思います。現代中国は、漢民族+少数の55の民族から形成されています。これほど民族が多い国もかなり珍しいのではないでしょうか :m050: :m197:

byさーね
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posted by sawatan : 23:08 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月14日
縄文時代よりも古代~近世の方が飢えの圧力は大きかったのではないか
:D くまなです
:m118: おもしろいデータを見つけました。

図は倭人の形成の日本人の時代変化からお借りしました。
このデータからわかることは、弥生時代に渡来した人々は、縄文人より高身長で全く異質であったことです。また、縄文人が現代人よりもちっちゃかったことがわかります。
それよりも :shock: 驚きなのは、江戸時代や明治時代の人々は縄文人よりもずっとちっちゃかったということです。男子で約155cm、女子で約145cmしかない。いまの小6から中1ぐらいの身長です。
なんでだろう?
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2008年02月02日
中国文明:中国考古学の実情
以前、tanoさんが投稿されていました良渚遺跡跡発掘で中国の王朝史は遡るのか? :wink:
答えにはならないのですが、まずは、中国の考古学事情についての記事をアップしたいと思います。というのも、いろんな情報を集めてみると、どうもこの現実をおさえておかねばならないと感じました :confused:

道端に放置される土器片(All aboutより)
byさーね :m043:
本当の中国の姿は :m050:
応援よろしくお願い致します。 :m118:
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2008年01月11日
縄文~弥生~現代の骨格変化:肉体破壊への道
考古の世界では、よく人骨が出土しますね。僕自身の実感ですが、この人骨を初めとする出土品というものから、どのようなことが得られるのか :m052: 考古素人の自分にとっては、なかなかその辺が構造化できていません :m196:
そんな迷いの中で、たまたま人骨に関する面白い説があったので、今日はそれを紹介してみたいと思います。
現代にも警笛を鳴らす、面白い説であると思います :m049:

日本人の骨格は、2回劇的に変化している :m049:
:m118: 応援よろしくお願いします :m051: :m118:
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posted by sawatan : 20:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年01月04日
世界の農耕のはじまり。
三内円山遺跡で栗の栽培の跡とか見つかっていますが、世界の農業がどこでどんなぬうに始まったのでしょうか。農業は重労働を強いられる割に安定収穫は補償されておらず、カロリーも飛躍的に高いわけでもありません。
アフリカ南部に住むサン(ブッシュマン)という狩猟採集民は、栄養価のひじょうに高い(コメの5倍のカロリーの)モンゴンゴの木の実が主食であり、その他数十種の植物を食べる。食料を手に入れるための労働は短時間ですむ。女性の採集は毎日1~3時間、男性は1週間狩りをすれば2~3週間はなにもしない。集団内の4割の人は食料調達の仕事をしていないが、食料は全員に分けられる。それでも必要な栄養量はゆうに上回り、栄養不足はみられない。
働いていない時間は余暇であり、娯楽を楽しみながら暮らしている。あるサンは、「ふんだんにモンゴンゴの実があるのに、何でわざわざ作物を植えたりしなければいかんのかね」と語ったという。

1万年ほど前、氷期が終わり気候が温暖になると、人口が急増して400万人に達したといわれています。現在からすれば圧倒的に少ないですが、狩猟・採集で支えられる人口の上限だったのかもしれません。
posted by tiwawa : 21:31 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年12月09日
アーサー・フェリルの『戦争の起源』
戦争の話題が続いていますね、私もちょっと調べてみました。
最古の集団的暴力の痕跡は、 1万4000年~1万6000年前のアフリカ・ヌビア地方、ナイル川上流のジェベル・サバハ墓地で見つかった58体中24体の人骨の殺傷痕および凶器としての石器に認められ、これが戦争の起源の一つの定説となっているようです。このジェベル・サバハ墓地の遺跡が戦争起源の定説となったのは、アーサー・フェリルの『戦争の起源』によるようです。
以下、『戦争の起源』より引用して、その根拠について要点を紹介します。
●戦争の定義「組織化された戦争」の最良の定義は、一語で足りる。すなわち陣形がそれである。
兵士たちは陣形を組んで戦場に送り出されるとき、そして指揮官のいない勇士たちの一団としてではなく、司令官ないし指揮官のもとに一体となって行動するとき、「原始的な」戦争から「本当の」、すなわち「組織化された」戦争への境界線を、すでに超えているのである。
原始的な戦争は、待ち伏せ攻撃、宿怨に根ざす争い、偶発的な小戦闘からなる。
●武器技術の発達
武器と戦争には明らかに密接な相互関係がある。
前一万二〇〇〇年から八〇〇〇年にかけての亜旧石器時代および前期新石器時代には、武器技術に革命が起こった。圧倒的に強力な四つの新しい武器が出現したのである。これらの武器は(旧石器時代の槍とならんで)、紀元一〇〇〇年以降に至るまで、最も有力な武器として戦争の帰趨を左右した。すなわち、弓、投石器、短刀および鎚矛がそれである。こうした革命的な新しい武器技術の発達にともなって軍事上の戦術が考え出されるにおよんで、歴史的な尺度から見て初めて本当の意味での戦争が発生したのである。
●戦略と戦術
戦争の歴史のうえではるかに重要なのは、新石器時代のはじめまでに、戦略と戦術が応用されるようになり、計画に従って軍隊が編成されていた証拠があることだ。
新石器時代の遺跡から証明できる限りで最も確実に言えるのは、縦隊、横隊の展開がすでに行なわれていたことである。
以下の絵を、この根拠として説明しています。

なるほど、縦隊や横隊などの陣形を組んだ組織的戦闘であること、高度な武器技術があること、が条件のようですが、
★アフリカの戦争の起源を証明するのに、スペインの絵を持ち出すのはなんで?
★スペインの絵はいつの時代のものかハッキリ書かれていないが、なんで?
★スペインの絵のひとつ(上)は狩に行くときの絵のように思えるが、これが兵士である根拠は?
★もうひとつの絵(下)も著者自身が書いているように、側面攻撃の陣形というより、自然の成りゆきでそうなったようにしか見えない。
あれこれと疑問が沸いてきますが、続いて本題のジェベル・サバハ墓地の遺跡の記述を見てみましょう。
posted by nishipa : 11:58 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年11月28日
世界の戦争起源(戦争の考古学より)
:D くまなです
日本における戦争の起源~戦争の考古学的証拠~で、日本における戦争の起源をやりましたが、世界についての起源に触れていなかったので、佐原真の「戦争の考古学」から、世界の戦争起源について紹介します。
日本の起源のところでも扱いましたが、考古学は、どのような考古学的事実をもって、戦争のあった社会、あるいは戦争を知っていた社会を認識するか。以下の中からひとつでも有力な証拠があれば、たがいに補いあって証拠となる、としています。(本格的な城、城塞は除く)
①-守りの村=防禦集落(高地集落、環濠集落、防壁、壕、防禦柵など)
②-武器
③-殺傷(されたあとを留める)人骨
④-武器の副葬=遺体に副えて武器を葬る
⑤-武器形祭器=武器の形を模した祭り・儀式の道具
⑥-戦士・戦争場面の造型
「戦争の考古学」では、世界各地で戦争の起源を考古学はどうとらえているかを紹介している。これを、概ね5000年前のものまでを、時系列で表にまとめました。
posted by kumana : 17:00 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年11月20日
「黄金の国」ジパングと「黄金時代」のオランダ
以前、東インド会社についてのエントリーhttp://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000306.htmlがありましたが、今回は東インド会社に縁の深い(?)ある国と、日本の関係について、ちょっと調べてみました。
・・・勿体つけてもタイトルに書いてあるんですが(笑)
その国とは「オランダ」!!
ヨーロッパの雄といえば、皆さんイギリスやフランス、中世であればポルトガルを思い出すでしょうが、意外や意外(?)実はオランダもすごかったんです。決してチューリップと風車だけが有名なわけじゃないんです!
今日はちょっと中世オランダのお勉強・・・その前に :m027: いつもの :m027:
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posted by maru : 21:26 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月12日
タバコの伝播は大航海時代から
またまた大航海時代のお話です :m041:
大航海時代では世界中で農作物や人、物などが今までになく行き交うようになりました。そこで初めて南米から世界へとタバコが広まっていくのです。
コロンブスの探検隊は、新大陸に到達し、友好のしるしとして、先住民にガラス玉と鏡を贈ると、彼らは返礼に珍しい果物などとともに「香り高い乾燥した葉」を差し出しました。
これが、ヨーロッパの人が手にした初めての :m275: タバコ :m275: です。
posted by pingu : 23:50 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年11月10日
「日本考古学の発祥」に感じたこと
縄文ファンのみなさま今晩は。
今日は、考古学の基礎情報をお届けします。
下の写真の「考古学発祥の地」って、どこだかご存知ですか?
何を今さら!常識じゃん!っていう方は少しご辛抱を :wink:

答えは、東京は大田区の大森駅にこの碑があります。
そう、大森貝塚の地ですね。
この貝塚を最初に発見したのは、アメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モース。
腕足類という生物の研究のため1877年(明治10)来日し、初めて上京した6月19日、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝塚を発見したそうです。詳しくはコチラ
大森停車場を過ぎた線路脇、鉄道建設のため削られた斜面に貝が大量に露出しているのを見たモースは、それが貝塚であることを直感し見逃さなかったようです。
明治5年に開通して以来多くの日本人が同じ風景を見ていましたが、誰も古代人が捨てた貝の堆積した物だとは気付かなかったわけですね。もし、モースが海側の座席に座っていたら貝塚の発見はもっと遅れており、日本の考古学の始まりも数十年は遅れていたのかもしれませんね。これってスゴイ!


貝殻が堆積している様子 発掘の様子
モースの大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことでした。このことから大森貝塚が「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。
ちなみに、大森貝塚からは縄文式後期の土器や土偶、石斧、石鏃、骨角器など、動物の骨はサル、シカ、犬、鯨を含む大量の貝殻などが発掘されています。モースは発見された土器に“cord mark pottery”と名づけ、その和訳から“縄文(土器)”という言葉が生まれたそーです。
大森貝塚といえば学校でも習ったし、なにより大森の隣の駅に会社があってすぐ近くなのですが、外国人が、しかも電車の中から発見したというのは全く知りませんでしたし、驚きでした。
なにも遺跡の発見など大それたことではなく、普段私たちが何気なく暮らしながらも見過ごしてしまっている大事なことって、実はいっぱいあるんじゃないかな~って思いました。
「なんか気になるなー」、「それって本当かな~?」、「何でそうなんだろう?」、「なんか違うような気がするな~」などなど、ついつい曖昧にしてしまい時間が経つと忘れてしまいます(そんなことありませんか?)。 そう感じたら、潜在思念の囁きにフタをせず、耳を傾け、とことん探ってみることが大事だなー、などと感じる今日この頃、、、etoでした。
注)実際に貝塚があった場所は大森駅から徒歩5分ほどの距離にあり、モース達が大森駅で降りて発掘に向かったことから"Shell Mounds of Omori"と報告し、大森貝塚となっているわけですが、住所は品川区大井でして、例によって大田区と品川区との間で“ご当地争い”があったとかなかったとか、、、そんなのどーでもいいです。
最後まで読んでいただいてありがとう♪ 応援お願いいたします。
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posted by nishipa : 19:10 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年11月09日
『日本人』と『大麻』の関係3

みなさんこんばんわ! :m042:
前回の
に引き続き今回も
から引用させていただきます。
posted by mrran : 19:31 | コメント (0) | トラックバック (1)
2007年11月07日
大航海時代にヨーロッパ人がもたらしたもの=病原菌
こんにちわちわわです。
今回も大航海時代にからんだ話題から。
大航海時代、ポルトガル、スペインの中南米への進出により、インカ帝国やアステカ帝国はあっという間に滅ぼされます。その理由の一つが銃火による圧倒的な戦力であることは言うまでもありませんが、もっと恐ろしいのはヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌です。コルテスによる征服の直前、メキシコ中央部の人口は2500万でしたが、50年後には265万人に激減しています。
また、ペルーでも、80~90%の人口が失われたと言われています。
これは、現地人が奴隷化され、金銀採掘やサトウキビ栽培で酷使されたことも一因で、確かに多数の死者がでているようですが、ヨーロッパ人がもたらした天然痘、はしか、マラリアなどによってアメリカ大陸の住民が受けた影響のほうが、はるかに甚大でした。
⇒
古くから牧畜を行い、他国との交流も盛んだったヨーロッパ人はある程度病原菌に対する免疫力を高めていたのに対し、中南米大陸の人達はこれまで他の大陸の人と接することが無かったために、免疫力が無かったのです
アフリカ大陸の黒人を奴隷として大量につれてきたのも、現地人の人口減少により、労働力が圧倒的に不足したためで、同じく植民地化されたアジアの国々は免疫力を持っていたため現地人で労働力を確保でき、奴隷貿易の対象にならなかったのが大きく異なるところです。
他国と接触の無かった日本でも古くから疫病は恐ろしいものとされてきましたが、大量死にいたる本因は飢饉による飢餓によるもので、本格的に疫病が蔓延するのは中国大陸に戦争に赴くようになる明治後期から大正時代あたりです。
幸いな事にこのころには既に西洋医学がもたらされ抗体物質の投与も可能で、アメリカ大陸のような悲劇は回避できたものと思われます。
もう一つ、日本人の他国と異なるところは、非常に清潔だったところです。清掃の習慣の無い中国などとは決定的に異なります。
posted by tiwawa : 00:02 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月02日
『日本人』と『大麻』の関係2
みなさんこんばんは
以前(2007年10月12日)に“『日本人』と『大麻』の関係” を紹介し、
>縄文時代、何故土器に大麻の縄の模様をつけたかについては又の機会に考察していきます!
>縄文時代も大麻のもつ神秘的な力について、認識していた可能性が高いですね。これについても又の機会に考察していきます!と書きました。

写真はネパールに自生するヘンプ(大麻)を、手紡ぎで2本取りにして撚り上げた糸です
今回は上記についてまさに考察されているサイトを見つけたのでまずは紹介します。
麻生結のひとりごと ←これね!
また、当ブログでは上記サイトを数回に亘って紹介しようと思いますが、全編を読みたい人や次投稿まで待ちきれない人は是非上記サイトまで訪れてください。
posted by mrran : 19:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年10月25日
太古から希少価値の金
世界で始めて貴金属として扱われ、装飾品に使われてきた金。最古の歴史にあるものでは、古代シュメール人が紀元前6000年頃、すでに金装飾を用いていました。歴史上最も有名だと思われるものは、ツタンカーメンの墓 でしょうが、これは紀元前1300年代に作られたものとされています。
古代エジプトでは昔 から「金は高価で尊いものである」として珍重し、金は神が王に遣わしたものだとして、一般市民が金のかけらを持つことさえ禁じました。国民はたとえわずかでも、全てファラオに差し出すものと決められていたのです。
インカ帝国を支えていたのが、金の採掘ですが、スペインに滅ぼされてしまいました。 スペインは金を奪いつくして去っていき、その莫大過ぎる量(一説に5トンとも)が一気にヨーロッパに流通したおかげで、インフレを引き起こし、スペインの国力を弱めることになってしまいました。
基本的に、金というのはいつでも不足していて、希少性の高い金属です。なにしろ、金の埋蔵量は極端に少なく、1トンの金鉱石から3グラムも取れれば上出来という世界です。そこで、中世ヨーロッパでは他の金属から金を生み出す研究が盛んに行われました。これが有名な錬金術というものです。
残念ながら、金を作り出す事はできませんでしたが、錬金術から生まれたさまざまな技術が、現在の科学の始まりとなっています。
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2007年10月09日
胡椒が高価だったのは。。。
こんばんは~ :m017: 、みつこ :D です。
突然ですが、今日は大航海時代の胡椒について。
当時のヨーロッパでは、
「胡椒一粒 :m095: は黄金一粒 :m261: 」と言われたくらい、胡椒はとーっても高価だったんです。
なんと :shock: !!喜望峰を見つけたバスコ・ダ・ガマが持ち帰った胡椒は、仕入れ値の60倍で売れたそうです。
すっごーい :love:
一般的には肉 :m177: の保存、ニオイ消しに使うため必要だった、、、って説明を聞くのですが、でもでも、果たしてそれだけなのでしょうか?
だって、保存するためなら、古くからヨーロッパで栽培されている『にんにく』 :m146: でいいじゃん!!わざわざ高価な胡椒でなくったっていいじゃん!!
うーん、なんでだろう?
なので、ちょいと調べてみました。 :m174:
そうやなー。そのために、命かけてまで大海原 :m180: :m008: に出かけてゆくかー :m096: :m050:
そう思ってくれた方、応援してから続きを読んでくださーい :m072: お願いします♪
ありがとうございます :m022:
posted by mituko : 22:52 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年10月06日
長江文明が日本に伝えたもの
こんばんは、中国文明からetoです。
以前の投稿で、 「長江文明の担い手『苗族』が日本に渡来し、稲作文化を伝えた」と紹介しましたが、
稲作以外にも長江文明に起源をもつものが多くあるようです。
いったい何が伝わったのか、どのような共通点があるのか、紹介します。
● 『ブナ林と古代史』では、稲作と鳥と太陽信仰と山岳信仰が長江からやってきたと述べています。
・太陽信仰と鳥信仰は日本の神話でも見られる。
皇室の祖神である天照大神は日の神、即ち太陽神そのものであった。
神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る路を先導したのが天から下された「八咫(やたがらす)」という大烏であった。更に伊勢神宮、熱田神宮など多くの神社では、「神鶏」は日の出を告げる神の使いとして大切にされている。
・苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されていた。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主な蛋白源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行なわれている。
●次に、 (リンク)では、神社信仰の起源を中心に、日本文化の基層はアジア南方の照葉樹林文化にあると述べています。
・神社に特有とされる高床式建物、千木・鰹木は、広くアジアに目を向けると揚子江流域の江南地方およびタイ、ミャンマーなどの東南アジア山岳部に住む少数民族社会にその原型と考えられるものが現存する。
雲南省は苗族村の高床式建物です。
・鳥居と形態の似たものは雲南省や東南アジア北部の山岳地帯の少数民族の集落などに見られ、左右二本の柱の上に木を横に渡し注連縄が飾られるという。ただ、これらの地域では鳥居は「社(やしろ)の門」ではなく「共同体の門(ロコーン)」である点が日本の鳥居と異なる。
・いれずみと断髪、歌垣、アニミズム、山岳信仰、赤米と穀霊信仰、そして農具や木・竹・わらの道具、下駄、草履などの日本人になじみのあるものも共通して見られる。
・ワラビ、クズの根、カシ、トチなどの堅果を水に晒してあく抜きする技法、養蚕から絹を加工する技法、ウルシの樹液から漆器をつくる技法、柑橘類の栽培と利用、麹を用いた酒の醸造などが挙げられる。
・納豆の製造もこの地域が起源であって、粘つく納豆は日本独特だが、京都に伝承される大徳寺納豆、愛知県豊橋市に伝承される浜納豆などの乾燥納豆は雲南地方にも見られる。
・焼畑の開始期に行われる儀礼的狩猟や、その収獲期に行われる八月十五夜の祭り、そして鵜飼いの風習など文化人類学、民俗学的観点から興味深い習俗、儀礼もこの地帯に広くみられる。
・以上述べたことをまとめると、少なくとも神社信仰の基層は中国江南地方を中心にアジア南方に広がる照葉樹林文化の一要素であって、古い時代に稲作などとともに複合文化として日本列島に渡来したと考えるのが自然であることがわかるだろう。
※こうして見ると、随分と色んなものが伝わっていることが分かります。
調べると、もっとありそうですね。鵜飼いや納豆もとは、、、!
アジア南方の照葉樹林文化が長江文明を担った民によって伝来されたのでしょう。
このように風習や習俗が伝承されたとなると、気になるのは、その思想的背景も一緒に伝わったのではないか、という点。つまり同じ長江流域の母系共同社会で生まれた道教(民俗信仰)ですね。
この点はまた次の機会に追求していきたいと思います。
posted by nishipa : 22:46 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年09月27日
エジプト発~貴重品として世界に広まった“ネコ”
こんばんは :-)
さーねさんの鹿に続いて、ネコの話題です :m172:
現在の家畜(~ペット)といえば、なんといっても犬や猫ですが、古代はどうだったのでしょう?
羊や犬に牛や豚などはすぐに思い浮かびますが、では猫は???
なんか大して役に立ちそうにないし、食べてもまずそうだし、、、
でも、縄文にはネコの土偶?があるらしい。

山梨県御坂町上黒駒出土 縄文時代(中期)
うーん、これってネコに見えますか??
縄文時代から猫っていたのかな~?
ということで、ネコのルーツを探ってみました :-)
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posted by nishipa : 20:30 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年09月23日
西欧の対外侵略の原型 「北の十字軍」 ~掠奪殺人正当化の論理がキリスト教によって与えられた~
近代における西欧の膨張と世界の植民地化。その先触れとなったのが、十字軍だ。十字軍は、キリスト教の聖地奪還のというお題目の背後で、殺戮・略奪が横行した。
十字軍はある意味、キリスト教徒による失地回復という論理(大儀名文)があった。東方エルサレムの奪還や西方のスペインの領土回復。
しかし、「北の十字軍」ではさらに都合よく論理を飛躍させて、侵略を開始していった。
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posted by ihiro : 16:15 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年09月20日
小学社会に「縄文」
標題の記事は9月12日の産経新聞のコラムにかかれてありました。
何の事かわからない人の為にまずは、記憶に新しい年初の縄文ー古代ブログのカッピカピさんの記事を紹介します。
さて、去る2006年12月22日の読売新聞に 『小6教科書 縄文以前記述なし』 という見出しの記事が掲載されていたのを皆さん御存知だったでしょうか? (中略) 現行の学習指導要領によると、日本の歴史は、小学6年生の社会科で初めて教えることになっていますが、現在の教科書には旧石器時代や縄文時代についての記述がほとんどないそうです。 教科書から縄文時代以前の記述が消えたのは、1989年の学習指導要領改訂がキッカケでした。俗にいう、ゆとりカリキュラムと呼ばれる学習指導要領です。この改正で、小6の歴史学習の最初の部分が、 「農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土統一の様子が分かること。」 と規定されました。このことから、小6の歴史では、農耕の始まりを指す「弥生時代」から教えればよいことになり、それに先立つ縄文時代以前の出来事は教えなくてもよいことになってしまったのです!
それがなんと・・・・ゆとり教育の見直しがなされる中で縄文時代の記述が復活したのです。 :shock:
さてその内容は・・・ 8) 知りたい人はポチッと押して進んでください。
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posted by tano : 01:41 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年09月18日
縄文ー古代通信NO6(19年9月号―1周年記念号)
みなさん、当ブログは1周年を迎えました~☆ パチ パチ パチ パチ
当ブログが現在のようなかたちになったのが18年の9月です。
第一声は9月7日付けのtanoさんの投稿「略称「縄文・古代ブログ」の当面の課題について」と「縄文ブログがリニューアルしました!」です。
1周年ということもあり、当初の課題設定に対して、この1年の追求はどうだったか見てみる必要があると思います。そこで、この9月号を1周年記念号として、そのあたりにも触れながらまとめたいと思います。
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posted by kumana : 23:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年09月16日
縄文時間ってなに?
simasanさんの投稿 環太平洋圏の海流・気流は縄文人をどこに導いたか? に「九州と東北はおそらくは1年以内、縄文時間ならば事実上のゼロ時間で接続されるわけです」とありました。この縄文時間って何でしょう? 時間がゆっくり動いていることだと思うのだけれど・・・
そこで調べてみました。
(ブログランキングに協力願います。)
:m118: :m118: :m118:
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posted by mukai : 18:00 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年09月10日
イギリス東インド会社②:儲けを求めて、貿易→徴税権(征服)→アヘンの三角貿易へ
イギリス東インド会社は、産業革命と前後してインド征服と中国へのアヘン売り込みとやりたい放題始めます。東インド会社の成功を見たイギリスの他の商業資本も、東インド会社の独占貿易を崩して進出しはじめます。
東インド会社:インドや中国という古代的国家を収奪・解体した怪物会社 の続きです。

ロンドンにあった東インド会社
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posted by ihiro : 19:15 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年09月02日
ユダヤ5000年の教え:“お金”のことわざより
こんばんは、Hiroshiです。
今日は、お金のことわざについて。それも、世界の富を動かすユダヤの人々のお金に関することわざについて調べてみました。彼らのお金への意識が見えてきます。

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posted by ihiro : 19:04 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年08月26日
東インド会社:インドや中国という古代的国家を収奪・解体した怪物会社
やや近代に深入りしていきます。インドや中国という古代文明的な国家が、欧米の商人勢力に安々と侵食され、植民地化されていった事実を探ってみたいと思います。
大英帝国の基礎を築いた海賊の続きです。
大英帝国は、イギリス女王お墨付きの海賊が、スペインの無敵艦隊などを追い払い、世界の海の制海権を握っていきます。
その後インドやアジア方面で、実際に交易を行っていったのは東インド会社などの商業会社でした。その今で言えば商社が、アジア方面の植民地化の端緒を開いていきます。

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posted by ihiro : 12:10 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年08月24日
琉球の交流の歴史~概要編
少し前、etoさんも取り上げられていましたが、本土とは違った歴史を歩んできた琉球について、なかなか面白そうなので、少しだけ紹介してみようと思います。
http://www.kodai-bunmei.net/blog/2007/06/000234.html
琉球というと、古琉球という時代区分に当たる、琉球王国の時代に象徴されるように、中国(明)との朝貢貿易を主軸に、北は日本、朝鮮から、南はシャム・マラッカ・ルソンなど東南アジアの港史国家との中継交易を盛んにおこなっていたことが思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/jyankkoekitoriyukyu.htm
このように、地理的には、199余りの島々から構成される琉球弧とよばれる地域には、連なる島々を行き交うように、琉球王国以前からも、周辺地域との交流の歴史があったようです。

<琉球弧の島々>
簡単に、時代を遡る形で、その痕跡の歴史を振り返ってみたいと思います。
ぽちっとしてください。
posted by yuyu : 01:23 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年08月19日
縄文ー古代通信NO5(19年8月号)
みなさん、こんばんは。Hiroshi :roll:です。
8月に入って、やたら暑い :m005: 日々が続きましたが、みなさんお元気でしょうか?ボクは、くそ暑さからアイスクリーム :m248: やら冷たい飲み物の誘惑に負けて、パクパク摂っていたら、おなかをこわしてしまいました :cry: 。
posted by ihiro : 12:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年08月16日
大英帝国の基礎を築いた海賊
ちょっと唐突かもしれませんが、今回はいきなり15~16世紀のイギリスにやってきてしまいました。
イギリスは、7つの海を支配したと言われましたが、当初は海賊を利用して世界の海に乗り出し、そしてスペイン無敵艦隊を撃滅して制海権を握っていきました。
・・・・“ヨーロッパの基層:ヴァイキング=海賊が支配層を形成した”の続編です。以前中途になっていた市場の主役と形成史を扱いつつ、折を見て中国の記事も書きたいと思います。

フランシス・ドレーク(1543頃-1596)
posted by ihiro : 21:24 | コメント (0) | トラックバック (1)
2007年08月14日
なんで歴史を解明するの?⇒今まさに求められているから!
こんにちは、さーねです :o :m030: 盆休み真っ最中 :D の日本…このブログも歴史事実がどんどん積み重なり、皆さんの記事をとても楽しく読んでます :P
その中でも、つい先日simasanさんの東北の縄文文化から学ぶが、とても印象に残りました :m096:
>そこから我々が学ぶべきものはたくさんある、ということが分かってきました!
この意識。とても大事です :confused:
ところが、世の中に情報として流れる歴史は、趣味的なもの(EX.三国志,戦国武将)や学者の論説,発掘情報等、何かコアなモノ、あるいは役に立たないモノとして捉えてしまい、その難しさやわかりにくさから、一般の人々にはややとっつきにくいという実感があります。(僕も、ブログに初めて投稿する時はとても苦労しました :-( )
今年も既に後半を過ぎ、今一度、歴史を解明するということは一体何に繋がるんだろう? :D 歴史に興味のない方にも、大事な認識として興味をもってもらえればと思い、この記事をアップしようと思いました :m051: :P

今日の参考図書は実現論
みんなで創ろう :m051:
実現のための歴史認識を :m051: :P
![]()
続きを読む "なんで歴史を解明するの?⇒今まさに求められているから!"
posted by sawatan : 13:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年07月11日
縄文ー古代ブログの新カテゴリーについて
こんばんわ! tanoです。
縄文ー古代ブログもここ最近はやや煮詰まり気味です。
何を追求していったらいいの?などという声なき声も聞こえてきます。
何でもいいから面白い記事を投稿してほしいというのもやや乱暴。
そこでいっちょ、カテゴリーを見直そう!という事になりました。
従来のカテゴリーはまずは縄文の事を知ろう!弥生の事を追求しよう、世界の古代文明の基礎知識を入れていこう。という段階からスタートしました。
一定投稿数が集まってきましたので次の段階へと移行します。
今回(これで最後にしますが)のカテゴリー分けのポイントは以下の3つです。
①読者が読みたい記事に早くたどり着ける。
②追求すべきテーマが浮き彫りになってくる。(投稿の意欲が湧いてくる)
③投稿した記事が資料としてストックされ後で検索しやすい。
という事で発表です!以下のように分類してみました。
(しかし、縄文ブログの管理人って分類が好きですね(^^:)などと言わないで下さい)
posted by tano : 20:27 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年07月09日
縄文ー古代通信NO4(19年7月号)
この縄文ー古代ブログも開設して10ヶ月が経ちました。参加者も増えて投稿者だけで25人、会員全体を含めると現在39名を数えます。
参加者をハンドルネームだけで紹介してみます。
さーねさん。/etoさん。/くまなさん。/ぶんちゃん。
しまさん。/ひろしさん。/カッピカピさん。/ryouさん。
まえやん。/竜神さん。/ムカイさん。/ナオトさん。/マルさん。
ムーランさん。/ゆーゆーさん。/大28さん。/とくまるさん。
みつこさん。/ピングーさん。/ドキドキさん。/縄文10さん。
サカシュンさん。/サーハさん。/タカアツさん。/ノリオさん。
そして私tano。
多い方で既に10投稿以上していただいています。
さーねさん、etoさん、私と一緒に管理人をしているクマナさん、ひろしさんが上位投稿者です。
とくまるさんはこの5月に入会されています。6月にも2名参加されています。また新しいハンドルネームで参加くださいね。
こうやって縄文や世界古代史で繋がる環が広がってきています。
読んでいるだけの方でもどんどん会員登録下さい。別に何か特別なものがあるわけではありませんが、素人の歴史好きが集まって古代史から現代の問題を学び取ろうという主旨に賛同されれば歓迎ですよ。
今日はちょっと営業トークになりましたが、今月もどんどん新たなテーマにチャレンジしてきましょう。 :tikara:
今月のテーマは
「インカ・アステカの謎に迫る!」
「中国文明のなんで」
「縄文時代のなんで」と一旦設定しました。
縄文時代のなんでは既に答えが出されてきていますのでカッピカピさんさらになんで?を出してみてください :wink:
by tano
posted by tano : 12:26 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年07月08日
大事な式典に雨が降ったらどう言いますか?
鬱陶しい梅雨が続きますね。
私はこの間、仕事の関係で起工式を行いました。
100人くらい集まって建設の最初に安全を祈願する式典です。
その日も雨・・・残念と思っていたところ、挨拶の席で司会の方が天候についてサラッと語りました。
「このよき日に神様から恵みの雨をいただきました。」
普通なら、
「雨降って地固まる」というのがこういう場合の言葉なんですが、クリスチャンの司会の方は実にうまく天気を言い表わされました。
それを聞いて、そぼ降る雨は気持ちよく、天から恵みをいただいているような気持ちになりました。
恵みの雨・・・鬱陶しい雨
少しの違いなんですが、言葉って大事ですね。
きっと縄文の人の梅雨時期の空を見上げて天からの恵みだ!と嬉々としていたんでしょう。
そう思うと鬱陶しさもちょっとさわやかな気分になってきませんか! :D
最近どんどん読者が増えてありがたいです。さらに応援お願いします!
by tano
posted by tano : 00:09 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年06月02日
ブログ「日本史探求」を応援します。
先日、人気ブログランキングの歴史ブログを見ていたところ、面白いブログを見つけました。
「日本史探求」というブログです。
プロフィールに書かれていた主旨の紹介文です。
>この国のかたちを知るには古より伝わる先人たちの功績を知ること。そして文化を知ること。我が国の歩みを誇り思えてこそ真の「愛国心」が芽生える。~日本史探求
ついでに当ブログの紹介文も併せて掲載します。
>いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。~縄文と古代文明を探求しよう
このブログは弥生時代から近代までの日本史のエピソードを著者の見識も交えて紹介しておられます。当ブログが古墳時代以前を扱っていますので「日本史探求」に飛べば縄文から江戸時代までの日本の歴史は俯瞰できる事になります。勝手ですが姉妹ブログとして提携させていただければと思っています。(ちょっとリンクの張り方を忘れたので後日当ブログのリンクへ貼らせていただきます)3年前から始めておられるので2歳お兄さんにあたります。 :wink:
カテゴリーも時代区分に分けられていて見やすいです。
最近、当ブログでも話題になった渡来人と稲作についても紹介されています。
>縄文時代は「原始共産主義」と呼ばれるほど共同生活の中で共助共援の営みを送っていた。三内丸山の集落跡から考えられるように、数百年も争うことなくそこに置かれた施設、そして実った作物を共有していたことも発掘の結果分かってきている。
こうして縄文時代には共助共援により数百人単位で安定した生活を送っていた原始日本人(縄文人)であるが、なぜ身分の差が生まれ争うようになったのか?今回はこの疑問について検証していこうと思う。続く リンク
※この記事には私めがコメントさせていただきました。 8)
日本史探求さんはまだランキングが40位台ですのでみんなで訪問してランキングを上げていきましょう。
さぁ、6月です。さらに熱く縄文ー古代を探求していきます!TANOより
posted by tano : 01:17 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年06月01日
縄文ー古代通信 NO3(19年6月号)
縄文ー古代通信の3回目です。
5月は、縄文関連が多かったですね。縄文時代の土器や海洋技術が多くの方々に取り上げられました。中国文明も毎月コンスタントに追求が続いています。メソポタミアは一気にイスラエルやパレスチナ問題へと広がりました。また、始原人類や世界の文明以前へテーマの広がりが期待されるものも出てきました。それぞれのテーマで、深まりと広がりを見せていますね。
5月(以降)で展開されているテーマの紹介です
■始原人類(洞窟生活、過酷な生活)
■縄文時代の時代観、土器、海洋技術、気候と生産(採集・栽培)、集落、お墓(死生観)
■弥生時代の戦争
■中国文明
■中東(イスラエル、パレスチナ問題)
■その他、遊牧民族の集団・社会統合や無文字社会
今後のテーマの広がりを俯瞰してみます。
その前に、 :m118: ポチっと応援よろしくお願いします。
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posted by kumana : 19:00 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年05月21日
世界文明 vs 縄文・・・・そして反転がはじまる!?
この↓図版をみて、驚いた。1万年が一目瞭然!注目です。

※この図は佐原真氏の作成らしい、秀逸です。図は「国民の歴史」より
スキャンしたので、傾いて粗っぽい画像ですみません。
続きを読む "世界文明 vs 縄文・・・・そして反転がはじまる!?"
posted by ihiro : 18:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年05月09日
パレスチナ問題の根本原因は旧約聖書の中にある!?
こんばんは、カッピカピです。
以前、べジーが古代イスラエル王国建国までの道のりと分裂までを書いてくれました。
その後、約2千年の時を経て、ユダヤ人は中東のパレスチナにイスラエルを建国しました。
このことで、たくさんの問題が発生していることは皆さんも少なからずニュースや新聞などで知っていると思います。詳しくは→ちわわさんの記事
元々、パレスチナに住んでいたアラブ人を追い出す形でイスラエルを建国したユダヤ人に対して、アラブ人が反発するのは当たり前と言えば当たり前の話です。
だたここで不思議なのが、「パレスチナの地に強引に割り込んできたユダヤ人・ユダヤ教を、他の宗教・各国が正面切って反対できなかったこと」なんです。
調べてみると・・・・続きはポチッと押してからどうぞ!
続きを読む "パレスチナ問題の根本原因は旧約聖書の中にある!?"
posted by hi-ro : 14:47 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年05月08日
現在のイスラエル建国とパレスチナ問題
こんにちわちわわです。
現在のイスラエルがどうやってできたのか、古代文明とはかけ離れますが、とりあえず。

①第一次世界大戦において、トルコの統治下にあったアラブ人たちに対してトルコへの武装蜂起を呼びかけ、その対価として、1915年この地域の独立を認めた。(マクマホン協定)
②他方、膨大な戦費を必要としていたイギリスは、ユダヤ人国家の建設を支持する書簡をだし、ロスチャイルド家からの資金援助を得ることに成功した。(バルフォア宣言)。
③しかしイギリスは同じ連合国であったフランス、ロシアとの間でも大戦後の中東地域の分割を協議しており、本来の狙いはこの地域の直接支配であった(サイクス=ピコ協定)。
これはイギリスの「三枚舌外交」
と言われています。。
アラブ人には独立を認め、ユダヤ人には建国を認め、連合国には領土分割を協議するとった八方美人の態度です。後にロシアのレーニンによって全て暴かれました。
イギリスとんでもない!と思った方↓↓ぽちっと!
次はアメリカの企みが・・・
posted by tiwawa : 23:04 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年05月03日
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教
前回、十字軍について書きましたが(こちら)、調べる中で実はもう一つ驚いたことがあるんです。
ひょっとして常識 :m196: :m186: かもしないけど、私はそーとー驚きました :m051:
ゼヒ、読んでください :m023: :m023:
posted by pingu : 21:11 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年05月01日
縄文ー古代通信 NO2(19年5月号)
縄文ー古代通信の2回目です。最近のホットな話題、できるだけ流れを掴みやすくお伝えしようと思いま~す。また、こんなことも知りたい、調べてみたいということも紹介しようと思います。毎月、管理人のtanoさんと、わたくしHiroshiにて交互にお届けする予定です。ヨロシク~。 :D
4月(前回NO1 以降)で展開されているテーマの紹介です
■縄文~古代のお墓のお話
■文字・言語のお話
■古代メソポタミア~ユダヤ・イスラエルのお話
■中国のお話
■コネタ関係
posted by ihiro : 17:29 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年04月22日
農業と文明と環境の関係
農業は産業革命と並んで文明発展の転換点となったといわれていますが、「人類は何故農業を始めたのか」、またその「農業が生んだ古代文明はその農業の失敗によって滅んだ」という視点から「ユーラシア1万年の農業史から人類の未来を考える 」取り組みをしている人を紹介しよう。
posted by ryujin : 21:54 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年04月20日
文字の不思議
文字の起源っていつごろか知ってますか? :-)
世界最古の文字は、古代メソポタミアのシュメールの絵文字と言われているそうです。
メソポタミアの楔形文字も最初は象形文字(絵文字)が出発点だったと言うのが、現在では定説らしいです。 :roll:
古代の文字が実際にどんな文字だったのか覗いてみませんか? :D
By ヒロシ
posted by hiroshi : 21:35 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年04月13日
貧乏人は猫を食え(by江戸北町奉行)
:D くまなです
前回は、飢饉に際しての美談と悲惨な食人のようすを紹介しました。
江戸時代の飢饉の状況をデータで押さえておきましょう。
グラフ:江戸時代の飢饉と人口推移

(中島陽一郎「飢餓日本史」のデータから作成)
人口の拡大基調を飢饉が押さえ込んでいるようすがわかります。
飢饉というと‘一揆’を思い浮かべます。
天明飢饉の時、飢饉に迫られた若い元気な人たちは、団結して徒党を組み、各村の穀物ある家々の前に多数集合し、金持ちを脅して押し借りを行ない、承知しない時は腕ずくで米をうばいとった。暴徒中の過激派は、衆を頼んで城下町までおし寄せ、鬨の声をあげて町に暴れこみ、各米問屋はもちろん、金持ち連中の米倉まで打ちこわした。
このときはどこも同じような有様で、うまく目的をとげた暴徒は、これに味をしめて昼夜とも騒動はたえず、ますます騒ぎは大きくなるばかりだった。
一揆に至る背景には、飢餓という現実がありますが、一方で、統合階級(いわゆる‘お上’)による収奪や危機放置もそれに拍車をかけています。
その状況を見てみましょう。
その前に、 :m118: ポチッと応援よろしくお願いします。
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posted by kumana : 23:59 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年04月09日
縄文ー古代通信 NO1(19年4月号)
今月から縄文ー古代通信を始めます。 :D
毎月のコラムの流れを掴むのと今、最もホットな話題をお届けします。
また、みなさんの投稿の中でちょっと面白そうとか、もっと調べてみたいナーというものも紹介してみたいと思います。初回は管理人のtanoにてご案内します。
2月~4月で展開されているテーマの紹介
■馬のお話
■文字・言語のお話
■弥生時代の身分制度とはいかなるものか?
■遊牧と飢餓の歴史
それ以外にも小ネタとして面白い記事があります。
女性はなぜ装飾品が好きなの?
中国針灸の歴史
神様にも人気、不人気があった。
それにしてもなぜ女性は電化製品には興味がなく、バッグや洋服や靴や装飾品が好きなんでしょうね? :lol: (妻にいつも貢いでいる私の実感です)
さてそれではホットな話題アーカイブです。お時間のある方は連続して読んで下さい。
posted by tano : 18:17 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年04月07日
飢饉に際して、座して死を待つか、家族を食べるか
:D くまなです。
これまで遊牧民が、飢饉に際してどう行動するかを紹介しました。
では、日本人は飢饉に際してどう行動したのでしょうか?
こんな美談が残っています。
ときは享保17年(1732年)、ウンカが中国・四国地方と、九州一帯に大量発生し、大飢饉を引き起こした、享保の飢饉。『徳川実紀』によると「すべて山陽、西国、四国等にて餓死するもの96万9千人」(日本災害史)と伝えています。
美談の主人公は :m118: 作兵衛

この飢饉による驚嘆な食糧欠乏のなかで、愛媛の伊予国松山藩筒井村の百姓・作兵衛は、麦の種を一斗貯えていた。しかし彼は、毎日の食物が尽きてからも、この麦の種を食べようとはしなかった。そのため、まず作兵衛の父と長男とが餓死し、作兵衛自身もまさに餓死しようとしていた。人々はみな、作兵衛がこの麦種を食べて、‘餓死’の危機を免れるよう、口をそえて作兵衛にすすめた。しかし作兵衛は、このみなのすすめを聞きいれないで言うには、
「穀物の種子をまいて収穫を得て、税として納めるのは農民の務めです。収穫した作物を国に納めるから国の人々は生活ができるのです。だから穀物の種子は、自分の命以上に貴重なものなのです。
農民は国の基本で、種子は農業の基本です。今もしも、私がこの種麦(たねむぎ)を食べて数日の命をつないだとしても、来年の種麦をどこから得ることができるでしょう。
たとえ私が飢えで死んだとしても、この種麦によって何万という命を救うことになれば、もとより私の願うところです」といって、麦袋を枕としたまま餓死した。
だがこのため、一郡の人々は、後にこの麦の‘種’を畑に蒔くことができて、生命を完うすることができた。
(中島陽一郎「飢餓日本史」、伝えたいふるさとの100話「穀物の種は命より大切」より)
いかにも日本人らしいお話しですね。
ただ飢饉は、そんな美談だけでは語れません。
飢えて食べ物がなくなれば、場合によっては、家族を食べます。
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posted by kumana : 23:44 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年04月06日
日本語はもっとも自然に近い発音を持つ言語
日本語がなぜ難しいのか?なぜ日本人は漢字をカナに変えて理解しようとしたのか・・・。
そのヒントを見つけました。耳鼻科医師の角田忠信『日本人の脳』の中に書かれています。
>日本人は音の処理を、西欧人を始め、他の民族とは全く異なる音声処理を行っている。 虫の声・せせらぎ・潮騒(しおざい)・雨音などを、ほとんどの民族が右脳で雑音として処理するものを、日本人は左脳でそれぞれの音や声として処理しているというのだ。 日本語に多い「擬態語・擬音語」は、自然の音や、音を持たない動作などを独特の音として表現するものだが、それは「日本語がもっとも自然に近い発音を持つ言語だからだ」右脳は感性を左脳は理性を支配すると言われている。そして人は、言葉の中で、必要に応じて右脳と左脳を使い分けているのだという。角田が謂う日本人とそれ以外の民族との差異はかくも大きい。
我々の先祖は、古来よりの言語を継続して使い続けてきた。この事実は、逆に弥生の民がいつしか縄文の民に吸収され同化していったことを示している。そして時代に即応して変化を続けながらも、今に至っても他国とは全く異質な、自然に同化した言語を使い続けていることがはっきりしてきた。
角田氏の衝撃的な分析はストンと納得がいく。なぜ縄文人が弥生文化に支配されなかったのかの重要なヒントにもなる。以下、中村忠之先生の縄文ブログで扱っていた全文を紹介します。
posted by tano : 08:15 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年04月03日
軍と官僚制の陥穽
帝国が拡大すれば、その支柱たる軍隊の規模も大きくなる。それを維持するには徴税のための官僚機構をつくらなければならないが、役人を雇うにも金がかかる。これらの費用を捻出するために税を重くすれば、人々は当然反感を抱く。それをおさえこむには、さらに軍事力を強化しなければならない。マウリヤ朝は、このような「軍と官僚制の陥穽」に落ちてしまったのである。
こんばんは、カッピカピです。上記引用文は、「地球人の歴史」というHPの『9.帝国統治』の中にある、「軍と官僚制の陥穽」という章から抜粋したものです。
これを読み、歴史上の帝国が、その歴史に長短はあったとしても、最後には滅んでいった理由が分かった気がしました。そして、るいネットでも良く書かれている、「市場が国家を飲み込む」という現象もこの文を読んで分かったような気がしました。
posted by hi-ro : 22:18 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年03月22日
国家・市場を統合するのに文字が不可欠だった!
こんにちは、みつこさんからバトンを受け取ったぴんぐ~ :D です
昨日とはうって変わって今日はとってもいい陽気 :m005: 小春日和です :m036:
昨日のみつこさんの記事、なるほど~ :m103: です。
交易が始まって市場社会になると、文字が必要になってくるんですね
では、今日はその「文字」によって発展を遂げた古代ギリシアの事例を紹介したいと思います。
続きに行く前にクリックお願いします。
:m118: :m118:
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posted by pingu : 15:42 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年03月20日
馬の家畜化により製鉄技術向上と戦争が激化した
こんにちは、ベジ紀です。
カッピカピさんやtanoさんが投稿されていますが、馬の家畜化は羊、牛、山羊に比べ、遅かったようですね。
それには、馬はなかなかいうことを聞かず、しかも乗りづらく、乗ったら乗ったで、すぐに振り落とされる。しかも、うかつに馬の後ろに立てば、ものすごい力で蹴り上げられる。
などなど、様々な理由がありそうですが、遊牧民が馬に着目したのは、その力にあったのではないでしょうか。
そして彼らは、その馬の力を引き出すために、技術と道具を次々に生み出していった。
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posted by jomon10 : 22:23 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年03月08日
馬家畜化の発展には草原が適していた
:D こんばんわ。tanoです。
馬の話しになっていますので以前調べた馬の投稿を紹介します。
中央アジアの冶金交易になくてはならないものが運送手段である。すでに同時期、馬の利用が始まっていた事を著書「中央ユーラシアの考古学」では解説している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中央ユーラシアにはじまって世界史に大きな影響を与えたことのひとつは、馬利用の開始とその伝播の問題である。これには馬の肉、皮、毛、骨、乳利用もあるけど大きなことは人間に労働力を提供する役畜としてである。役畜としての馬は大きく言えば騎馬、牽引、駄載の3つの形態がある。馬の背は歴史を作った。
現在わかっていて、今後も訂正しないであろう事実の大筋は以下の3点である。
1.馬の家畜化時期は羊、牛、山羊より遅い
2.馬家畜化の場所は中央ユーラシア草原地帯である。
3.馬のユーラシア全域への伝播は大きく関係したのは騎馬ではなく、車輪ー馬車の牽引であるらしい。馬車の普及は前2千年半ば頃であり、騎馬の普及はすこし後であろう。
馬の家畜化はまだはっきりしていない。現在家畜馬の先祖種はおおまかには元々アルプス~カフカス~パミュールの北方に棲息した動物であって、ここを舞台に家畜化されたものには違いない。
家畜馬の先祖についてはタルパン馬とモウコノウマの2種が長らく議論の中心であるが決定打はない。
←モウコノウマの写真です。
posted by tano : 00:50 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年03月07日
騎乗技術が遊牧民族を巨大な軍事国家へと後押しした?
こんにちは、カッピカピです。
昨日のちわわさんの記事を受けて、遊牧民族と馬の関係について少し調べてみました。
馬が家畜化されたのは、紀元前3000年~4000年頃と言われており、現存する家畜の中で、家畜化が最も遅かったそうです。
馬の人類への貢献度としてもっとも大きな比重を占めるのは、この動物の労働としての有用性の高さだと言われています。
すなわち・・・
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posted by hi-ro : 21:34 | コメント (2) | トラックバック (0)
女性はなぜ装飾品が好きなの?
>しかし、生産力が発達して、さらに様々な生産物に余剰が生じてくると、首長や王、神殿などが余剰生産物の一部あるいは全部を占有するようになる。その結果、共同体の交易は次第に首長や王が取り仕切る交易となる。それは、共同体全体の必需品ばかりでなく、首長や王が必要とする奢侈品の調達が目指される。<古代海上貿易の形態 http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page012.html
古代史の交易を見てみると必需品に対する余力が生じると奢侈品の交易も盛んになってきます。そのほとんどが女性の為の宝石のような装飾品だったようですが、そもそもなぜ女性は装飾品が好きなのでしょうか :m050:
以前心理学本に次のような内容が書かれていました。
>第1印象は男女共に5秒で決まる。しかし、その間に平均22.5回も目を動かし男性の特徴をくまなく観察できる女性に対し、男性はその半分の12.8回とおよそ半分。つまり、観察力が劣っている男性は宝石のような目立つものについ目がいってしまい、宝石を身に付けた女性自身を魅力的と感じ、惹きつけられてしまう。つまり、女性は “魅力的な男性を惹き付け優れた子孫を残すために本能的に宝石を身に付けていた<
…孔雀の羽と同じってこと… :m052:
posted by taka-atu : 13:34 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年03月06日
馬が強大な軍事国家を作り出した。
こんにちわちわわです。
狩猟・採集で犬が活躍したように、家畜の歴史は人間と深い関わりを持ちます。では、馬は人間とどのように関わってきたのでしょうか。

posted by tiwawa : 21:42 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年02月21日
貨幣もバイリンガル?!
こんばんは :m017: みつこ :D です。
さーねさんの記事『殷(商)王朝~貝貨という幻想』とても興味深かったです。
で、貨幣についてあれこれネットサーフィンしていたら、同じ参考HP :m108: で面白い記事を発見しました!
先日のなんでや劇場で「王様交易(大遠征交易)」と名づけられた、古代交易の代表格シルクロードにまつわる貨幣です!
シルクロードのどのあたりかって言いますと、、、、
このあたり :m118: :m118: :m118:

どんな貨幣~ :m050: って思った方はポチっと応援の後、読んでね。
posted by mituko : 01:17 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年02月06日
「贈り物」の起源?!アカに見る食料分配
![]()
一日平均2~5時間で食料を確保することができ、農耕をしないのか?との質問に「ふんだんにモンゴンゴの実 :m078: があるのに、何でわざわざ作物 :m146: を植えたりしなければいかんのかね」と語ったという狩猟採取民。あとの時間は、歌 :m027: や踊り :m113: など余暇?を過ごしていたりするそうです。
う~ん、うらやましいような。。。
でもでも、それで集団が統合できたの :m052: ってずーっと疑問だった、みつこ :D です。
外圧が低下した狩猟採集民がどのように集団を統合していたか?
その社会システムがわかる研究を見つけましたので、報告しまーす!
山口大学の北西功一氏のHPより「中央アフリカの熱帯雨林に住む狩猟採集民アカ」についての記事から引用させてもらいました。とても詳しくて嬉しくなりました~ :m106:
注目したのは、彼らの「食料分配」。
彼らは獲得した食料を成員に平等に(?)分配しているのですが、、。
さて、いかに?
ぜひ、読んでね :m001: その前に応援もよろしくお願いします :m072:
posted by mituko : 23:36 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年01月09日
縄文人に学ぶ現代人
初投稿~(実は違いますが・・・)
○といいます。今後ともよろしくです :lol:
さて、タイトルにあります通り今回は「縄文人に学ぶ」というお話を :m039:
「縄文人に何を学ぶのさっ!!」と思ったそこのアナタ。はい、続きを読みましょう。
posted by maru : 21:54 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年01月04日
小6教科書から縄文時代が消えた!
あけましておめでとうございます。カッピカピです。
メンバー一同、今年もこの縄文ブログを盛り上げていこうと思っていますのでよろしくお願いします。
さて、去る2006年12月22日の読売新聞に
という見出しの記事が掲載されていたのを皆さん御存知だったでしょうか?
僕と一緒に驚いてくれた方はポチッ↓と押して続きをどうぞ。
posted by hi-ro : 09:00 | コメント (6) | トラックバック (0)
2006年12月31日
今年の「縄文ー古代ブログ」を振り返って
9月から始まった縄文―古代ブログですが二十数人の方の参加のおかげでかなりの投稿数をいただき、なかなかの盛り上がりが出てきています。ランキングの方も人気ブログランキングで一時期1位を記録していた事もありました。(現在7位)
来年に向けてまだ助走時期だと思いますが、ますます :tikara: 盛り上げていきたいと思います。
そこで今年投稿された内容を振り返って、来年の追求課題を設定したいと思います。
では、最初(9月7日)に設定した課題群から再度眺めて見ます。以下色を付けている部分が今年投稿があった部分です⇒つまり、色が付いていない部分はまだ手をつけていない部分です。・・・・・⇒ぜひ来年は追求テーマにして下さい。色のついている追求過程の部分はさらに深化させてください。
PS:今回は縄文までの総括と課題化をしました。
年明けには古代世界の方と弥生時代を扱います。
①縄文時代を掌握する。→【縄文―基礎情報アレコレ】
②縄文前夜を明らかに【縄文―縄文時代の生い立ち】
③縄文時代はどこまでわかっているのか?何が未明なのか?【縄文―新報・追求テーマ】
④弥生時代に入り縄文文化は何が残ったのか?【縄文―縄文体質とは何か】
⑤ ディテール編【縄文―ディテール編】
A.食料事情(山、海、川)/B.土器技術と様式/C.土偶とは何か/D.生業全般:栽培技術・狩猟技術・採取技術/E.服装・建築・装飾具/F.思想:アニミズムの実態/G.社会:縄文の階級社会の中身とは(階層ではなく階級である)/H.贈与・交易:黒曜石・翡翠/J.海洋技術/K.祭祀:どんなお祭りがあったのか?
さて、投稿の全容を見て見ます。すごく手間がかかったのですが、今年の投稿を縄文系―弥生系―世界系に分けて月別に分類してみました。続きを読むをクリックしてください。(これを見るだけでも圧巻です・正月の間の歴史の勉強にも使ってください :-) )
縄文ー古代ブログの会員の方へ・・・今年1年、ありがとうございました。また、読者として参加いただいた日本中の縄文ファンの方ありがとうございました。来年は、さらなる追求と解明に微力ですが力を注いでいきますのでよろしく。また、新規会員募集していますので一緒にやりたい!という方はご連絡下さい。(管理人 田野)
posted by tano : 02:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年12月07日
二重構造モデルの補足の補足
カッピカピさんこんばんわ。 :D
tanoです。コメントにかけなかったのでエントリー投稿します。
さてカッピカピさんが補足していただいた二重構造モデルって一体なんなんでしょう?
少し調べて判ってきた事がありますので補足の補足をします。
二重というのは何かの上に何かが重なるという事ですね。(文字の通り :confused: )
この二重とは基層となる縄文人に渡来人(弥生人)の血が加わり現在の日本人ができているという理論です。なぜ二重構造モデルが必要になったのか?ネットで検索して拝借した下記の論文ではその事に少し触れています。
>縄文文化の担い手たちを「縄文人」、弥生文化の担い手たちを「弥生人」と呼ぶとすると、縄文人=弥生人というのが、この説の主張するところです。縄文文化の担い手であった日本人の先祖たちが、大陸や朝鮮半島の進んだ文化を受け入れて、弥生時代という新しい文明段階に進んでいった、というわけですね。
ところが近年、形質人類学や分子人類学、ウイルス学等の発達に伴い、骨格や頭蓋骨の形と歯形、そしてウイルスやDNAなどをより厳密に比較することが可能となり、縄文人と弥生人との間には、とうてい同一人種とはみなせない相違があることが明らかとなりました。
この問題を解決するため、人類学者の埴原和郎氏は「二重構造モデル」という仮説を提出しています。『日本人の骨とルーツ』という本から、少し長いのですが、引用します。この中で埴原氏は縄文系と渡来系という言葉を使っていますが、渡来系とは弥生人のことであるとお考えください。
さて、埴原氏の文献を見て見ましょう!。
『日本人の骨とルーツ』http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31018072
「日本人の起源と形成の問題はいまだに研究者の興味を引き、論争の的になっている問題も少なくない。本書では、現代にもみられる日本人の地域性を、縄文系集団と渡来系集団の混血の濃淡によって説明し、地域性や自然環境、文化の発展などにも着目する。日本人の形成史を縄文系と渡来系の「二重構造モデル」で分析し、自然人類学の視点で日本人のルーツを探る。」~yahooブックス解説より

埴原氏の原文を読んでみたい と思った人はぽちっと押して次へどうぞ。
posted by staff : 23:54 | コメント (0) | トラックバック (0)
二重構造モデルの補足
こんにちは、カッピカピです。
yuyuさんが以前に書いてくれた記事に出てきた「二重構造モデル」について調べていたところ面白いHPを見つけたのでご紹介したいと思います。
posted by hi-ro : 16:56 | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年11月26日
アイヌに関して~故萱野氏を偲んで
こんばんわ。tanoです。今日はアイヌネタで一つ投稿します。
2年前の週間朝日のシリーズコラム(夫婦の情景)でアイヌの血を引く現在アイヌ民族学者の萱野 茂(78歳)とその奥さんのれい子さん(73歳)のインタビューを通したアイヌ文化が紹介されました。その中からいくつか読み取れた現在のアイヌについて紹介します。

>萱野氏はアイヌ唯一の元参議院議員。出身である苫小牧東部に位置する平取町二風谷は、アイヌコタン(集落)が今でも点在する。平取町6千人のうちアイヌの血を引く人は2千人。萱野氏は二風谷アイヌ資料館館長を勤めておられる。
アイヌ文化には文字がない。アイヌ社会でアイヌに精通する人はすでに少なくなっているが、茂さんの父親はアイヌ語を知り尽くしていた。茂るさんが幼い頃囲炉裏端で毎晩のようにアイヌ語で昔話を語ってくれた祖母かってさんは、1945年に95歳で亡くなるまで、ついに日本語を話さなかった。
茂さんは畑で収入が上がらず木の彫り物をして収入を得ていく。その傍ら、民話も残したいと思い1960年、テープレコーダーの購入とともに様々なアイヌの口承文化を録音していった。彫刻でお金を得てそれでテープを購入、そのくりかえしだったそうだ。その時間は800時間にものぼり、うち翻訳が済んだのがまだ40時間分。78歳の現在、仕事はまだまだ残っているという。
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2006年10月03日
古代文明の追求 その2 (当面のテーマとして)
世界の古代文明を探っていくにあたって、
当面追求していく必要のある点をまとめてみました。
基礎データを収集し、追求していく上での視点をまとめてみたものです。
●基礎データの把握
(メソポタミア、次いで巨石文明、エジプト、インド、中国、メソアメリカ)
・気候変動、生業、掠奪・戦争、集団形態・婚姻形態、
集落、都市・神殿の変遷、身分制、税制、金属器、武器、
神話・信仰、交易、文字や数学・文学・・・と多岐に渡る。
→年表の作成で時系列的にて関係性をおさえる。
→そのためにも、基礎情報の収集投稿をしてください。
・さらにディティール情報として項目毎のデータ蓄積と整理:
A:都市、家屋、服装、
B:生業全般(食料、職業、技術全般)
C:掠奪と戦争、武器
C:社会制度全般(部族社会→神殿と国家、階級、税制)
D:集団形態と婚姻制
E:市場と交易
F:神話と信仰
F:文字、数学、文学
G:他
→上記のネタ、見つけたらお願いします。
ちょっとしたものでも結構です。
●追求する上で、実現論をベースにしつつ以下4つの視点が追求ポイントになると思います。かつ、この点はメソポタミアのみならず、他の文明でも追及ポイントになるはずです。
それぞれの視点での事実収集と構造化が課題です。(但し、巨石文明は、別途要)
もちろん、360度からの追求が必要なので、抜けなどがあればどんどん投稿お願いします。
↓
続きを読む "古代文明の追求 その2 (当面のテーマとして)"
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古代文明の追求課題 -そのⅠ-
縄文に続いて、世界の古代文明の追求へ!・・・・
>人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。
どこから見直すか・・・・、世界は広すぎて少しとまどってしまいますが、古代文明が始まった最初の部分にやはりカギがあるはずです。
古代文明は、都市国家の成立時期から推測すると以下のような伝播ルートが想定されます。
メソポタミア(前3400年頃)
→エジプト(前3100年頃?)
→中国 草原の道を通って黄河流域へ(前2000年頃?竜山)
→インド(インダス文明 前2500年頃→ガンジス流域の都市国家)
→地中海の都市国家群(フェニキア、ギリシャ)→古代ローマ
これはメソポタミア近辺で掠奪闘争が開始され、玉突き的に世界各地へ伝播していったこと、そして掠奪闘争の勝ち抜き戦を通して、その覇者が各地で古代文明(都市国家→国家)を成立させたことを伺わせるものです。
従ってまず・・・
posted by staff : 18:29 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年09月07日
縄文ブログがリニューアルしました!
今月から旧「縄文時代を探索しよう!」が新たに「縄文と古代文明を探索しよう!」にバージョンアップしました。これまでの縄文関係のテーマに加えて、世界の4大文明+中南米の古代文明を含めて探索していこうという試みです。
さらに、記事の執筆者も、主旨に賛同していただいた方々も加えて、このブログを盛り上げていこうと考えていますので、みなさんよろしくお願いします。
さて、歴史に学ぶとよく言われます。また温故知新とも言われます。しかしそれらの言葉の本質は以下の言葉に結集されています。つまり歴史を学ぶスタンス・目的を実現論では端的に表しています。
>人類の原基構造を解明できれば、その構造のどこが不変部分でどこが可変部分かを知ることが出来る。そして現代社会の諸問題(諸欠陥)と突き合わせれば、どこが変えてはならない部分でどこが変えるべき部分かを突きとめる事が出来る。つまり、その構造体のどこをどう変えれば良いかの答えを導き出す事が出来る。(実現論より)
ちょうど「原基構造の不変部分と可変部分」というるいネットの田中素さんの秀作投稿リンクが最近ありましたので紹介します。
posted by staff : 23:42 | コメント (0) | トラックバック (0)
略称「縄文・古代ブログ」の当面の課題について
■縄文ブログの当面の課題
現在略称「縄文・古代ブログ」の改訂に伴い、縄文時代の掘り下げが始まろうとしています。
正直、私も系統だって縄文時代の勉強をしたことがなく、かといってズバッとわかるHPやブログも今のところ見当たらないのでいろんなサイトや書籍を巡りながら縄文時代をカテゴリー分けして明らかにしていきたいと思います。皆さんも投稿の際の分類に使ってください。(過去投稿は順次修正していきます。)
①縄文時代を掌握する。⇒【縄文―基礎情報アレコレ】
②縄文前夜を明らかに⇒【縄文―縄文時代の生い立ち】
③縄文時代はどこまでわかっているのか?何が未明なのか?
⇒【縄文―新報・追求テーマ】
④弥生時代に入り縄文文化は何が残ったのか?⇒【縄文―縄文体質とは何か】
⑤いろんな縄文時代のディテールを追求する。⇒【縄文―ディテール編】
⑥【その他】
この版は他にも弥生・律令時代・世界の古代文明がありますので後日そちらの方のカテゴリーも作っていきたいと思います。今のところは以下のカテゴリーにまとめておきます。
【弥生―古墳―律令】
【世界の古代文明】
詳しくは追記で中身を・・・・
(管理人tano)
続きを読む "略称「縄文・古代ブログ」の当面の課題について"
posted by tano : 00:29 | コメント (0) | トラックバック (0)


